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一番助けてもらった時期に、一番ちゃんとお礼を言えなかった

まだ、ちゃんと伝えられていない「ありがとう」がひとつある。

これまでのじんわりノートでは、優しさに気づけた話ばかり書いてきた。母の電話も、階段の高校生たちも、先輩のコーヒーも、気づいた瞬間があって、それを言葉にしてきた。

でも本当は、気づいていたのに、お礼を言えないまま終わってしまった話もある。しかも、これまで書いてきたどの話よりも、一番助けてもらった時期の話だ。

今日はその話を書こうと思う。

就活で全部落ちていた頃の話

大学4年の秋、私は就職活動で行き詰まっていた。

エントリーした会社は二十社を超えていたと思う。書類選考は通っても、一次面接、二次面接とすすむたびに落とされて、気づけば手元に残っている選考はほとんどなくなっていた。周りの友達が「内定もらった」「あとは承諾するだけ」と次々に就活を終えていく中で、自分だけが取り残されている感覚がずっと続いていた。

朝起きるのが怖かった。スマホを開くたびに、また誰かの内定報告が目に入る気がして、通知を見るのも億劫だった。

当時、駅前の小さな惣菜屋でアルバイトをしていた。就活の合間に週3回、夕方から閉店までのシフトに入っていた。店主は60代くらいの女性で、無口で、こちらの事情に踏み込んでくることもない人だった。就活のことも、聞かれたことは一度もない。

ただ、いつも通りに「いらっしゃい」と迎えてくれて、いつも通りに惣菜を並べさせてくれて、いつも通りに「お疲れさま」と送り出してくれた。

その「いつも通り」が、あの時期の私には何よりありがたかった。

一度、閉店間際にへとへとの顔で入ったとき、店主が何も言わずに、いつもより少しだけ多めに卵焼きを包んでくれたことがある。理由も聞かれなかったし、こちらも何も説明しなかった。ただ、その日の帰り道、その卵焼きがやけに温かく感じたのを覚えている。

その店にいる時間だけは、なぜか少しだけ息ができた。

涙が止まらなくなった日

12月の半ば、第一志望だった会社の最終面接に落ちた。

メールで結果が届いたのは、ちょうどバイトのシフトに入る直前だった。ショックを引きずったまま店に行き、いつも通り開店の準備をしていたつもりだったけれど、うまく笑えていなかったと思う。

バックヤードで在庫の段ボールを開けている最中に、急に涙が止まらなくなった。理由を言葉にすればいくらでも説明はできたけれど、その瞬間はただ、蓄積していたものが一気にあふれただけだった。しゃがみこんで、しばらく動けなかった。

店主は、私が泣いているのに気づいていたはずだ。でも、何も聞かなかった。

しばらくしてから、いつも通りの声で「今日はもう上がっていいよ」とだけ言った。そして、閉店作業を待たずに、売れ残っていた稲荷寿司を、いつもより多めに紙袋に詰めて持たせてくれた。

「気をつけて帰りなさい」

それだけだった。就活のことも、大丈夫かということも、一切聞かれなかった。何があったのか詮索されることもなかったし、変に励まされることもなかった。

今思えば、あれは見て見ぬふりではなく、聞かないという優しさだったんだと思う。詮索されない場所があるということが、あの時期の私には一番必要だったから。もし「どうしたの」と聞かれていたら、たぶんその場でもっと崩れていたし、逆に「大丈夫、頑張って」と言われていたら、きっと苦しくなっていた。

店主は、そのどちらもしなかった。ただ、いつも通りの態度と、少しだけ多い稲荷寿司で、私が立て直すための時間をくれた。

結局、ちゃんと言えなかった

年明けに、ようやく一社から内定をもらった。第一志望ではなかったけれど、ようやく肩の荷が下りた気がした。

バイトを辞めることになり、最終出勤の日がきた。冬にしては珍しく暖かい、よく晴れた日だった。閉店作業を終えて、レジ横で店主に挨拶をした。

「今までお世話になりました」

言えたのは、それだけだった。

本当は、あの稲荷寿司の日のことも、詮索されなかったことがどれだけ救いだったかも、卵焼きを多めに包んでくれたことも、全部言いたかった。「あなたのいつも通りの態度に、何度も助けられていました」と、ちゃんと言葉にしたかった。

でも、いざ目の前にすると、うまく言葉が出てこなかった。照れくさかったのか、口に出したら泣いてしまいそうで怖かったのか、たぶん両方だったと思う。結局、当たり障りのない一言でごまかしてしまった。

店主は「頑張ってね」とだけ言って、いつも通りの、少しも特別扱いしない顔で見送ってくれた。最後にもう一度だけ、小さな紙袋を渡された。中身は聞かなかったけれど、たぶんまた何かの惣菜だったと思う。

その紙袋を提げて店を出たとき、後ろを振り返らなかった。振り返ったら、今度こそちゃんと言わなければいけない気がして、それが怖かったからだと思う。

数年後、店がなくなっていた

社会人になって数年後、たまたま昔住んでいた街に用事があって、駅前を歩いていた。

あの店の前を通りかかったのは、本当に偶然だった。もう何年も思い出していなかったはずなのに、通りに差し掛かった瞬間、なぜかあの店のことだけを覚えていた。

シャッターが下りていて、貼り紙もなく、ただ静かに閉まっていた。

隣の花屋の人に聞いたところ、店主が体調を崩して、一年ほど前に店を畳んだらしいということだけがわかった。今どこにいるのか、元気にしているのかまでは、誰も知らないようだった。

しばらく、シャッターの前に立ち尽くしていた。

今更、お礼を伝える方法はない。住んでいた場所も、下の名前すら知らない。あの時ちゃんと言葉にしていれば、と今でもたまに思い出す。

それでも、書いておこうと思った

この話に、きれいな結末はない。

伝えられなかったお礼は、たぶんこの先もずっと、伝えられないままだと思う。それでも、この気持ちをどこにも残さないまま忘れてしまうのが、なんだか嫌だった。

じんわりノートでこれまで書いてきた話は、たいてい最後に何かに気づいて、少し前向きな気持ちで終わっている。でも、この話にはそれがない。ただ、伝えられなかった事実だけが、ずっとそこにある。

だから、せめてここに書いておくことにした。

もし、これを読んでいるあなたにも、まだ伝えられていない「ありがとう」があるなら。その相手が今どこにいるのか、まだわかるなら。私みたいに、店がなくなってから気づくのではなく、今のうちに、一言だけでも伝えてみてほしい。

読んでよかったなと思ってもらえたら、スキを押してもらえると嬉しいです。じんわりノートでは、こんな話を毎日ひとつ書いているので、気に入ってもらえたらフォローもしてもらえると、もっと嬉しいです。

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