境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章第百十四話:次元上昇の歩法と、堕天使の誘惑
(視点:渡辺菜々)
冷たいコンクリートと無機質な蛍光灯の光に包まれた巨大な地下スタジアム。
私と美桜ちゃんは、意識を失ってぐったりと重くなったお姉ちゃん(和香)の身体を両側から必死に支えながら、その場で凍りついたように立ち尽くしていた。
つい先ほど、教団の『奇跡の象徴』である白鳥月姫様が振り下ろした天使の刃、『カグツチ』。
その冷たい切っ先が、ブラッドオレンジのストッキングを震わせて膝をついていた蜜柑さんの細い首筋を捉えるほんのコンマ一秒の差で、美桜ちゃんが命知らずのステップで彼女を救い出した。
しかし、絶対者である月姫様の逆鱗に触れた私たちの命運は、完全に尽きたかに思われた。
その絶望のどん底で、薄暗いロッカールームの扉から現れたのは、スーツを着た伊達という中年の男と、その隣に控える『カオリ』と呼ばれた大人の女性だった。
年齢は二十八歳くらい。
百七十センチほどの長身に、純白のタイトなノースリーブブラウスと、深い漆黒のハイウエスト・ペンシルスカート。
タイトなスカートの裾から伸びる脚は、五デニールの『シアーブラック』のストッキングに包まれ、洗練されたキャリアウーマンのような禁欲さと、強烈なフェティシズムを同時に放っている。
足元には、装飾の一切ない、黒のエナメルのポインテッドトゥ・ピンヒールパンプス。
彼女の大きなウェーブのかかった黒髪が揺れ、真紅のリップが知的な顔立ちに圧倒的な大人の色気を添えていた。
「私があの方を止めて見せます。策はありますので、ご心配には及びません」
その静かで自信に満ちた宣告とともに、カオリさんは黒のエナメルパンプスのピンヒールで、カツン、カツンと正確で無駄のない足音を響かせ、クリスタルのステージへと向かって歩き出した。
だが、その行く手を阻むようにして、純白のコートドレスを翻した一人の女性が立ちはだかった。
五億の脚値を持つ創薬研究員のトップであり、蜜柑さんの双子の姉、渡辺恋音さんだった。
彼女の五デニールの『アイスブルー』のストッキングが、地下の冷たい照明を反射して氷の結晶のような鋭い光を放ち、純白のエナメルポインテッドトゥパンプスが、カオリさんの歩みをピタリと遮るように置かれた。
「誰かは分かりませんが、これ以上月姫様の邪魔はさせませんよ」
恋音さんの声は、妹の蜜柑さんが処刑されそうになったことへの恐怖や苦悩を完全に押し殺し、月姫様への狂信的な忠誠心だけを絞り出したような、氷のように冷たく硬質な響きを持っていた。
カオリさんは、立ちはだかる恋音さんを前にしても、歩みのスピードを一切緩めることはなかった。
純白のブラウスと漆黒のペンシルスカートが、冷たい風を切る。
「私の邪魔をするのですかあなたは?」
カオリさんの声は、怒りでも焦りでもなく、まるで道端の小石に声をかけるような、心底不思議そうなトーンだった。
その圧倒的なまでの上位者としての見下しに、恋音さんの切れ長の瞳がピクリと不快げに細められた。
その時、後方で腕を組んで成り行きを見守っていた伊達さんが、無精髭を撫でながら下品に鼻を鳴らした。
「カオリ、目的は月姫だ、そいつは相手にするな」
伊達さんのその言葉は、まるで手飼いの優秀な猟犬に命令を下す主人のようだった。
「はい、伊達様、承知しました」
カオリさんは、一切の感情を交えることなく、ただプログラムされた任務をこなすように淡々と応じた。
そして、彼女は恋音さんに向かって真っ直ぐに歩き続けながら、静かに、けれど周囲の空間を歪めるほどの異様な響きを持った声で、その名を口にした。
「『アセンションウォーク』」
その瞬間、私の目は信じられない現象を捉えた。
カオリさんの歩法が、ただの洗練されたウォーキングから、全く別の『何か』へと変貌したのだ。
黒のエナメルのピンヒールがクリスタルの床を叩くリズムは変わらない。
しかし、彼女が纏っている空気が、明らかに『次元が上昇(アセンション)』したかのように、私たちとは全く違う位相の空間を歩いているような錯覚に陥ったのだ。
恋音さんが、アイスブルーのストッキングの脚を交差させ、迎え撃つためのポージングに入ろうとした。
しかし、恋音さんの視界の中では、迫り来るカオリさんの姿が、もはや手の届かない高次元の存在のように遠く、そして圧倒的に美しく、不可侵な神聖さを帯びて映ってしまったのだ。
三次元の空間を歩いているはずなのに、まるで神の視点から俯瞰されているかのような絶対的な劣等感。
相手にとっては、彼女がそこにいるのに絶対に触れることができない。
五デニールのシアーブラックの脚が、残像すらも残さず、認識が追いつかないほどの高次元の美として、脳の処理限界を軽々と突破していく。
カオリさんは、呆然と立ち尽くす恋音さんの真横を、まるでそこには誰も存在しないかのように、一切視線を合わせることなく、スッと素通りしてしまった。
圧倒的な、ウォーキング技術の究極形。
「が、はっ……!」
すれ違った直後、恋音さんの口から、空気を絞り出すような苦悶の呻き声が漏れた。
純白のコートドレスが乱れ、彼女はたまらずアイスブルーの脚の膝をクリスタルの床に強く打ち付けてしまった。
彼女の切れ長の瞳の白目が、一瞬にして赤い充血で染まる。
たった一度、すれ違っただけ。それだけで、五億の創薬研究員のライフゲージが、一瞬で半分も削り取られてしまったのだ。
(菜々の心:……あのカオリさんって、一体何者なの? 五億の恋音さんをあんなにあっさりと……まるで別次元の存在みたいだわ……!)
私は、息を呑んでその光景を見つめるしかなかった。
カオリさんは、膝をついた恋音さんを振り返ることすらせず、そのままステージへと続く数段の階段を、カツン、カツンと優雅に上って行った。
恋音さんが膝をついたその鈍い音に、ステージの中央に置かれた真紅の玉座から立ち上がっていた白鳥月姫様が、ゆっくりと視線を向けた。
月姫様の蒼い瞳は、自分に刃向かい、死刑執行を妨害した美桜ちゃんや、膝をついて喘いでいる蜜柑さんのことなど、もはや完全に視界から消し去り、無視していた。
彼女の興味は、完全に、新たにステージへと上がってきた漆黒のペンシルスカートの女、カオリさんに向けられていたのだ。
純白のシフォンAラインワンピースと、背中の繊細な白いレースの羽の装飾が、地下の冷たい風に揺れる。
五デニールのパールホワイトのストッキングに包まれた月姫様の脚が、透明なクリア素材と純白エナメルのプラットフォームパンプスで床を踏みしめる。
神か、それとも別次元の女神か。
月姫様は、カオリさんと相対するため、自らゆっくりと歩みを進め始めた。
漆黒と純白。
シアーブラックとパールホワイト。
二人の絶対的な存在が、クリスタルのランウェイの中央で、互いの美が最も暴力的な威力を発揮する『クリティカル距離』およそ五メートルの間合いで、ピタリと歩みを止めた。
静まり返った地下スタジアムに、伊達さんの場違いに軽い声が響いた。
「おい、カオリ、相手はあの月姫様だ。せいぜい楽しんでこい」
伊達さんは、相手が教団の絶対的な象徴であることを知りながら、まるでゲームの観戦でもしているかのようにヘラヘラと笑っている。
「はい、伊達様」
カオリさんは、主人の言葉に恭しく一礼して応えた。
その態度は、目の前に立つ十億の絶対神を前にしても、微塵の揺らぎもない。
月姫様は、そのカオリさんの不遜なまでの落ち着きを見て、蒼い瞳を不快げに細めた。
「もう1匹ネズミが増えたか。まあ良い、すぐに楽にしてやる」
月姫様の声は、鈴を転がすように澄んでいながら、絶対零度の冷酷さを孕んでいた。
彼女は、右手に持った白鳥家の奉納刀『カグツチ』を、ゆっくりと身体の横で構えた。
抜身の刃が、冷たい蛍光灯の光を反射してギラリと妖しく輝く。
「おい、ドブネズミ」
月姫様は、カオリさんを見下して言った。
「お前はまだ、その身にヴィーナスを入れてないのだろう? だったらこの舞をよく見るんだ」
月姫様の言葉に、私はハッとした。
確かに、後から乱入してきたカオリさんは、私たちのように『ヴィーナス』の注射を打っていないはずだ。
ヴィーナスが体内になければ、美脚の視覚的暴力が快楽中枢に直結することはない。
つまり、ランウェイバトルは成立しないはずなのだ。
しかし、月姫様の唇には、残酷な勝利の笑みが浮かんでいた。
「『堕天使の誘惑(ルシファー・フォール)』」
月姫様がその名を口にした瞬間、彼女の身体が、まるで無重力の空間を漂うように、ふわりと軽やかに舞い上がった。
純白のシフォンワンピースが限界まで広がり、パールホワイトのストッキングが、眩いばかりの神聖な輝きを放ちながら、流麗な円を描く。
そして、彼女の手に握られた『カグツチ』の刃が、空気を切り裂き、鋭く、そして美しく舞い踊った。
ヒュンッ! ヒュンッ!
刃が空を切るたびに、目に見えない強烈な「結界」のようなものが、ステージ上に構築されていくのが分かった。
天使のような純白の装いでありながら、その舞が放つオーラは、見る者を深い絶望の淵へと誘い込む悪魔の誘惑。
落ちていく快楽を強制的に視覚から体験させる、絶対的なポージングの連続。
そして、月姫様の言葉の真意が、そこで明らかになった。
「良い香り……ふふ、さすが天使様」
舞の正面で、その視覚的暴力をまともに受けていたカオリさんが、真紅のリップを引いた口元を歪め、恍惚としたようにも聞こえる声で呟いたのだ。
「その刀に塗ってあるのですね、『ヴィーナス』が」
その言葉に、私は戦慄した。
月姫様の振るう『カグツチ』の刀身には、あらかじめ高濃度のヴィーナスの成分がたっぷりと塗り込まれていたのだ。
刃が空を切る軌跡に合わせて、ヴィーナスの成分が気化し、不可視の美の結界とともに周囲に散布される。
相手は、その神々しくも背徳的な舞を見るだけで、呼吸と視覚から同時にヴィーナスを体内に取り込んだのと同じ状態、いや、それ以上の過剰なドーパミン分泌状態に陥らされてしまうのだ。
注射器で打つ必要すらない。
見るだけで、相手を強制的にランウェイバトルの土俵に引きずり込み、そのまま狂気の深淵へと突き落とす。
それが、十億の絶対神、白鳥月姫の戦い方。
「……くだらない」
しかし、カオリさんは、その圧倒的な舞の正面に立ちながらも、氷のように冷たく言い放った。
「あなたの舞を見て、私が魅了されるとでも思っているのかしら? これでどう?」
カオリさんは、漆黒のハイウエスト・ペンシルスカートの裾を軽く指先で持ち上げ、五デニールのシアーブラックの脚を、月姫様の舞の軌道に合わせるように、極めて精緻で複雑な角度に交差させた。
「奥義『アカシック・シンクロ(宇宙意識の接続)』」
カオリさんの言葉とともに、彼女の周囲の空気が、まるで宇宙の深淵を覗き込んだような、圧倒的なスケールの「黒」へと反転した。
彼女は、月姫様が刀から放つヴィーナスの成分や殺気を、防御しようとするのではなく、自ら進んで深く深呼吸するように体内に取り込んだのだ。
そして、自らの呼吸を相手の舞のリズムに完全に「同調(シンクロ)」させる。
月姫様の純白の舞のエネルギーが、カオリさんの漆黒のポージングに吸い込まれていく。
カオリさんは、相手のエネルギーを逆利用し、自身のシアーブラックの脚の魅力を、まるで宇宙の真理(アカシックレコード)のように際限なく拡張させ、それをそのまま月姫様へと強烈に跳ね返したのだ。
光と闇、純白と漆黒。
二つの次元を超えた奥義が、クリスタルのステージの中央で激しく正面衝突した。
ガァァァァンッ!!
視覚的なエネルギーの衝突が、物理的な衝撃波となってステージを揺るがせた。
私と美桜ちゃんは、気絶した姉さんを庇うようにして、その余波に耐えるのが精一杯だった。
数秒の均衡。
やがて、強烈な光と闇の渦が収まり、二人の姿が再び明らかになった。
月姫様とカオリさんは、互いに一歩も引くことなく、元の立ち位置でピタリと動きを止めていた。
しかし、二人の瞳には、明らかな変化が起きていた。
月姫様の蒼い瞳の白目も、カオリさんの漆黒の瞳の白目も、どちらも『ほんのわずかに』、赤い充血の糸が走っていたのだ。
お互いの究極の奥義が完全に相殺し合い、互角の攻防の末に、両者が僅かにライフゲージを削り合う結果となった。
十億の月姫様と、互角。
カオリという女性の底知れない実力に、私は息を呑むことしかできなかった。
「ルシファーですか?」
カオリさんが、真紅のリップを歪め、静かに、けれど明確な挑発を込めて月姫様に語りかけた。
「自覚があるのですね、ご自身が堕天使だという自覚が」
神の象徴として崇められる月姫様に対し、堕天使の汚名を着せる言葉。
しかし、月姫様は全く動じることなく、プラットフォームパンプスで床を軽く叩き、酷薄な笑みを浮かべた。
「ふっ、私は、神だぞ?」
月姫様の声が、地下空間に冷酷に響き渡る。
「悪魔だろうが、天使だろうが、全ての神格が備わっているのだ。お前ら人間ごときとは、住む世界が違うのだ」
自らを全てを内包する絶対者だと豪語する傲慢さ。
その言葉に、圧倒的なプレッシャーが伴っている。
その、神と女神の対峙の最中だった。
「ゆ、油断したな……姫様」
月姫様の背後、数メートル離れた場所から、途切れ途切れの、血を吐くような声が聞こえた。
それは、先ほど月姫様に首を斬り落とされそうになり、美桜ちゃんに間一髪で助け出されたものの、限界を迎えて膝をついていた渡辺蜜柑さんだった。
「な…な…にが、神だ。天……使だ。死ぬのは……お前だ、月姫……!」
蜜柑さんは、ブラッドオレンジのストッキングに包まれた脚を震わせ、黒のレザースカートの裾を握りしめながら、最後の執念で立ち上がりかけていた。
彼女の右手には、何か小さなガラスの小瓶が握られている。
「くらえ! 『パープルミスト』!!」
蜜柑さんは、最後の力を振り絞り、その小瓶を月姫様の背中めがけて思い切り投げつけたのだ。
「あっ……!」
月姫様は、背後からの突然の強襲に、わずかに蒼い瞳を見開いた。
彼女は、振り向きざまに右手に持っていた『カグツチ』を鋭く一閃させ、飛んできた小瓶を見事に空中で真っ二つに斬り捨てた。
パリンッ!!
ガラスが砕け散る音とともに、小瓶の中に封じ込められていた液体が、空中で一瞬にして気化し、毒々しい紫色の『ヴィーナスの霧(パープルミスト)』となって、月姫様の周囲にドワッと広がっていった。
「これは、まさか?」
月姫様が、紫色の霧に包まれながら、少しだけ怪訝な声を漏らす。
彼女の鼻腔に、その霧の成分が容赦なく吸い込まれていく。
「……ああ、お察しの通りだ姫様」
蜜柑さんが、荒い息を吐きながら、勝利を確信したような自嘲気味の笑みを浮かべた。
「そいつは、まだ試作品の……ヴィーナスの『改良型』だ」
「改良型?」
私は、たまらずステージの下から声を上げていた。
(菜々の心:……改良型!? ただでさえ恐ろしいヴィーナスを、さらに改良したっていうの? この教団の創薬研究員たちの執念は、本当に底知れない……!)
私の疑問に答えるように、蜜柑さんは膝をついたまま、得意げに解説を始めた。
「ああ。その身に改良型がわずかでも付着し、吸い込むと……ライフゲージの赤み、つまり相手が受けているダメージ量に応じて、強烈な『幻覚』を見るようになる。……今頃、姫様は、視界いっぱいに広がる無数の『美脚の幻覚』に苦しんでいるはずだ」
相手のダメージにつけ込み、存在しない美脚の幻影を見せ続けて脳を強制的に破壊する、悪魔の改良薬。
先ほどカオリさんとの攻防で僅かにライフゲージを削られていた月姫様にとって、この幻覚の霧は致命傷になるはずだ。
「やった……! これで、月姫様も……!」
私が希望の光を見た、まさにその直後だった。
「くだらんな」
紫色の濃密な霧の中から、月姫様の、全くダメージを感じさせない、底冷えするような声が響いた。
「えっ……?」
蜜柑さんの顔から、笑みが完全に凍りついた。
「吸え、『カグツチ』」
月姫様の短い命令。
その瞬間、信じられない現象が起きた。
月姫様の周囲に充満していた紫色のヴィーナスの改良型の霧が、まるで小さな竜巻のように渦を巻きながら、彼女の手にある『カグツチ』の刀身へと、みるみるうちに吸い込まれていったのだ!
「なっ……!?」
蜜柑さんが、驚愕に目を見開く。
『カグツチ』は、ヴィーナスを塗り込むだけでなく、周囲の霧や香りを刀身に強制的に「吸収」し、自身のエネルギーへと変換する恐るべき機能を持っていたのだ。
霧が完全に刀身に吸い込まれた直後。
月姫様は、純白のシフォンワンピースを翻し、『カグツチ』を頭上高く振りかぶった。
そして、一切の容赦のない、縦の一閃。
シュンッ!!
吸い込まれた紫色のエネルギーが、鋭い斬撃の軌跡となって空気を切り裂き、残っていた霧の残滓を完全に消し飛ばした。
「な……?」
自らの最後の切り札である改良型ヴィーナスを、いとも簡単に無効化され、蜜柑さんは絶望のあまり口をパクパクと動かすことしかできなかった。
その時だった。
「蜜柑さん。私たちの戦いの邪魔はしないでください」
蜜柑さんの背後から、漆黒のペンシルスカートを揺らし、カオリさんが音もなく忍び寄っていた。
彼女は、月姫様との戦いに水を差されたことに、明確な不快感を示していた。
「なっ……! お前、何を……!」
蜜柑さんが振り返ろうとした瞬間。
カオリさんは、先ほど恋音さんを沈めたあの次元上昇の歩法、『アセンションウォーク』を再び展開した。
黒のエナメルパンプスが床を叩き、シアーブラックの脚が、蜜柑さんの視界の端を、絶対的な高次元の美として通り過ぎる。
ただ、すれ違っただけ。
それだけで、すでにライフゲージが限界だった蜜柑さんの脳は、その圧倒的な美の暴力を処理しきれず、完全にショートした。
「あ……がはぁっ……」
蜜柑さんの瞳から光が消え、彼女は糸が切れたように、クリスタルの床へと無惨に崩れ落ちた。
五億の創薬研究員、渡辺蜜柑。
彼女は、味方だと思っていたはずの乱入者の一撃によって、完全に意識を失ったのだ。
(菜々の心:……なんて冷酷なの。あれほど身を挺して戦っていた蜜柑さんを、ただ『邪魔だから』って理由だけで一蹴するなんて。あのカオリさんからは、人間らしい感情が一切感じられない……!)
私は、倒れ伏す蜜柑さんの姿を見て、カオリさんに対する言い知れぬ恐怖と畏怖を抱いた。
彼女は、私たちの味方ではない。
ただ、自らの目的と美学のためにのみ動く、漆黒の死神だ。
月姫様は、蜜柑さんがカオリさんによって沈められたのを見て、蒼い瞳を細め、酷薄な笑みを浮かべた。
「ネズミの始末を、させてしまったな」
純白の絶対神と、漆黒の死神。
邪魔者が完全に排除されたクリスタルのステージで、二人の別次元の怪物たちが、再び互いだけを見据え、その美の矛先を交えようとしていた。
(境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章・第百十四話:次元上昇の歩法と、堕天使の誘惑 了)
本作に登場する人物、団体、地名、事件等はすべて架空のものであり、フィクションとしてお楽しみください。実在のものとは一切関係ございません。また、本作はAIとの共同作業により制作されました。
