「自分に恥じない選択」と、手放したい小さな遠慮
日々、仕事や育児に奔走する中でふと直面する「どう振る舞うべきか」という迷い。 今回の叶恭子さまの名言は、そんな背中をスッと真っ直ぐにしてくれるような力を持っています。
『人様に恥じない自分でいるよりも 自分に恥じない自分でいること のほうがよっぽど大切なわけですから。(叶恭子)』
周りの目が気になって「こうあるべき」「こうしなきゃ恥ずかしい」と縮こまってしまうことはありませんか? 今回は、この名言を胸に「最近思った『恥ずかしいからやめとこう』。それは、自分に恥じない選択だった?」という問いに向き合ってみたいと思います。
幼稚園行事でのモヤモヤ:本当はどうしたかった?
仕事の繁忙期と重なり、幼稚園の行事に参加できなかった日。 「他の親御さんとの接点も少ないし、気軽に写真をお願いするのは気が引ける……」と、結局「頼まない(やめておこう)」という選択をしたエピソードです。
後から振り返ってみると、
子どもを代わりに預かってほしいわけではない
単に「我が子の様子が写った写真がほしい」という純粋な願い
幼稚園の公式カメラマンも入るから、実はそこまで気にする必要もない
頭ではそう分かっているのに、「こんな私からお願いしたら迷惑かな」「浮いちゃうかな」という“人様からの見られ方”を気にして遠慮してしまったこと。 それは果たして、自分自身にとって胸を張れる(=自分に恥じない)選択だったでしょうか?
事実を切り分け、「遠慮」を手放す練習
仕事が忙しくてお迎えの時間が遅くなりがちなのも、限られた時間の中で精一杯向き合っているのも、まぎれもない「事実」です。
「仕事をしているのは事実なのだから、事実として割り切って写真をお願いすればよかった」 そう気づけたこと自体が、手放すステップだと感じます。
周りの目を気にして「恥ずかしいからやめとこう」と引っ込めてしまうのは、一見すると波風を立てない無難な選択に見えます。 けれど本当は、「我が子の思い出を少しでも残してあげたい」という自分の素直な願いを、他人の目を優先させて自分でフタをしてしまった瞬間かもしれません。
自分に恥じない自分でいるために
「人様からどう思われるか」よりも、「自分が自分の行動に納得できているか」。 完璧にはできなくても、次に同じような場面に出会ったときは、
「迷惑かも」ではなく「お願いしたい」という自分の気持ちを大切にする
周りの目を気にした遠慮ではなく、自分が心地よくいられる選択をする
そんな風に、日常の中で少しずつ「自分に恥じない選択」のほうを選び取っていきたいです。
