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英国がPalantirとの「決別」を口にした日──NHSデータ契約の行方

6,500万人の医療データを握る米国企業との関係を、英国政府が見直そうとしている。だが「変える」という言葉と、実際に変わることの間には、深い溝がある。

科学相が議会で語った「異なるやり方」

英国の科学担当大臣パトリック・ヴァランスが、下院科学・イノベーション・技術委員会の場で異例の姿勢を見せている。米国のデータ分析企業Palantirが英国政府と結んだ大型契約について、今後は「英国企業への投資と国内調達」を重視する方針を明確にしたのだ。

The Registerが3月20日(日本時間)に報じたところによれば、ヴァランス卿はNHS(国民保健サービス)との契約について「前政権が締結したものであり、別の省庁の管轄だ」と前置きしつつ、こう述べた。

「英国企業を据え、イノベーションをここで調達する。まったく異なるやり方を説明してきたつもりだ」

しかし、この発言にはいくつかの注意点がある。ヴァランス卿が管轄するのは科学・イノベーション・技術省であり、NHS契約の決定権は保健社会福祉省(DHSC)にある。つまり「変える」と宣言した本人に、 変える権限がない

委員会メンバーの自由民主党議員マーティン・リグリーは、契約に含まれる中途解約条項の活用を迫った。「契約には離脱ポイントがある。それを活用して主権的なソリューションに移行しなければ、同じことの繰り返しだ」。ヴァランス卿の返答は短い。「同じことはしない。まったく異なることをしている」。

具体的に何が「異なる」のか。その説明はなかった。


1ポンドから始まった5億ポンドの浸食

Palantirという企業の名を聞いて、医療を思い浮かべる人は少ないだろう。CIAの投資部門In-Q-Telの出資で2003年に創業し、米軍のドローン攻撃から移民税関捜査局(ICE)の追跡システムまで、その技術は主に「監視と軍事」の領域で磨かれてきた。

この企業がNHSに入り込んだきっかけは、2020年のパンデミックだった。Palantirはわずか 1ポンド の名目契約でCOVID-19データプラットフォームの構築を請け負った。「危機的状況での善意の協力」に見えたその一歩は、その後の展開を考えると、きわめて戦略的な一手だった。

1ポンドの契約は2,350万ポンド(約50億円)の本契約に膨らみ、さらに2023年11月、前保守党政権下で 3億3,000万ポンド (約690億円)規模のFDP(統合データプラットフォーム)契約へと発展した。ただし公式の契約通知に記載された金額は1億8,220万ポンド(約380億円)で、契約期間は2027年2月まで。最大7年間への延長オプションが付いている。

つまり、契約の実態は「公式発表」と「契約書面」の間ですでに食い違っている。この不透明さ自体が、問題の一端を物語る。

さらに2025年12月、国防省は 2億4,000万ポンド (約500億円)のデータ分析契約を競争入札なしの随意契約でPalantirに発注した。NHSと国防省を合わせた契約総額は、議会での議論によれば5億ポンド(約1,050億円)を超える。英国の公的機関24機関にPalantirの技術が導入されているという指摘もある。

1ポンドの善意が、1,050億円の依存に変わるまで、わずか5年。これは契約の話だけではない。国家のデジタルインフラが、一社の外国企業に浸食されていく構造そのものだ。


医師たちの反乱と「マンデルソン・ゲート」

Palantirへの反発は、もはや市民団体だけの声ではない。

2026年2月、英国医師会(BMA)は20万人以上の会員医師に対し、Palantir製FDPの臨床目的以外の使用を制限するよう勧告した。BMA議長トム・ドルフィンは、BMJのインタビューで「PalantirのICEでの実績を考慮すれば、患者の信頼、データセキュリティ、NHSの独立性を守るためにPalantir技術との 完全な決別 が必要だ」と踏み込んだ。

医療団体Medactも詳細なブリーフィング資料を公開し、各病院トラストやICB(統合ケア委員会)にFDPの導入拒否を呼びかけた。アムネスティ・インターナショナルもこの動きを支持している。

NHSのデータ上、FDPを実際に使用しているのはイングランド215病院トラストの 4分の1以下 にとどまる。導入目標の240機関には遠く及ばない。

現場の「静かな抵抗」は、数字に表れ始めている。

そしてこの問題を一層複雑にしたのが、いわゆる「マンデルソン・ゲート」だ。労働党の重鎮ピーター・マンデルソンが駐米大使在任中、自身が共同創業したロビー企業グローバル・カウンセルの顧客であるPalantirとスターマー首相の面会を仲介。その後まもなく、国防省から2億4,000万ポンドの随意契約が発注された。

議会ではこの面会の議事録が存在しないことが問題視されている。政府は「会議ではなかったので記録は取っていない」と説明したが、与野党の議員から調査を求める声が相次いでいる。マンデルソンはその後、エプスタインとの関係が発覚し駐米大使を解任されており、スキャンダルの根は深い。


「主権」は言葉だけで守れない

ヴァランス卿が語った「主権的なテクノロジー」という方向性自体は、正しい。英国議会の調査資料でも、デンマーク政府がMicrosoft依存を脱却するためオープンソースへの移行を計画していること、フランス政府が政府機関からZoomやTeamsを排除し独自の「Visio」に切り替えたことが引用されている。

だが英国自身は、その方向に動いているとは言い難い。スイス軍がPalantirを国家安全保障上の理由で拒否し、「完全な自律性」を掲げてスイス国内のクラウド・暗号化・AIを独自開発する方針を打ち出した一方で、英国は同じ企業にNHSと国防省だけで5億ポンド超の契約を与えている。

ある国防省内部関係者はこう警告した。「英国の防衛、医療、道路、電力網、産業基盤から得られるデータのモザイクを持てば、英国という主権国家のほぼすべてを詳細に理解できる。敵対国にとっても、特別な関係にある同盟国にとっても、その絵は地球上のすべての美術品より価値がある」

契約書に「データの所有権はNHS/国防省に帰属する」と書いてあることは、安心材料にならない。Good Law Projectのダンカン・マッキャンが指摘するように、Palantirのあらゆる契約には「秘匿と不透明さ」がつきまとう。規制当局が機能しているとは言い難い。

2027年2月──運命の分岐点

NHS契約の正式な終了日は2027年2月15日。ここが中途解約条項の発動ポイントであり、延長するかどうかの判断が迫られる。

しかし判断すべきDHSCは、NHS Englandの統合準備と財務レビューの只中にある。契約を推進した当時のCIO、CDO、CTOは 全員 が退職済みか、今月中に退職予定だ。

判断の主体は消えかけ、実務の責任者もいなくなる。それでも契約は存続し、データは流れ続ける。

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スイスは問いを発してから契約を結ぶ。英国は契約を結んでから問いに気づく。そしてフランスは、問いの答えを知りながら依存から抜け出せない。

Palantirの創業者ピーター・ティールはかつて「NHSは人々を病気にしている」と述べた。その企業に6,500万人の医療データを託すことの意味を、英国はようやく考え始めている。だが、考え始めた頃には、もう遅いのかもしれない。


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