昔のじぶんにインタビュー|青年期編【メタ認知習慣化作戦*1】
私は、メタ認知が苦手だ
すべての人を「じぶんの専門家」に、オレはする!
って、宣言しているクセに、なに、それ? というご批判、ごもっとも。ストレートに受け止めます。
が、私は「じぶんの専門家」とは、<「客観視 ⇆ 自己客観視 ⇆ メタ認知」の実践を繰り返して自己探求をする人>と定義している。ゆえに、苦手なことを客観的に把握して公言することに、さほど問題はないと、ストレートにお応えします。
ただし、自認した苦手について、なんとかできそうなことなら、なんとかしてみようと試行することは、「じぶんの専門家」にとって重要な課題のひとつだとも考えています。
というわけで、メタ認知を習慣化するための方法を考案して実践してみることにした。
◆
昔のじぶんにインタビュー
今回の試行は、「昔のじぶんにインタビューしてみる」というもの。じぶん的には現在進行形の出来事はもとより、最近のことから数ヶ月前のこと、ケースによっては数年前のことでさえ、結構ナマナマしくって、かろうじて客観視ができても、メタ認知の段階では、つい自己弁護しがちになったり、ロジカルの皮を被った屁理屈による解釈をしがちになる。
そこで、うーんと昔のじぶんのことなら、客観的な判断がしやすく、メタ認知の難易度も低くなるのではないか? というアイデアが浮かんで、そうだ! そこから、突破口を見いだそう! と思い立った。
具体的な方法は、こうだ。
写真ストックから、この試行に使えそうなものをピックアップ。“そこにいる(過去の)じぶん”にインタビューする。
◆
取材対象は、十九歳のころの私。当時の私は、大学を中退して靴の卸問屋で働いていた。超零細企業(従業員3名)だったので、メーカー廻り、小売店への営業、出荷と、さまざまな業務をしていた。
なお、過去のじぶんについては、いまのじぶんから切り離して(擬似的に)他人と見なす。それは、より客観視をしやすくするためである。
よって、インタビューでは“この青年”を「ヤング・オカミツ(記載では「Y.O」と略)」と呼称する。インタビュアーは、いまの私(記載では「ME」と表記)。

十九歳のころの私にインタビュー
ME なにをしてるんですか?
Y.O 女のコにフラれてイジけてトモダチの家でグチっとぉ。
ME 目の上に乗せているのは?
Y.O そのコのお店、小さな喫茶店を姉妹でやりくりしてるんやけど、そこのマッチ。
ME なんで、そんなものを目の上に?
Y.O トモダチが写真撮るときに“失恋記念”って、からかいながら、置きよった。
ME いいお友達ですね?
Y.O そうかなぁ? ボクのトモダチは十歳ほど年上の人が多いんやけど、こういうときの慰め方、ウマいとは思った。
ME お友達、年上が多いんですか?
Y.O あー、同年代の連中は軽いというか、チャラいというか、会話の内容が薄っぺらくて、つまらないんで、あんまし、つきあいがないんよ。高校のころからかな? 主なトモダチは年上ばかりになっていた。
ME 年上の友達のほうが、つきあいやすかったってこと?
Y.O そうやねぇ…例えば、哲学的なこととか、政治や社会についての見方とか、人生観とか、普通に話し合えたりするんで、つきあいやすい。同年代にはケムたがられるやん?そんなこと話題にしたがるヤツ。
ME なるほど。高校時代から、そんな話をするのが好きだったんですね?
Y.O うん、高校時代のあだ名は「おじん」やった(苦笑)。
ME どんな生き方がしたいと考えていますか?
Y.O よくわからない。けど、『怒りの葡萄』って映画、観たことある?
ME あります。
Y.O あの映画の主人公のトム・ジョードのような意思を持って生きたいのよ。特にトムの最後のセリフに、えらい感動してね。
トムが母親に別れ際に言う有名なセリフ…
『俺はあらゆる暗闇の中にいるのさ。俺はどこにでもいるんだよ。食べ物に困って飢えた人たちの喧嘩があったら、目を凝らしてみればいい。俺はそこにいる。警官が誰かを痛め付けてるなら、俺はそこにいる。みんなが怒って叫び声をあげている時、俺はそこにいる』
※このセリフは、新約聖書にあるイエスの言葉(イエスが弟子たちに向かって別れ際に言った言葉)のもじり。『怒りの葡萄』というタイトル自体、この世の終わりを描写した『ヨハネの黙示録』からとられている。
ME いわゆる社会運動家を目指しているのですか?
Y.O う〜ん、そうでもないけど、大衆のひとりとして、世の中を良くするために闘うヒトでありたい、って感じかな? だから、仕事はなんでもいいというか、いわゆるエリートとかではない、労働者階級に属していたいというか。
ME 五十年後のじぶんが、イメージできますか?
Y.O はぁっ? できない、できない。だって、オレ、55歳で死ぬから。
ME なぜ、55歳で死ぬって、決めているんですか?
Y.O 尊敬するアメリカのフォークシンガー、ウディ・ガスリーが死んだのが55歳だったから!
ME ・・・(あほだ、こいつ)
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対話は、まだまだつづきましたが、記事にするのは、ここらあたりまでで。いやー、なかなか、愉しかった。
当時の物事の捉え方(やや歪で片寄った思考?)の片鱗が、いまだじぶんのなかにあるので、気をつけなくてはならないな、と思った。
目的は、メタ認知を習慣化することにあるので、あえて詳細な考察やまとめはしない。単純に、おもしろかったー♪ で、あのころから、あんなんやったんや、そういうとこ、なおさなならんな、といった、ちょっとした気づきがあれば、それで、ええやん?
メタ認知のトレーニングに、うってつけかも。
私と同様にメタ認知が苦手な方、ぜひ、やってみてください。少しでも、みなさまのお役に立てたなら、嬉しいです♪
※ATTENTION! 要注意! な事項
この方法をお試しの最中に、ネガティブな感情に包まれたら、即効、中止してください。記憶は思い起こすたびに、脳に強く刻まれるそうですので。
もし、そうなったら、これを機に、そんな思いを惹起させる写真を、いっそ捨ててしまう(データなら消去する)のが良いかも。
*ポイント*
メタ認知の本質は、「じぶんを客観視する行為」と「そこから得られる気づきや習慣」を「自己対話のループ」として繰り返すプロセスそのものにあるのかもしれない。
自己理解が深まるのは、あくまでも、そのプロセスから得られる結果なので、自己理解を深めることに過度に執着しないよう留意することが大切。
◆
※注1:「メタ認知」とは元々は認知心理学の用語で、1976年に米国の心理学者ジョン・H・フラベル(John H. Flavell:1928年9月-)が定義した「メタ記憶」という概念が「メタ理解(理解を理解する)」→「メタ注意(注意に注意する)」→「メタ認知」へと発展した。
当初は教育学や脳科学の分野で使われていたが、近年になってビジネス分野でも注目されるようになった。なお、メタ認知という概念の起源は古代ギリシャの哲学者「ソクラテス(Socrates:紀元前470年頃 – 紀元前399年)」が提唱した“無知の知”だという解釈もある。
*補足|用語解説*
KEY WORD
客観視:
物事や状況を個人的な主観(先入観、感情、立場など)を排除して、ありのままに見ること。
自己客観視:
じぶんの言動の傾向や思考のパターンなどを、第三者的な視点から見直すこと。
メタ認知:
じぶんの認知活動(知覚、注意、記憶、学習、思考、感情、判断など)を客観的に把握・理解して、必要に応じてコントロール(調整)すること。
メタ思考:
メタ認知によって把握・理解した事項を異なる視点から俯瞰して問い直すこと(考えることについて考えること)。
*おまけ*
Bruce Springsteen
『The Ghost of Tom Joad』(日本語字幕付き)
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