夏休みの終わりのように
明日は、母の埋骨の日です。
なんとなく、一緒に過ごすことのできる最後の日……という気がして、今日は母の遺骨のある場所にいます。
母が入院するときも、退院するときも、亡くなるときも、実家から出発するときも、なんとなく、最後の日は一緒にいる。
それが、私の中のルールというか、心の中のけじめになっている気がします。
昨日は、腰をギクッとしてしまい、動けなくなりました。
今朝は青森の方で大きな地震もあって、明日は明日で、台風が近づいていて。
最近は立て続けに何かしらあるけれど、
それでも、時間は進んでいく。
気が付いたら、きっと、あっという間に半年、一年、三年、五年、十年と経ってしまうのでしょう。
そのあっという間の時間の中で、私はいくつ、母との約束を果たすことができるんだろう。
迷ったときには、きっと心の中にいる母が教えてくれる。
いつだって、そばにいる。
その優しい想いに守られていたのだということも、
今になって、分かったから。
きっと、誰にでも終わりがある。
だからこそ、がんばろうと思える。
終わりを意識して、初めて、やらなきゃいけないことが見えてくることもある。
夏休みの宿題を、夏休みが終わる一週間前から始めた、あの時のように。
後悔もある。
でも、やり遂げられた。
人の死は、夏休みの終わりのようなものなのだと思う。
母は、それを教えてくれた。
精一杯生きよう。
それが、きっと母の想いに応えることになるはずだから。
