境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章第六十三話:鑑定眼の火花、アトランティスの落とし子
(視点:若鷺サクラ)
「私は山田可憐。……この店のオーナーよ」
その一言が、モノトーンに統一された店内の空気を、静かに、けれど決定的に塗り替えていく。
私の心臓は、まるで恋愛小説のヒロインが運命の扉を開けた瞬間のように、トクンと高く跳ねた。
やっぱり、私の「オシャレの神様」からの神託は正解だったのだ。
これほどまでのカリスマ性と、周囲の光をすべて吸い込んでしまうような深い「黒」の魔力を湛えた女性が、単なる店員さんであるはずがない。
漆黒のミニドレスから伸びる、鏡のように磨き上げられたサイハイブーツ。
そのわずかな隙間、絶対領域に覗く五デニールの漆黒は、まるで深い夜の底を覗き込んでいるような、めまいを誘うほどの美しさ。
彼女は、美脚という名の芸術を支配する、誇り高き女王のように見えた。
(美鈴の心:この娘、栃内美瑠来と言ったわね。眼鏡の奥にある人懐っこい瞳や、どこか世俗を離れたようなのんびりとした空気感……。なんだか、性格の根底がサクラに似ている気がするわね。……けれど、油断は禁物だわ。山田可憐という女性にしても、この寂れた町で、これほどまでのプレイヤーとしての鋭さを研ぎ澄ませたまま保ち続けているなんて。……今日の占いで出た『ストレングス』。獅子の口を抑える力は、私に何を求めているのかしら。この圧倒的な実力者たちの前で、どう立ち振る舞えばいいというの……)
隣に立つ姉さんの表情が、私の手を握る力を強める。
姉さんの横顔は、いつもの冷静な「参謀」の顔になっているけれど、その奥で「黒」への拒絶感と、プロとしての警戒心が激しく火花を散らしているのが、肌を刺すような緊張感となって伝わってきた。
そんな張り詰めた沈黙を切り裂いたのは、姉さんの、氷のように透き通った声だった。
「……栃内美瑠来さん、と言いましたね」
姉さんは、オレンジ色のストールをふわりと揺らしながら大きなカップを啜る、あの眼鏡の女性を真っ直ぐに見据えた。
「あなた、ランウェイバトルの経験者だと言ったわね? ……だとしたら、同じ市場(マーケット)に関わる者として、一つ聞かせてもらえないかしら。あなたの『脚値(あしね)』は、一体いくらなの?」
姉さんの問いは、まるで冷たいナイフの先を突きつけるような鋭さがあった。
「別に答えたくなければいいわ。ただ、個人的に少し興味が湧いただけだから」
美瑠来さんは、ストローを唇から離すと、ずり落ちかけた眼鏡を人差し指でクイと押し上げた。
その動作はどこかユーモラスで、私の失敗を誤魔化す時の仕草に似ていて、なんだか憎めない愛嬌がある。
けれど、彼女の口から零れ出した言葉は、私たちの予測を遥かに上回る情報量を含んでいた。
「……はい! 私、栃内美瑠来は、身長百六十八センチ、体重五十一・二キロ。年齢は二十二歳、現在独身です! 脚値は現在二億五千万。趣味は読書と静かなカフェ巡り、趣味は旅行とゲームです。あ、ゲームは主にRPGを好んでプレイします。仕事はフリーランスのWebライターをやっていて、旅行ブログの執筆やSNSの運用代行をして生計を立てています。……あとは、副業でアトランティスさんのお手伝い、脚値の精査を行う『審査員』も担当させていただいております!」
「……えっ」
あまりにも淀みのない、まるで官公庁の窓口で自己紹介でもしているかのようなプロフィール開示。聞いてもいない体重や、ましてや独身であることまであっけらかんとさらけ出す彼女のペースに、私は完全に呆気に取られてしまった。
(美鈴の心:アトランティスですって? しかも、その機密に関わるような立場をこれほど堂々と口にするなんて……。この娘、何を考えているの。……それにしても、聞いてもいないことまでよくもまあここまで喋るものね。……あぁ、だからサクラの強引な握手も拒まなかったわけだわ。……天然同士、類は友を呼ぶということかしら。……おかげで、少なくとも彼女に「裏」がないことだけは、はっきりしたけれど。むしろ表に出しすぎだわ……)
姉さんは力なく首を振り、自分の中で奔流のように流れ込んできた情報を整理しようとしているようだった。
けれど、彼女の鋭い「鑑定眼」は、美瑠来ちゃんの言葉の中に潜む、最も重いキーワードを逃さなかった。
(美鈴の心:脚値の審査員? ……だとしたら、この娘が私たちの、事務所のメンバーの価値までも裏で精査していたというの? もしそうなら、この出会いは偶然という言葉では片付けられないわ……)
姉さんは、美瑠来ちゃんへの不信感を、仕事に対する純粋な疑問へとすり替えて問いかけた。
「……ねえ、美瑠来さん。脚値の審査員をしているということは……私たちの脚値も、あなたが決めていたということなの?」
姉さんの鋭い追及に、美瑠来ちゃんはオレンジ色のストールを少し直し、困ったように首を傾げた。
「いえ、皆さんの脚値を決めたのが私かどうかは、データを見ない限り分かりません。なにせ、審査員は全国にたくさん散らばっていますから。私の担当エリアは、あくまでこの北陸地方に関してだけですし。でも、北陸を担当している審査員だけでもかなりの人数がいますから……」
「あら」
山田可憐さんが、漆黒のミニドレスの裾を優雅に払いながら、私たちの会話を遮るように微笑んだ。
「彼女たちは、おそらくこの地方の人間ではないわよ。……そうでしょ、サクラちゃん?」
「は、はい! 私は関東地方の出身です。姉さんも……あ、はい、一緒です!」
私は元気よく答えた。可憐さんのあの、全てを見透かしているような琥珀色の瞳に見つめられると、隠し事なんて不可能な気がしてしまう。
「だとしたら……。美瑠来ちゃん、もしかしたら私の脚値を決めたのは、あなたかもしれないわね?」
可憐さんは、いたずらっぽく微笑み、サイハイブーツに包まれた圧倒的な脚をゆっくりと組み替えた。
「えっ……? あなたは、北陸の方なのですね? お名前は、可憐さん……でしたね?」
美瑠来ちゃんは、自身のスマートフォンを素早く取り出すと、画面を高速でスクロールし始めた。
Webライターという職業柄か、情報の検索速度は尋常ではない。
「……ありました。山田可憐さん。北陸エリア、重要管理プレイヤー。……ええっと、脚値は……えっ!? な、なな……七億ですかぁぁぁぁっ!?」
「「……七億……ッ!!」」
店内に、私と姉さんの絶叫に近い驚愕が響き渡る。
七億。
それは、工藤来夏さんの七億七千万に匹敵する、まさに神の領域に属する数字。
目の前に立つ、この美しい店長さんは、引退したとはいえ、かつては美脚市場の頂点に君臨した「匠」そのものだったのだ。
「ふふ、驚かせちゃったかしら。美瑠来ちゃんも、審査員としてたくさんの脚を見てきたでしょうから、無理もないわよね」
可憐さんは、私たちの動揺を心地よさそうに聞き流しながら、優雅に髪をかき上げた。
(美鈴の心:七億。……脚値だけでみると、あの工藤来夏と同等の存在。……アトランティスの審査員すら驚愕させるほどの「価値」。……今日の占いで出た『ストレングス』。……それは、この巨大な「力」を味方につけろ、という暗示だったのね……。私の知らない間に、運命の歯車が噛み合ってしまったわ……)
姉さんは、自分の中でタロットの暗示を強引に納得させているようだった。
けれど、私の心の中は、驚きとは別の、もっとキラキラした感情で満たされていた。
「美瑠来ちゃん! 今の自己紹介、私、すっごく嬉しいです!」
私は思わず一歩詰め寄り、美瑠来ちゃんの両手を握りしめた。
「私、若鷺サクラも二十二歳なんです! それに私も読書が大好きで、いつか甘い恋愛小説を書きたいなって思っているんです! それから、カフェでお団子を食べたりするのも大好きで……。なんだか私たち、年齢も趣味も、それになんだか性格までそっくりじゃないですか! わあ、なんだか運命の親友に出会えたみたいで、私、もう感激です!」
私の全開の天然エンジンによる喜びの爆発に、美瑠来ちゃんも眼鏡をキラリと光らせて反応した。
「わあ、サクラちゃんも!? 同い年なんて最高ですね! 小説ですか、素敵! 私もライターなので、お話が合いそうです! カフェ巡りの情報交換もしましょう!」
「はい! ぜひ!」
私と美瑠来ちゃんの、まるで女子大のラウンジのような盛り上がりに、姉さんは今度こそ完全に脱力したようだった。
(美鈴の心:それにしても、不思議だわ。アトランティスの人間が、なぜこのタイミングで、この静森町にいるの? 教団本部のすぐ近くにある、こんな不気味なほど洗練されたブティックに。……単なる仕事? それとも、彼女個人の趣味の旅行?)
姉さんの心の声に同調するように、私の直感が、美瑠来ちゃんの存在を捉えようとする。
彼女からは、教団の人たちのようなドロドロとした嘘の匂いが全くしない。
「美瑠来ちゃん、美瑠来ちゃんはこの町に何しに来たの? 旅行かな?」
私は、我慢できずに再び質問をぶつけた。
姉さんが「サクラッ! あんたはまた直球を……」という顔をして頭を抱えるのが視界の端で見えたけれど、美瑠来ちゃんはまたしても、あまりにも正直な答えを返してきた。
「いえ、私はアトランティスの上層部の方の指示で、この町に来ました。具体的な内容については、まだ秘密なんですけどね!」
「……えっ」
姉さんが、今度こそ完全に絶句した。
(美鈴の心:は? なに、この会話のテンポは? サクラは私の考えていることをあっさりと言うし、この娘はこの娘で、隠しもせずにはっきりと言うなんて。……言おうかどうか悩んでいる私が、なんだか酷く馬鹿に見えてくるわ。……この人たちと一緒にいると、私の『慎重さ』が、ただの『時間の無駄』に思えてくる……)
姉さんは、自身の額に手を当てて、力なく首を振った。
山田可憐さんは、そんな私たちのドタバタ劇を眺めて、鈴を転がすような声で笑い出した。
「ふふっ! あなたたち、本当に面白いわね。サクラちゃんに、美瑠来ちゃん。……そして、苦労人の美鈴ちゃん」
可憐さんは、レジカウンターに置いていた「CLOSE」のプレートを手に取った。
「ねえ、三人とも。ここで会ったのも、きっと何かの縁だわ。どうかしら、このあと予定がないなら、みんなでご飯でも食べに行かない?」
「ご飯!」
私は、お団子のことが一瞬で脳内から消え去り、その提案に飛びついた。
「行きたいです! 可憐さんのおすすめのお店、教えてください!」
「私も大賛成です〜! 可憐さんのようなレジェンドの方と、ゆっくりお話ししてみたかったんです!」
美瑠来ちゃんも、瞳を輝かせる。
一方、姉さんは一人、腕を組んで考え込んでいた。
(美鈴の心:もちろん、賛成だわ。ここでこの二人、伝説のプレイヤーと、アトランティスの審査員から情報を聞き出さない手はない。……けれど、あえて私は、一歩引いておくべきかしら。……この二人の出方を待つことに……)
姉さんの迷いを見透かしたように、可憐さんはニヤリと口角を上げた。
「……私は、せっかくここまで来たんだから、もう少しこのお店の服を選びたいのだけれど。……ショッピングの続きはどうなるのかしら?」
姉さんはあえて、渋るような表情を作ってみせた。
けれど、可憐さんはそんな姉さんの隣に音もなく寄り添い、耳元で囁いた。
「いいじゃない、美鈴ちゃん。……ご飯に行けば、あなたが今一番知りたがっていること、全部教えてあげるから」
強引で、けれど抗いがたい、黄金の匠の説得。
可憐さんは、姉さんの瞳の奥にある「黒」への恐怖や、教団への疑念を見抜いた上で、その好奇心を最も刺激する餌を投げたのだ。
「……全部、ですか?」
姉さんの瞳が、大きく揺れた。
「ええ。……あなたたちの知りたいこと『全部』よ、どう?」
姉さんは、今度こそ完全に降参したように、大きくため息をついた。
「……分かりました。……そこまで言われて、断る理由はありませんわ。……行きましょう、ご飯へ」
「よし、決まりね!」
可憐さんは手際よく店の照明を落とし、入り口の鍵を閉めた。
重厚なガラスドアを背に、私たちは静森町の商店街へと踏み出す。
「この近くにね、私の行きつけのパスタがとっても美味しいお店があるの。そこでゆっくりお話ししましょう」
冬の夕暮れが、町の建物を長い影で染めていく。
山田可憐さんを先頭に、私、美瑠来ちゃん、そして最後尾を歩く姉さん。
カツカツという音が、寂れた商店街に、反撃の足音のように力強く響き渡る。
美味しいパスタの香りと、隠された真実。
私たちは、運命という名の鉄道に乗って、次の駅へと向かって動き出した。
(境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章・第六十三話:鑑定眼の火花、アトランティスの落とし子 了)
本作に登場する人物、団体、地名、事件等はすべて架空のものであり、フィクションとしてお楽しみください。実在のものとは一切関係ございません。また、本作はAIとの共同作業により制作されました。
