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田舎に行くと空も道も人の心も都会より広い

突然だが、

田舎に行くと、いろいろ広い。

空が広い。

道が広い。

田んぼが広い。

土地が広い。

そして何より、

人の心が広い。

都会で生活していると、何かと狭い。

家は狭い。

電車は狭い。

歩道も狭い。

そして、

心の余裕も狭い。

そんな都会に疲れた我々に、

田舎は優しく語りかけてくる。


まず、空が広すぎる

田舎に行って最初に思うこと。


「空、広くね?」


いや、空なんだから広いに決まっている。

都会だって空はある。

しかし都会では、

ビル。

マンション。

電線。

看板。

高架。


何かしらが空を占領している。


「空を見上げよう!」

と思っても、


ビル「こんにちは」


である。


一方、田舎。


空。


終わり。


何もない。

雲がある。

鳥が飛んでいる。

夕焼けがある。


以上。


空の面積、バグっている。


しかも夜になると、

星まで見える。


都会の夜空:

「星どこ?」


田舎の夜空:

「星、多すぎ。」


極端なんよ。


道も広い

そして田舎は、

道も広い。


都会の道路を歩いていると、

前から人。

後ろから人。

横から自転車。

信号。

車。

バス。


常に何かがいる。


「すみません。」

「すみません。」

「すみません。」


人生でこんなに「すみません」を使うとは思わなかった。


ところが田舎。


歩道、

誰もいない。


車道、

車も少ない。


横を見る。

田んぼ。


反対側を見る。

田んぼ。


後ろを見る。

田んぼ。


前を見る。


また田んぼ。


「俺、今どこにいるんだ?」


Googleマップを開く。


「現在地:田んぼ」


そんな気持ちになる。


そして人の心まで広い

ここが一番大きい。

もちろん、

「田舎の人は全員優しい!」

なんてことを言うつもりはない。

人間なので、

田舎にも嫌な人はいる。


しかし、

田舎を歩いていると、

なんとなく感じる。


人に余裕がある。


例えば、

道ですれ違ったおじいちゃん。


「こんにちは。」


突然の挨拶。


都会で知らない人に、

「こんにちは。」

なんて言ったら、


「……誰?」


となる可能性がある。


下手したら、

防犯ブザー案件。


しかし田舎では、

普通に挨拶が返ってくる。


「こんにちは。」

「今日は暑いねぇ。」

「そうですね。」


この、

謎のおしゃべりタイム。


嫌いじゃない。

むしろ好き。


都会は「他人に干渉しない優しさ」

都会の人だって冷たいわけではない。

むしろ、

都会には都会の優しさがある。


困っていても、

基本的には放っておいてくれる。


これも一種の優しさだ。


「他人の人生に口を出さない。」


最高である。


しかし田舎では、


「最近どう?」


と聞いてくる。


距離感が近い。


「仕事は?」

「結婚は?」

「彼女は?」

「最近見ないけどどうした?」



全部聞く。


都会人、

「いや、そこまで聞かなくても……。」


田舎のおばちゃん、

「で、結婚は?」


強い。


でも、

その裏側には、

「元気にしているかな」

という気持ちがあるのかもしれない。


そう考えると、

ちょっと温かい。


田舎では時間まで広く感じる

都会にいると、

とにかく時間が早い。


朝起きる。

満員電車。

仕事。

昼休み。

仕事。

残業。

帰宅。

風呂。

寝る。

朝。


人生RTAである。


「今日何してたっけ?」


仕事してました。


「昨日は?」


仕事してました。


「先週は?」



仕事してました。


一方、

田舎に行くと、

時間の流れが少し違う。


朝、

鳥の声が聞こえる。


昼、

田んぼを眺める。


夕方、

空が赤くなる。


夜、

星を見る。



何もしてないのに、一日が長い。


これが、

ものすごく贅沢に感じる。


「何もない」が実は最高だったりする

都会にいると、

「何かしなきゃ」

という気持ちになる。


休日。


「どこ行く?」

「何する?」

「新しい店行く?」

「イベントある?」


せっかくの休日なのだから、

有意義に過ごさなければならない。


しかし田舎。


何もない。


以上。


最初は、

「暇すぎるだろwww」

と思う。


ところが、

しばらくすると、


「……これでよくね?」


となる。


本を読む。

散歩する。

昼寝する。

コーヒーを飲む。


終わり。


最高である。


都会では「何もしない」が難しい

都会では、

何もしないためにも、

何かしなければならない。


カフェに行く。

お金を払う。

席に座る。

スマホを見る。

SNSを見る。

他人のキラキラした休日を見る。

「俺も何かしなきゃ……。」


何もしに来たのに、焦って帰る。


なんだこれは。


一方、田舎。


縁側。


お茶。


風。


鳥。



終わり。


SNS?


知らん。


通知?


圏外。


平和。


田舎に行くと「足るを知る」が分かる

都会にいると、

上を見ればキリがない。


もっといい家。

もっといい車。

もっといい会社。

もっと高い年収。

もっといい服。

もっといい時計。


「年収500万円か……。」

「700万円欲しい。」

「1000万円欲しい。」

「2000万円欲しい。」


そして、

年収2000万円になっても、


「3000万円欲しい。」


人間、欲望のアップデートが止まらない。


ところが田舎で、

夕焼けを見ながら、

缶コーヒーを飲んでいると、

ふと思う。


「これでよくね?」


家がある。

飯が食える。

寝る場所がある。

好きなことができる。


それだけで、

結構幸せじゃないか。


「便利」と「幸せ」は別物

都会は便利だ。

これは間違いない。


コンビニがある。

飲食店がある。

病院がある。

電車がある。

娯楽がある。


欲しいものは、

だいたい手に入る。


でも、

便利になったからといって、

幸せになるとは限らない。


むしろ、

便利になればなるほど、

「もっと便利に」

を求めてしまう。


スマホ。

高速通信。

AI。

自動化。


最終的に人間、何もしなくなる。


いや、

それはそれで最高かもしれない。


田舎には「余白」がある

結局、

田舎の魅力って、

「何かがあること」ではなく、

「余白があること」

なのかもしれない。


空に余白がある。

道路に余白がある。

土地に余白がある。

時間に余白がある。


そして、

人の心にも余白がある。


都会では、

すべてがギリギリまで詰まっている。


電車、

ギュウギュウ。


予定、

ギチギチ。


仕事、

パンパン。


スケジュール帳、

真っ黒。


そして本人、


「もう無理。」


そりゃ疲れる。


だからたまには田舎へ行こう

別に、

「都会を捨てて田舎に移住しろ!」

と言いたいわけではない。


都会には都会の魅力がある。

便利だし、

仕事も多い。

遊ぶ場所も多い。


ただ、

疲れたときには、

一度田舎に行ってみてほしい。


何もない道を歩く。


空を見る。


田んぼを見る。


知らないおじいちゃんに、

「暑いねぇ。」

と言われる。


そして、

「そうですねぇ。」

と返す。


それだけ。


それだけなのに、

なんとなく心が軽くなる。


空も道も、人の心も広い

田舎に行くと、

空が広い。


道が広い。


そして、

人の心も広い。


もちろん、

田舎だから全員優しいわけではない。


田舎だから人生が必ず幸せになるわけでもない。


でも、

都会で毎日、

「もっと頑張れ。」

「もっと稼げ。」

「もっと成長しろ。」

と言われ続けている人には、


「そんなに急がなくてもいいんじゃない?」


と言ってくれるような、

あの広さが必要なのかもしれない。


人生、

ずっと走り続けなくてもいい。


たまには、

何もない道を歩いて、

何もない空を眺めて、

何も考えずに、

ぼーっとしてみよう。


そして、

田舎のおじいちゃんに、

「仕事はどうだ?」

と聞かれたら、


「まあ、ぼちぼちです。」


と答えればいい。


おじいちゃん、

「そうかぁ。」


そして、

夕焼け。


完。


やっぱり田舎、

空も道も人の心も広い。


ただし、

コンビニまでの距離だけは、めちゃくちゃ広い。

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無敵社会人 考え直せ! まだ遅くない。 本当にこの記事を読みたいのか? 変わりモンのアンタ嫌いじゃないよ💛