第9話「“訪問介護が来なくなった日”──制度崩壊と地域の不安」
その日は、静かすぎた
午前9時。いつもならインターホンが鳴り、明るい声で「おはようございます」と訪問介護員が入ってくる時間だ。
しかし、その日は玄関のチャイムが鳴らなかった。
ベッドの上で身を起こそうとしても、腰が重く、足に力が入らない。冷蔵庫には昨日の残りの味噌汁と、固くなったパンが少し。
「まさか、今日だけ休み?」そう思いたかったが、頭の片隅に、いやな予感が広がる。
突然の“中断”
後でわかったのは、介護事業所の人手不足が限界に達し、急遽、一部サービスが停止になったということだった。
コロナ禍以降、離職した介護職員は戻らず、採用も難航。職員一人あたりの訪問件数は増える一方で、ついに「回れない家」が出てしまった。
私の家が、その“対象”になったのだ。
市役所からは電話一本。「しばらく、訪問は難しいので、ご家族で対応を」と。
だが、私は独居だ。遠方に住む息子に知らせても、すぐに来られるわけではない。
制度が想定していなかった現実
介護保険制度は、「利用者が必要なサービスを受けられる」ことを前提に設計されている。
しかし、その前提は崩れつつある。
訪問介護は、身体介護(食事・排泄・入浴)と生活援助(掃除・買い物)を担う生命線だ。
これが止まるということは、単に「不便」になるのではなく、命の維持に直結するリスクが高まるということだ。
厚生労働省の統計によれば、訪問介護員の有効求人倍率は全国平均で10倍を超える地域もある。
つまり、求人を出しても10人分の需要に対し、1人しか応募がない状況だ。
高齢化が進む中で、制度が現場の崩壊スピードに追いついていない。
地域にも波紋が広がる
私の住む町内でも、同じように訪問が途絶えた家庭が数件ある。
中には、家から出られないまま数日が経ち、近所の人が心配して訪ねたところ、脱水症状で倒れていた事例もあった。
「誰かが助けてくれるだろう」という暗黙の安心感は、今や成立しない。
自治会では緊急時の見守り体制を検討しているが、担い手はやはり高齢者が多く、体力的・精神的な負担は大きい。
制度の穴を地域が埋めるには限界がある。
“自己責任”では片付けられない
国や自治体の説明は、「人手不足は全国的な問題」「代替サービスの検討中」という決まり文句だ。
だが、その“検討”の間にも、訪問が途絶えた家では生活が危機に陥っている。
一人暮らしの高齢者や介護が必要な世帯が、突然の中断に対応できるわけがない。
「自己責任でなんとかしてほしい」と言われているに等しい。
制度が存在しても、現場の人がいなければ機能しない。
これは災害時と同じで、“制度の空白時間”にどう命をつなぐかという視点が欠かせない。
必要なのは「平時の危機管理」
今回の経験から痛感したのは、制度崩壊はある日突然やってくるということだ。
そのためには、利用者も家族も「代替手段」を事前に考えておく必要がある。
例えば、地域の助け合い団体や有償ボランティアの連絡先を手元に置く、配食サービスを複数契約しておく、安否確認アプリを導入するなどだ。
もちろん、これは本来、制度側が準備すべき仕組みである。
だが、現実には“想定外”が日常になりつつある。
そのギャップを埋めるために、行政・事業者・地域・家族が協働できる枠組みが必要だ。
「その日」をなくすために
訪問介護が来ない──この事実は、単なるサービスの欠如ではなく、生活そのものの崩壊を意味する。
制度を守るためには、現場の職員を守ることが不可欠だ。
処遇改善、研修体制の充実、地域人材の掘り起こし──どれも時間がかかるが、やらなければ崩壊は加速する。
あの日、私は自力で食事を取り、なんとか夜を迎えた。
だが、同じ状況で命を落とす人が出てもおかしくない。
「訪問介護が来なくなった日」がニュースになる前に、私たちは動かなければならない。
