雀の宮
小さなものに、大きな名が与えられていることがある。
それは、ときどき、人を立ち止まらせる。
雀。
宮。
その二つの字が並んだだけで、古い国の扉が、少しだけ開く気がした。
雀宮。
会社の部下の出身地だと聞いた。
地図で見れば、宇都宮の南にある町だ。
かつては日光街道の宿場町でもあったという。
JR宇都宮線の駅名でもある。
ただ、その説明よりも先に、私は名に立ち止まった。
雀宮。
小さな鳥と、宮。
この国の古い地名には、ときどき意味より先に響きが残っている。
あとで調べると、雀宮神社に由来する地名だという。
さらに、平安時代の歌人・藤原実方(ふじわらのさねかた)の魂が雀になって飛来したという伝承も残っていた。
そしてもう一つ。
「鎮めの宮(しずめのみや)」が変化して、「すずめのみや」になったという説まであるらしい。
私は、その説に少し惹かれた。
雀宮。
雀の宮なのか。
鎮めの宮なのか。
古い日本語は、ときどき意味を失っても、音だけは残る。
古事記にも雀は現れる。
天若日子(あめのわかひこ)の葬儀の場面。
鳥たちがそれぞれ役目を与えられ、雀は「碓女(うすめ)」として臼をつく役を命じられる。
鷹ではない。
鳳凰でもない。
雀だ。
人の暮らしの近くにいて、米のそばにいて、軒先にいて、死者の儀礼のそばにもいた小さな鳥。
その小さな鳥の名から、私は、もう存在しない日本の風景を思っていた。
軒先に雀が群れていた頃。
人が鳥の声で朝を知っていた頃。
駅前に巨大資本の看板より先に、畑の風が届いていた頃。
地名だけが、そういう時間をまだ抱えている。
そう考えると、「雀宮」という地名は不思議だ。
大きなものではない。
強いものでもない。
小さなものに、「宮」という字を与えた。
そこに、この国の古い感覚が、まだかすかに残っている気がした。
人はときどき、自分でも知らない時間を背負っている。
雀宮。
その名は、令和の地図の中で、静かに千年を抱えていた。
