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少し休んで復活の親介護

「休む」とは、人が木像になることよ。

と言ったのは、ワタシが中学1年生のときに
クラスメートとなぜか比叡山の山寺に
泊まりで遊びに行くことになったとき
クラスメートのおじいさんである
その寺の住職さんが言った言葉だ。

休むという漢字を説明しただけじゃないかと
中学生のワタシはポケーと聞いていて
なんの感動もなかったのをおぼえている。
なぜ住職じーさんはそんなことを言ったのか
というと、ちょうどその時、
ワタシの父が入院している話をしたら、
なんと、色紙にわざわざ書いてお父さんに渡しなさいと言ってくれた。
アホな中学生のワタシはその意味がわからず
初めて会って、こんなに親切にとは思ったが、
ありがたいともなんとも感じることもなく
ほい、と色紙を父に渡した。
父がそれをどう思ったかは、もともと無口な
父なので、聞き出すこともなく時は過ぎた。

そして、なぜだかその言葉は
それから何度かワタシの心の中でつぶやき
?と思い、また消えていた。

ところがだ。
親介護が突然の新展開で、アタフタと
病院を転院し、いろいろな人に会い、いろいろなことを言われ、新しい仕組みやルールでワタシのもともと許容量の少ない脳みそは
パニックどころか、ウツウツとしてきた。
やらないと、やらないと、
決めないと、決めないと、と。
しかし、そう簡単には希望とおりの施設は
見つかるはずもなく
とうとう、何をみてもムカムカして、テレビを
みてはブツブツとぼやき、
ひとりで夜布団に入ると涙がでてくるようになった。
やばい。これはやばい感じだ。
しかし、どうにも自分では止められない。
誰かに代わってもらえることもできない辛さって、背負いこむって、うつって、
これなんだと思った。

楽しいことが思い浮かばなくなったとき、
ワタシはまたあの言葉を思い出した。
「休むとは人が木像になることよ」
木像になろうとは思えなかったが
いったん全てのやらなければならないことを
やめて、休もうと決めた。

休むとは人がどーでもいい!と
思うことよ     byワタシ

ワタシは住職じーさんの言葉を
アレンジして自分の言葉に書き換えた。
そして、すべて放り投げたのだ。
ゴロゴロして、サブスクを見て、ゴロゴロして
ぷらぷらして、コンビニスイーツ食べて
猫と遊んだ。
ワタシの休むは、やりたくないことはやらない
ことだったと思った。
人によって、休むカタチはちがう。
この時ほど、休むことがこんなに大切で
休むってこういうことなんだと実感できたことはない。

人生は暇つぶしだ。暇な時間があってこそ
人生なのだ。
ワタシがヘロヘロで一生懸命施設を探したところで、それが最善なのかなんてわかりっこない。
あの母のことだから、ブツブツグチを言いかねないし、せっかく良いところを見つけても
人の親切を踏みにじるのが母なのだと
いつものワタシを取り戻すことができるようになってきた。
1週間ほど、暇つぶしの木像になれたことで
ワタシは100パーセントではないけど
今は重い腰を上げて、施設探しに動けるまでになった。

お金が潤沢にある人なら、気に入ったところを探して
もし、満室ならワクワクしながら待つという流れになるけど
ギリギリの予算で、母の余命宣告があったり
癌なのにペラペラ喋り、チョロチョロと動き回る老人のケースに当てはまるところを見つけるのは
かなりむずかしいことを感じている。

何を妥協して
何を妥協しないかだと思う。
施設を見学に行く時は、ワタシの探知機は
最大限になる。なので、おわるとぐったりしてしまう。
結局予算ギリギリお金のない人間は、
歳をとって入る老人ホームに苦労するんだなぁ
と思う。ここが良いと思っても10人待ちとか
だ。笑いごとじゃなく、本当に待ってる間に死んでしまう。
老人ホームになんか入りたくない!と言ってた人たちは、もういなくなってしまったのか?
人気のスイーツ予約待ちのようになってるのが
今の老人ホーム事情なのだった。

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