エリートの陥落~THE 学歴~ 第2話
銀座の最高峰ラウンジ「ノクターン」のバックヤードは、重苦しい緊張感に包まれていた。
「沙織さん……本当に申し訳ない、お願いできるかい?」
店長が汗を拭いながら、切実な眼差しで沙織に頭を下げていた。
周囲のボーイや他のホステスたちも、疲弊しきった表情で遠くのVIPルームをチラチラと気にしている。
「今夜のメインVIPのお客様……高嶺涼介(たかみね・りょうすけ・26歳)様なんだが、とにかく手が付けられないんだ。小学校、中学校、高校、そして東京大学まで、すべて首席・ダントツのトップ成績で卒業した超エリートらしくてね。現在は大手メガバンクの最若手プロジェクトリーダーらしいんだが……」
「まあ。すべて首席だなんて、素晴らしい学歴ですね♡」
沙織は鏡の前でリップグロスを塗り直しながら、甘い声で応じた。
「……それが、自分の優秀さを鼻にかけて、スタッフや他のキャストへの態度が酷くてね。『能無しども』『俺の時間を無駄にするな』と威張り散らして、すでに新人キャスト二人が泣かされて部屋を飛び出してしまったんだよ。自分にとっては世の中すべてが『イージーゲーム』すぎて退屈でたまらない、と……」
「ふふっ。世の中がイージーゲーム、ですか」
沙織は唇の端をわずかに吊り上げた。
彼女はすでに、バックヤードのモニターと隙間からの観察で、その「高嶺涼介」という男の挙動を完璧にスキャンし終えていた。
彼がグラスを持つ手の、微かな力み。
ボーイを怒鳴り散らしている最中も、廊下を通り過ぎるホステスたちの「足元」にコンマ数秒だけ吸い寄せられる、血走った視線。
そして、仕立てのいいビスポークスーツの胸元から漂う、女性に対する免疫が一切存在しない男特有の、過剰な緊張と防衛本能の匂い。
『小・中・高・大、すべて首席……。勝負事で一度も負けたことがないからこそ、自分を絶対的な神だと信じ込んでいるのね。でも、その実態は女性経験ゼロの完全な童貞。……それもただの童貞じゃないわ。極度の「15デニール・シアーベージュ」を好む脚フェチで、特定のシチュエーションに異常な執着を持つ妄想癖の塊』
沙織の天才的な観察眼と推察力は、彼の隠された過去まで鮮明に描き出していた。
『高校時代、教壇に立っていた美脚の女性教師……。その先生が履いていた薄手のベージュストッキングの脚に、彼は放課後、放熱するピアノの横で生唾を飲み込みながら見とれていた。触れたくて触れたくてたまらなかったけれど、首席というプライドが邪魔をして、拒絶される恐怖に勝てず、結局指一本触れることができなかった……。その幼い屈辱と渇望を、「イージーゲーム」という言葉の鎧で隠しているだけ』
沙織にとって、この男を攻略する――いや、手のひらで転がして絶望の底に突き落とすことなど、呼吸をするよりも簡単な作業だった。
「大丈夫ですよ、店長。私がその素晴らしいエリート様を、心からおもてなしして差し上げますわ♡」
沙織はゆっくりと立ち上がった。
本日の沙織の「武装」は、深みのあるエメラルドグリーンのシルクサテンタイトドレス。
胸元は上品なスクエアカットだが、右側に入った鋭いスリットからは、彼女の最大の武器である美脚が惜しげもなく覗いている。
そして、その美脚を包むのは、イタリア製の十五デニール・極薄シアーベージュのストッキング。
アンバーの照明を反射してしっとりとした真珠のような光沢を放ち、脚の隆起に沿って艶やかな影を作る。足元には、10センチの漆黒のポインテッドトゥヒール。
カツン、カツン。
絶対的な美と知性を宿した足音を響かせ、沙織はVIPルームのドアを開けた。
VIPルームの中では、高嶺涼介がソファの真ん中に不遜な態度で深々と腰掛け、グラスの氷を乱暴に揺らしていた。
端正な顔立ちには猛烈な傲慢さが張り付き、全世界を見下すような冷ややかな冷笑を浮かべている。
「おい、遅いぞ。この俺の貴重な時間を何だと思っている。この店のスタッフはどいつもこいつもIQが低すぎて話にならん」
涼介は入ってきた沙織を一瞥し、鼻で笑った。
「失礼いたします。沙織と申します。涼介様のような素晴らしい方のお席につくことができて、光栄ですわ♡」
沙織は完璧な営業スマイルで隣に腰を下ろした。
「ふん……。どうせお前も、俺のスペックと経歴を聞いて媚びを売りに来たんだろう。言っておくが、俺は小中高大すべて首席だ。この国のほとんどの人間は俺より頭が悪い。ビジネスも投資も、俺にとってはルールが簡単すぎるイージーゲームに過ぎないんだよ」
涼介は胸を張り、雄弁に語り始めた。
しかし、彼がどれほど威張り散らそうと、その視線は会話の合間に何度も、沙織のドレスのスリットから覗く15デニールのシアーベージュへと滑り落ちていた。
『……ふふっ。可哀想なくらい、分かりやすいわね』
沙織は内心で絶対的なマウントを取り、冷徹に嘲笑していた。
『どれだけ「イージーゲーム」だとイキってみせたところで、あなたの脳内は今、私の15デニールの光沢でいっぱいなのよ。触りたい、でもエリートとしてのスマートさを装いたい……。その浅ましい葛藤が、全部透けて見えているわ』
【作戦1:お酒の受け渡しに乗じた「スマートな接触」】
涼介の頭の中では、過熱した全能感が渦巻いていた。
『俺は小中高大すべて首席の男だ。世の中の女など、俺の優秀さと圧倒的なステータスを見せつければ、向こうからひれ伏す。……だが、露骨に迫るのは美学に反する。スマートに、自然な流れでこの女の脚に触れ、俺の所有物にしてみせる』
「沙織さん、喉が渇いたな。グラスを取ってくれないか」
涼介はさも横柄な客を装いながら、沙織がグラスを差し出してくるタイミングを見計らった。
沙織がグラスを差し出す瞬間、自分の手を滑らせて彼女の手に触れ、そこからごく自然な勢いで、彼女の膝元――15デニールの極薄ナイロンが包む太ももへと手を滑らせる。
『完璧だ。グラスの受け渡しという日常的な動作の中での事故。拒絶する理由などどこにもない!』
涼介の指先が、沙織の太ももの数センチ手前にまで迫った、まさにそのコンマ一秒前。
「あ、涼介様! お氷が少し溶けておりますね。すぐにお作り直しいたします♡」
スッ……。
沙織は、涼介の動作と寸分狂わぬタイミングで、グラスをスッと手前に引き、そのまま優雅に立ち上がった。
「え……!?」
涼介の指先は、虚しく空を撫でた。
触れるはずだった15デニールの温もりはそこにはなく、彼の手の中には冷たい空気だけが残された。
「すぐに新しくお作りしますね♡」
沙織はアイスペールへ手を伸ばし、完璧な笑顔で水割りを念入りに作り始めた。
『くっ……! なんだいまのは……!? 偶然か!?』
涼介の胸の中で、黒い悔しさがチリチリと芽生えた。
すべてがイージーゲームだった自分が、ただのホステス相手に最初の「動線」を外されたのだ。
【作戦2:イージーな社会構造の解説と距離の詰破】
『落ち着け……俺はすべてのテストで満点を取ってきた男だ。一度の計算違いなど誤差に過ぎない。次はもっと不自然さのない、確実なロジックで追い詰めてやる』
涼介は咳払いをし、眉間にシワを寄せて語りかけた。
「沙織さん。君は現代の社会構造がいかに単純か知っているかい? 結局、頭の良い人間が構築したシステムの上で、有象無象が踊らされているだけなんだ。僕が手掛けた最新の金融モデルの資料がスマホにある。少し近くで見るといい」
涼介はスマートフォンを取り出すと、画面を点灯させ、ソファの上でじりじりと沙織の方へと距離を詰めていった。
自分の右肩が沙織の肩に触れそうな位置。
そして、スマホを持つ手の肘から先を、沙織の組んだ脚――15デニールのストッキングが描く滑らかな膝頭へとなだらかに降ろしていった。
『画面を見せるという大義名分! 逃げ場はない!』
涼介の指先が、ストッキングの表面の微かな熱気を感じ取ろうとした、その瞬間。
シュルッ……。
静かな室内に、ナイロン同士が擦れ合う妖艶な音が響いた。
沙織が、右脚を左脚の上にゆっくりと、そして深く組み替えたのだ。
組み替えられた脚によって、15デニールのシアーベージュはさらに張り詰め、光を反射して艶やかに浮かび上がった。
しかし、その脚の位置は、涼介の手が伸ばされた軌道から完全に「外側」へと回避されていた。
「まあ! 金融のモデルですか? すごいですぅ! でも私、難しい画面を見るとクラクラしちゃいそ〜う♡」
沙織は、スッと身体を後ろへ退かせ、胸の前で可愛らしく手を叩いた。
「っ……!? ガッ……!!」
涼介の口から、奥歯を噛み締める音が漏れた。
二度目だ。
完璧な動線計算が、またしても完璧なタイミングでかわされた。
『なぜだ……!? なぜ触れられない!? 俺の計算が……俺のロジックが外れているというのか……!? 悔しい……ッ! 気が狂いそうに悔しい!!』
【作戦3:灰皿の移動を装った「物理的トラップ」】
涼介のプライドは激しく逆撫でされていた。
全戦全勝の人生で、指一本触れることすら叶わないという屈辱。
『認めない……! 俺の人生に「不可能なゲーム」など存在しない! 今度こそ、逃げ場のない確定ラインを作ってやる!』
涼介はタバコを取り出すと、わざと手元を狂わせ、テーブルの上のガラスの灰皿を、沙織の膝のすぐ近くへとカチャリと滑らせた。
「おっと失礼。灰皿が遠かったな」
涼介は身を乗り出し、灰皿を自分の手前に引き戻すフリをして、その手を大きく弧を描かせながら、沙織の太ももへと直接滑り込ませた。
『灰皿を引き寄せる動作の延長! これなら絶対に防げない!』
指先が、十五デニールの光沢まであと二センチ――!
スッ……。
沙織は、今度はグラスをテーブルに置く優雅な動作とともに、上半身を少しだけ前傾させた。
その所作に伴い、彼女の美脚はぬめりのある動作でスッと後方へと退避した。
カツン。
涼介の指先は、またしても虚しくテーブルの木目を擦った。
「まあ! 涼介様って、本当に手先がお綺麗でマメな方なんですねぇ♡」
沙織は、無邪気そのものの笑顔で涼介を褒めたたえた。
「く……っ、あ……っ……!!」
涼介の額から、じっとりと冷や汗が滲み出た。
三度連続。
完璧な事故の演出すら、まるで最初から軌道が見えていたかのように、1ミリの狂いもなくかわされたのだ。
『うそだろ……!? なんだこの女は!? 避けているのか? いや、避けている素振りなど微塵もない! なのに、俺が触れようとするその瞬間にだけ、完璧なタイミングで位置を変える……! 俺の動線が、ことごとく完敗しているというのか……ッ!?』
涼介の脳内で、「イージーゲーム」という前提が音を立てて崩壊し始めていた。
【クライマックス:絶対的心理攻撃と完全崩壊】
涼介の精神はすでに限界を迎えていた。
指先かすめることすらできない莫大な屈辱感と、目の前で輝く15デニールの光沢への欲望が混ざり合い、彼の頭脳をパニックに陥れていた。
『ダメだ……このままでは終われない! 俺は小中高大すべて首席の高嶺涼介だぞ! この女に負けを認めるなど、俺の人生のすべてを否定することになる!』
涼介は必死に動揺を押し隠し、無理やり威厳のある顔を作ろうとした。
「沙織さん……僕のような人間が君に興味を持っているんだ。君にとっても、これは滅多にないチャンスだと思うがね?」
言葉でマウントを取り、沙織を威圧しようとする涼介。
しかし、その声は微かに震えていた。
沙織は、グラスを静かにテーブルに置くと、とろけるような笑みを浮かべたまま、涼介の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「涼介様って……本当に素晴らしい学歴をお持ちで、世の中をイージーゲームだとおっしゃるくらい、お強い方なんですのね♡」
「あ、当たり前だ……。俺に解けない問題など存在しない」
涼介は強がって胸を張った。
しかし、沙織の次の言葉が、彼の心臓を直接掴み上げた。
「でも……なんだか不思議ですわ」
沙織は小首を傾げ、ごく軽い、甘いトーンでささやいた。
「涼介様って……高校の時、すごく綺麗で素敵な『女性の先生』がいらっしゃいませんでした?」
「……っ!?!?!?」
涼介の全身の血液が、一瞬で逆流した。
目が限界まで見開かれ、息が喉に詰まる。
「え……な、なにを……何を言っているんだ……!?」
「その先生が履いていらっしゃった……ちょうど今の私のような、薄いベージュのストッキングの脚。……放課後、放熱するピアノの横で、ずっと触れたくてたまらなかったのに……『首席の僕が拒絶されたらどうしよう』って怯えて、指一本触れられなかった……そんな可愛らしい思い出がおありなんじゃないかしら? ……ふふっ♡」
ドカンッ!!
涼介の脳内で、巨大な爆弾が炸裂した。
『な……なぜ……!? なぜそれを知っている……!? 誰にも……親にも、友人にも、誰一人として話したことのない、俺の人生最大の秘密とトラウマを……!!』
恐怖。
圧倒的なパラノイア。
沙織の瞳の奥には、表面上の甘い笑顔とは対極にある、絶対零度の冷徹な光が宿っていた。
彼女は、涼介のすべてを知っていたのだ。
彼が小中高大首席だとイキりながらも、一度も女性に選ばれたことがない童貞であることも。
彼が15デニールのベージュストッキングに狂おしいほどの執着を抱いていることも。
そして、彼が仕掛けた浅はかな「小細工」の数々も、最初からすべて見抜いた上で、猫がネズミをもてあそぶように完璧にかわし続けていたということも。
「あ……が……あ……」
涼介の口から、情けない漏れ声が出た。
自分が誇ってきた「首席」という看板も、「イージーゲーム」という言葉も、沙織の前ではただの「童貞男の浅知恵を隠すための薄っぺらい鎧」に過ぎなかった。
自分が完璧だと思っていたアルゴリズムは、沙織の微笑みと15デニールの光沢の前に、影も形もなく粉砕されたのだ。
「涼介様? どうなさったんですか? お顔色が悪いようですけれど……♡」
沙織は心の底から心配そうに顔を覗き込んできた。
しかし、その存在そのものが、涼介にとって絶対的な敗北の象徴だった。
「――お待たせいたしました、涼介様。お時間ですので、お会計の伝票をお持ちしました」
絶望の淵に沈む涼介の元へ、沙織は黒いレザーのバインダーを手に、すっと立ち上がった。
15デニールのストッキングに包まれた美脚が、涼介の目の前にすっと伸びる。
それは、彼が喉から手が出るほど欲しながら、何度も作戦を練って手を伸ばしながらも、指一本触れることすら叶わなかった、絶対的な拒絶の象徴。
「こちら、本日の明細になります。ご確認くださいませ♡」
沙織は完璧なお辞儀とともにバインダーを差し出した。
涼介は、ガタガタと目に見えて震える手でバインダーを開いた。
そこに印字されていたのは、高額な数字だったが、今の彼には異議を唱える知性すら残っていなかった。
「カ……カードで……」
涼介は、擦り切れた声で言いながら、財布からクレジットカードを取り出した。
それは、彼が「首席のエリート」であることを誇るためのステータスカードではなく、学生時代から使っている、ごく普通の平カードだった。
沙織は、そのカードを恭しく受け取った。
「かしこまりました。……暗証番号の入力をお願いできますか? 手が震えていらっしゃいますけれど、大丈夫ですかぁ?」
沙織は決済端末を涼介の前に差し出した。
甘い声。
しかしそのポジションは、足元で打ちひしがれる敗北者に対し、事務的な手続きを命じる絶対的な支配者のものだった。
「あ……ああ……」
涼介は、震える指で暗証番号を打ち込んだ。
その間も、彼の視線は沙織の15デニールの足元に注がれていたが、そこにはもはや攻撃的な欲望はなく、ただ、圧倒的な知性と魔性の前に跪く者の、怯えきった服従だけがあった。
「ありがとうございます。お忘れ物のないよう、お気を付けてお帰りくださいませ♡」
沙織は一分の隙もないお辞儀をして、最後に極上の笑みを浮かべた。
「すべてのテストで満点を取られてきた素晴らしい頭脳で、これからも素敵なお仕事をなさってくださいね。さようなら♡」
カツン、カツン。
15デニールの美脚と10センチのヒールが奏でる、冷たく美しい足音がVIPルームに響き渡る。
沙織は一度も振り返ることなく、優雅に扉を開けて去っていった。
取り残された高嶺涼介は、深くソファに沈み込んだまま、立ち上がることすらできなかった。
「……俺は……俺のイージーゲームは……」
彼が26年間の人生で築き上げてきた誇り。
すべて首席というブランド。
それらすべては、たった一人の女の冷酷な知性と、15デニールの極薄ナイロンの前に、完膚なきまでに粉砕されたのだ。
深夜の銀座の街に放り出された涼介を、冷たい夜風が容赦なく吹き抜けた。
彼の心には、一生消えることのない「完全なる敗北の刻印」が刻み込まれていた。
(エリートの陥落~THE 学歴~ 第2話 了)
本作に登場する人物、団体、地名、事件等はすべて架空のものであり、フィクションとしてお楽しみください。実在のものとは一切関係ございません。また、本作はAIとの共同作業により制作されました。
