見上げる私は忘れていた光を見つけた -noteの目的を見直した話-
noteが書けなくなった理由はなんとなく感情では理解していたが、もう一度、noteを書く目的を再確認してみた。
ちゃんと理解するために、ChatGPTと話し合うことで自分の想いやnoteを書く目的と改めて向き合ってみた。
その結果、私がnoteを書く目的は、人気になるためでも有名になるためでもなく、
「私という人間を "表現する場所" を探している」
ということだと分かってきた。
その想いが、根底としてあって、その上で
「自分に似た人(優しい人)を探して人生の幸福度を高めたい(お互いに)」
「自分の書く文書で人に楽しんでもらいたい、支えになりたい」
「願わくは、文書で生きていける程度の糧になれば嬉しい」
という目的を持っている。
私も普通の人間なので、人からスキをされると嬉しくなるし、ビューが少ないと悲しくなる。
そんな気持ちと戦いながら、
「何の目的のためにnoteを書いているのか」
「これは誰に伝えたい、と思い書いているのか」
ずっと考えていた。
いつも自分の中にずっと葛藤があった。
小説家の人たちは何を思って書いているのか、
「自分の好きな作品を書く」
「読者の好きな作品を書く」
どちらを優先して居るのだろうか。
歌手の人たちは何を思って曲を作っているのか、
「自分の好きな曲を作る」
「聞き手が好きそうな曲を作る」
どちらを優先しているのだろう。
私はどうしたいのだろうか。
「少数にしか届かないが自分の書きたいもの」
「多くの人が読んだ時にスキと思ってくれるもの」
どちらを優先したいのだろうか。
今の自分の書き方は、多くの人が好きそうな話題を避け、自分の好きなことを書いている。
それは自分の為になるとは思うが、人の為になる事はあるのだろうか。
多くの人の好きそうな事を書けば、分かりやすく人の為にはなる。
それではダメなのだろうか、結局は自分のために書いているだけ、ということなのか。
ずっと感じていたことを、やっと言葉にすることが出来たと思う。
きっと「自分のために書きたい」という気持ちと、「読み手の求める物を書きたい」という気持ちのバランスが大事なのだ。
「自分の書きたいことがあるなら、書きたい事を書けばいい」
「読者が読みたいと思う物を想像して書いてもいい」
自分の書きたいことが多くの読者に伝わるときもあれば、読者が求めていると思って書いても全く興味を持ってもらえないこともある。
結局は人生と同じ、"答えのない世界"なんだと思う。
色々と考えたが、私は、「自分の書きたいものを書いていく」と決めた。
まずは自分を表現する事にする。
今の自分を、ありのままの自分を。
その上で、今までよりも少し読者に寄り添うように、見直せる部分は見直していこうと思う。
色々な事を考えて、再確認したらまた同じ位置に戻った気がする。
やっぱりここが自分の立ち位置なんだと思った。
結局は "自分だけの色" を出しながら進むしかないってこと。
また少しずつ進んでいけばいいか。
