見出し画像

重たい鎧(よろい)を脱いで、軽やかさを選ぶ

すれすれで生きてきた私
周りの人から、よく「謙虚だね」と言われます。(いやいや、全く自分では思わないですよ、と心の中でツッコミを入れながら)

有り難いことですが、自分ではその裏にある「やたらと重たい感じ」に、ずっと息苦しさを感じていました。
 
私の「重さ」は、考え方だけではありません。実は、体重も重いのです。心も体もずっしりと重くて、新しい変化を起こしたいのに、地盤に足がめり込んでいるみたいに動けない。そんな自分に、どこか焦りを感じていました。


そして、私がなかなか先へ進めない理由が、他にもあります。
それは、「集中できなくて、一つに絞れないこと」です。
 
振り返れば、いつもそうでした。 元夫のことはもう受け入れられない存在になっていたのに、いざ離婚となると、子供のことや周囲からの批判が頭をよぎって躊躇し、あれこれ悩む。仕事探しの時も、「何を一番の基準にすればいいんだろう」と迷ってばかり。
 
副業をやってみようと思っても、メルカリ、クラウドワークス、画像販売、ライター……「あれもいいかも、これもいいかも」と手を出しては、一つに絞りきれない。


いつも、誰かの意見を聞いたり、ネットで調べたり、動画を見たり。調べることばかりに時間を費やして、頭の中が情報でパンパンになり、結局その場でぐるぐると足踏みをしてしまう。そんな散漫な自分に、うんざりすることもありました。

まだあります。それは「自分を後回し」にすること。
でもこれは子育て中だったりするとそうなりがちかもしれません。だからと言って決して良いわけではないのです。
 
心の癖:焦る・迷う・自分を後回しにする私

私の心の中には、いつも「焦り」と「迷い」があります。そして、気づけばいつも「自分を後回し」にして、周りのことや目の前の現実に追われている。
 
そんな自分自身の性格の癖を、本当はもっと改善していきたいと思っています。
 
私は、焦りやすい。
すぐ迷う。
そして、気づけばいつも自分を後回しにしている。
 
焦るのは、ずっとギリギリの生活をしてきたから。
迷うのは、失敗したら立て直せないという恐怖が染みついているから。
自分を後回しにするのは、長い間「家族のため」「周りのため」に生きてきた名残。
 
この3つの癖は、私の人生をずっと重くしてきたのだと思います。
 
私には“静かな時間”が必要だった

本当は、静かに自分を振り返る時間が必要だと分かっていました。頭の中を整理して、心の声を聞く時間。
 
でも、現実の生活の中でその時間を取るのは難しい。仕事、家のこと、家族のこと。気づけば、いつも自分が一番後回し。「落ち着いて考える時間がほしい」そう思いながら、その時間を作れないまま、毎日が過ぎていました。
 
そこで、直ぐに頭に浮かんだのが「ずっとやりたかったことをやりなさい」(ジュリア・キャメロン著)のモーニングページです。このモーニングページというのを知って、早速、始めましたがなかなか継続ができませんでした。
 
3ページ書くのは全くできず、なんと2,3行だった時もあります。何もかけなかった日もありました。起きてすぐに書くのがいいというけれど、何時間も経った後にやっと書き始めるといった具合です。
 
かれこれ2年半近くになります。今のところ「継続できている」というより、「断続的」と言った方が正しいのかもしれません。
 
それでも、細切れであってもノートに向かって、頭の中のぐるぐるとした思いを書き出しています。たった数分でも、ノートに向かって自分の気持ちを書き出すと、心の中のざわざわした気持ちが少し落ち着く。焦りも迷いも、紙の上に置いてくることができる。誰にも言えない気持ちを、ノートだけは受け止めてくれるます。
 
そして最近、こう思うようになりました。
「自分を後回しにしない最初の一歩は、この静かな時間を守ることなのかもしれない」

まだまだ改善の途中だけれど、こうして自分を見つめる時間を持てるようになったこと自体が、私にとっては大きな変化。その短い時間だけが、今の私の小さなお守りになっています。
 
 
現実として、お金がない。それでも今日を生きている
これまで私は、本当にすれすれのところで生きてきました。 お金がなくて、支払いに追われて、頭が不安でいっぱいになって。「早く一つに絞って這い上がらなきゃ」と、いつも自分を追い詰めていました。
 
今、地方在住で、本人の手取りが11万〜15万円ほど。50代・60代の単身女性で、このような生活を送られている方は、他にもいらっしゃるのではないのかなと思います。この生活は、地方であっても正直ギリギリもしくは足りません。
 
だけど、本当に今はお金がないけれど、それでもこうして生きています。
体は動くし、パートの仕事もあります。


「ありがたい」と思える瞬間も確かにあります。けれど、気分が落ちている日は、何もかも嫌になって、誰にも会いたくなくなる。そんな自分にまた落ち込んでしまう。
 
それとともに「ありがたい」と思う気持ちと、「もう何もかも嫌だ」と思う気持ちが、静かに同居しています。ここは、なかなか簡単には拭い去れません。
 
それでも。 不思議なことに、以前に比べたら段違いに心が軽いのです。
この“軽さ”がどこから来ているのか? 最近ようやく分かってきました。
 

  1. 自分を責める力が少し弱くなったこと。

  2. 朝のジャーナリングで心の渋滞が減ってきたこと。

  3. そして、私はずっと誰かに支えられて生きてきたのだと、静かに受け入れられるようになったこと。

 
この3つが重なって、 私の心は少しずつ軽くなっているのだと思います。
 
お金がなくても、心が折れそうでも、 不思議と見えない“何か”に助けられてきたのです。

気づけばいつも誰かに支えられていた。
神様なのか、ご先祖様なのか、それとも周りの人たちなのか。

感謝と、これからの未来

完璧に一つに絞って、立派に這い上がろうとするのを、一度やめてみる。

「重くて、焦って、迷って、自分を後回しにしてしまう私のままで、ただただ今ここで生かされているんだ」という『静』の安心感を受け入れてみる。
 
振り返れば、私はいつもギリギリのところで助けられてきました。「もう無理だ」と思った瞬間に、ふっと道が開けることがありました。
 
決して大それたことではないけれど、それが神様なのか、守護霊さんなのか、ご先祖様なのか、周囲の人なのかは分かりません。でも確かに、私はずっと目に見えない“何か”に助けられ、支えられて生きてきた。今日まで生きてこれたんだもの!
 
不満もある。嫌になる日もある。それでも、「ありがたい」と思える瞬間が増えてきた。

だから、もう焦らない。
迷ってもいい。
自分を後回しにしない。
 
一つに絞れないのは、私がそれだけ「いろんな可能性にワクワクできる性質」だからかもしれない。重たいのは、それだけ人生に誠実だからかもしれない。だったら、その重さも散漫さも、無理に直そうとしなくていいんじゃないか。朝のジャーナリングの中で、そう自分を丸ごと許せるようになってきました。
 
小さな習慣を積み重ねて、すれすれの人生から静かに抜け出していく。未来は急には変わらないけれど、“今日の私”を少しずつ整えていけば、未来の私も必ず変わる。そう信じています。
 
できない日があってもいい。 焦っても、迷っても、立ち止まってもいい。 今日も私は生きている。それだけで、もう十分。
 
私、よくやっているよ。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!