・「その他の外国語」と東京外国語大学(26年6月)

 「その他の外国語」と東京外国語大学


東京外国語大学の教職員組合のニュースに、執行部が「小規模語科」の縮小方針を検討している、と書かれていた。2名の専任教員で運営している語科を1名にして、あとは任期付きのネイティブ教員(記事のいう「特定外国人教員」)とAIで補っていく、ということらしい。

wu-tufs.blogspot.com/2026/06/202661…

小規模語科というのは、外大だと大体が東南アジアと南アジアだろう(アフリカやオセアニアがいまどういう体制なのか、ぼくはよく知らない)。あくまで学生目線でしかないけれど、外大の「小規模語科」にいた人間として、少しだけ書いておくと、ぼくがタイ語専攻の学生だった頃は、各地域に「言語」「文化・文学」「社会・経済」の3分野でひとりずつ専任教員を置く、という配置が、形だけはまだギリギリ保たれていた。そのあと、専任が2名に減り、代わりに任期付きのネイティブ教員が配置された(語科によって事情はいろいろだと思う)。そして今度は、専任を1名にして、ネイティブ教員とAIで補う、と。

3人いた時代ですら、学生の目から見て、教員の業務量はとっくに破綻していたと思う。語学のコマがとにかく多いという構造上、避けがたい面はあるのだろうが、たとえばぼくの指導教官は、非常勤を入れて週に14〜15コマ持っていた年もあった。ぼくとのマンツーマンの演習をしょっちゅうつぶしてようやく、授業以外の仕事に手をつけられるというありさまだった。大学に泊まってもいたし(そんで簡易ベッドで寝すぎて腰を悪くしていた)。

いまの状況については詳しく知らない。でもたまに先生方と話す感じだと、よくなっているということはまずありえない(そもそも国立大学全体がそういう状態なのだし)。学生の数(タイ語なら15人前後だろうか)が大きく変わらないのに、専任を減らして、はたして業務は回るのだろうか。

AIの活用というのも、こと小規模語科と呼ばれるところで学ぶような言語では、そう簡単な話ではないと思う。ぼく自身、教材を作るのに生成AIを使っている。でも、文章ひとつとっても、たかだか非ネイティブのなんちゃってタイ語教師であるぼくが、ちまちま直さないといけない。それくらいにはまだ相当のチューニングがいる。しかも東南アジアの言語のなかでは相対的にデータが蓄積されているはずのタイ語でこの水準なので、他の「小規模」な言語では、負担がもっと増える可能性すらある。それに、AIが本格的に導入されたら、学習内容はおそらく個別に細分化していくことになる。その負担をいまより少ない教員で受けるというのは、むしろ悪手なんじゃないかな。

入門や初級の段階なら、AIは多少の助けになるかもしれない。でも、それ以上のレベルではどうだろうなと思う。中級を超えると、その地域固有の文脈や状況への理解と語学の習得とが、不可分になってくる。この部分こそ、さまざまな専門性を持つ複数の教員が分担して担って、その過程で学生はアカデミックなスキルやディシプリンも身につけていく。それが外大みたいな場所のやることだったのではないか。それも、時間が経てばAIの性能が上がるから、でまとめられてしまうのかな。活用のトレーニングはしたほうがいいでしょう。でも、そこまで安定して持続可能性の高いテクノロジーだとは思えないんだよなあ。

個別の地域や言語の専門的な知識や能力をもったひとを育てること自体が、いまの時代の趨勢のなかではもう、オワコンなのかもしれない。だから、執行部の発言とされる「人材難で後継が取れない」という言葉は、ずいぶん無責任に聞こえるなと思った。そういう人材を育てるのが、外大みたいな場所の役割だったんじゃないのかな。それができてこなかったツケは、けっきょくはあとの世代が払うことになる。

タイ語まわりの仕事をしていて、研究者に限らず、タイ語に関わる若いひとがこんなに少ないのに、と思う毎日なんですよね。だから「後継が取れない」という言葉には、それはないでしょう、と感じてしまった(それでもタイ・タイ語は、相対的にはめちゃくちゃいいほうだとは思うけれど)。

まあ、その点では、組合の有志のみなさんが反論として挙げている「若手・中堅研究者が育っている」という言い方には、ぼくはちょっと乗りにくい。育っていないわけじゃないというのはわかる。ただ現場の肌感覚としては、それを足場に大丈夫とも言い切れない感じもある。

研究者になるとか、語学を仕事にするとか、そういうことじゃなくたって、外大みたいな場所は、そういうものを学ぼうとする「変」なひとたちを受け入れてくれる重要な受け皿なんだと思うんだけどな。現代社会の論理だと、国立大学でそんなことに金を使うな、にしかならないのかもしれないけれど。大学がいま縮小せざるをえないことも、役割が変わっていかないといけないこともわかるのだけれど。

こうなってくると、これからの若いひとたちにとって、東南アジアのことや言語を学んで、それで生きていくというビジョンは、ほとんど描けなくなってしまうなと思う。まあ大学の外でやれることはやらないとなんでしょうが、ほんとは大学じゃないとできないこともいっぱいあるでしょうに。

https://x.com/arawarearawaru/status/2068608946580193309


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