『境界線上の視線』 in 三国志 ~異世界転生編~ 第三話:美髯公の威風と母の雷鳴
プロローグ:白眼視とため息のストリート
砂煙を巻き上げながら、涿県の街道を三騎が駆け抜けていく。
初夏の強い日差しが照りつける中、街のメインストリートに近づくにつれて、馬の歩みを緩めざるを得なくなった。
路肩には、酒場の方角から響くけたたましい破壊音に怯えつつも、野次馬根性を抑えきれない町人たちが大勢あふれ出していたからだ。
パッカ、パッカと石畳を叩く蹄の音。
その真ん中で、私は栗毛の馬の背に跨がり、慎重に手綱を握り直していた。
現代のオフィス街なら、タイトスカートに5デニールの極薄ストッキング、そしてパンプスという装いは、ごく標準的なキャリアウーマンの出で立ちに過ぎない。
しかし、二千年前の古代中国——それも粗末な麻布や革衣を纏う民衆が行き交うこの涿県においては、それはもはや異世界の特異点そのものだった。
太陽光が降り注ぐたび、極細の単繊維で編み上げられた5デニールの表面が、まるで朝露を纏ったガラス細工のように淡い光沢を放つ。
馬の腹を締めないようピンと伸ばされたふくらはぎのしなやかなラインと、引き締まった足首。
風がスカートの裾を揺らすたび、布地の境界線から覗く艶めかしい陰影が、道行く人々の視線を磁石のように吸い寄せていた。
(……うっ、痛い。視線が痛すぎる……!)
私は馬上で引きつった笑みを浮かべながら、正面だけを見据えた。
周囲の男たちの目が、露骨なまでに私の脚元に釘付けになっているのだ。
荷車を引く農民も、店先で湯気を上げていた饅頭屋の親父も、警備にあたるはずの門番までもが、顎が外れそうなほど口を開け、吸い寄せられるように私の足首から膝上へと視線を這わせている。
「お、おい……見ろよ、あの御婦人の足を……!」
「ありゃあ、一体なんだ……? 素肌のようにも見えるが、光の加減で絹のように滑らかに輝いてやがる……」
「天女か……? いや、都の貴人だってあんな不思議な履物は身につけちゃいねぇぞ……!」
男たちのざわめきが波のように広がる。
だが、問題は男たちの視線だけではなかった。
その隣にいる女性たち——妻や恋人、娘たちの冷ややかな眼光が、まるで氷柱のように私へと突き刺さっていたのだ。
「ちょいと! あんた、どこ見てんだよッ!」
腕を組んでいた町娘が、隣で鼻の下を伸ばしていた男の脇腹を思い切り肘で突いた。
「い、痛ぇな! 何すんだよ!」
「何すんだじゃないわよ! 鼻の下をビヨーンと伸ばして、あんな素性の知れない女の足ばっかり見つめ腐って! 恥ずかしくないのかい!」
「ち、違うんだよ母ちゃん! おら、あんな足、生まれてこの方見たことねーべ! だから、つい珍しさに見とれちまっただけじゃ……!」
「言い訳すんじゃないよ! 目ぇ引っ張り出して洗ってやりましょうか!」
あちこちで巻き起こる痴話喧嘩。
当然ながら、女性たちの怒りの矛先は、元凶である私へと向けられる。
『なんだい、あのふしだらな格好は』
『昼間っからあんな薄皮みたいなものを脚に貼り付けて、男をたぶらかす気かえ』
『異国の妖女じゃないのかい、気味が悪いねえ』
突き刺さる無数の白眼視。
現代でも、オフィスで派手な服装をしてお局様に目をつけられた経験はあるけれど、街中総出の女性陣から睨みつけられるこの四面楚歌感は、胃がキリキリと痛むレベルだった。
(理不尽だわ……! 私だって好きでこの格好でタイムスリップしたわけじゃないのに! だいたい、見るなら隣の張飛の立派な髭とか、劉備の異様に長い腕でも見てなさいよ!)
心の中で盛大に毒づきながら、私はスカートの端を指先でぎゅっと押さえ、なるべく肌の露出を抑えようと努めた。
しかし、そんな私のささやかな抵抗など意にも介さず、隣を走る劉備はといえば——。
「おお……なんと誇り高きお姿……。民の視線という名の矢襖を浴びながらも、凛として馬背に揺れるその足首の曲線……! まさに乱世に咲く一輪の気高き花……!」
(あんたも前を見なさいよ、前をッ!!)
劉備の瞳は、相変わらず怪しい熱気を含んだまま、私の足元をチラチラと盗み見ている。
母親に樫の木の杖で引っぱたかれたばかりだというのに、この男の足に対する執着心は、反省という概念を完全に置き去りにしていた。
「おい、劉備殿! 姉ちゃん! 見えてきたぞ、あの酒場だ!」
先頭を行く張飛の野太い声が、私の思考を現実へと引き戻した。
第一幕:美髯公の登場と、冷え切った眼差し
涿県の中心街に位置する、ひときわ大きな二階建ての酒楼。
その正面玄関は、まるで激震に見舞われたかのように無残に破壊されていた。
分厚い木の扉は蝶番から引きちぎれて路上に転がり、軒先に掲げられていた「酒」の暖簾は無残に裂け、土煙がもうもうと立ち上っている。
「うわぁ……ひどい有様……」
私が馬から降り、ヒールが土にめり込まないよう慎重に着地した瞬間、酒場の内部の異様な光景が目に飛び込んできた。
十数人——いや、二十人近い屈強な男たちが、床一面に折り重なるようにして転がっていたのだ。
手には錆びた刀や棍棒を握りしめたまま、ある者は白目を剥いて気絶し、ある者は折れたテーブルの残骸の中で呻き声を上げている。
衣服には髑髏や猛虎の粗雑な刺青が彫られており、一目で近隣を荒らし回る無法者や盗賊の類だと分かった。
そして、その阿鼻叫喚の惨劇のど真ん中に、まるで泰山のように微動だにせず立っている男が一人。
身長は九尺(およそ二メートル超)。
燃えるような紅顔に、胸元まで豊かに美しく蓄えられた見事な黒髭。
仕立ての良い緑色の長袍を堂々と纏い、片手には無造作に酒甕を提げている。
その立ち姿からは、ただ立っているだけで周囲の空気を圧迫するような、圧倒的な武の気迫が放たれていた。
(この威圧感、そしてあの見事なお髭……!)
私の脳裏に、三国志のあまりにも有名な記述が電光石火で駆け巡る。
「……か、関羽さん……?」
思わず口から漏れ出た私の呟きに、その巨漢がピクリと反応した。
男はゆっくりと振り返り、切れ長の涼やかな鳳眼(ほうがん)で私を見下ろした。
その視線は極めて鋭く、底知れぬ威厳に満ちている。
「いかにも。わしが関羽、字は雲長である」
その低く響き渡る美声。
大地を揺らすような重厚感。
紛れもない、後に「武聖」と称えられる三国志屈指の英傑、関羽雲長その人だった。
「おおっ! 兄者じゃねぇか! 久しぶりだな!」
張飛が満面の笑みを浮かべ、ドカドカと瓦礫を踏み越えて関羽の元へと駆け寄った。
「やっぱりこの騒ぎは兄者の仕業だったのか! 一体全体、何があったんだ!?」
関羽は提げていた酒甕に口をつけ、喉を鳴らして一口あおると、平然とした顔で答えた。
「おう、翼徳か。その通りじゃ。この涿県の街を牛耳ろうと企む無頼漢どもがな、この店の飯をただ食いし、善良な店主を脅しつけておったのだ。見過ごすわけにはいかん故、少々手荒に礼節を教えてやったまでよ」
「がっはっは! さすがは兄者だ! 相変わらずスカッとするぜ!」
張飛が豪快に笑い、関羽の逞しい肩をバシバシと叩く。
これぞまさに、歴史の教科書に記されるべき英雄たちの麗しき再会。 感動的な名場面——のはずだった。
ギロリ……。
背後から放たれた、氷点下の殺気。
私が振り返ると、そこには馬を繋ぎ終えて酒場に入ってきた劉備が立っていた。
その顔は、先ほどまでの穏やかで徳の高そうな表情とは似ても似つかない、凄まじい形相だった。
眉間には深い皺が寄り、両目は爛々と嫉妬と怨嗟の炎を燃やし、まるで親の仇でも見るかのように、仁王立ちする関羽を睨みつけていたのだ。
(む、無理もないわよね……)
私は冷や汗を流しながら、劉備の心中を察した。
劉備にしてみれば、あと一歩——あと一歩で、桃園の木の下で私の5デニールストッキングを履いた脚を絡め合わせるという、念願の儀式(という名の奇行)を完遂できるはずだったのだ。
それを、この関羽の起こした大立ち回りのせいで邪魔され、あたら好機をフイにされたのである。
その私怨たるや、海よりも深く、山よりも高かった。
第二幕:英雄の嫉妬と、奇怪なる難癖
劉備はわざとらしく草鞋を踏み鳴らし、ツカツカと関羽の前へと歩み出た。
腕を組み、顎をツンと反らせて関羽を見上げる。
身長差は頭一つ以上あるというのに、その放つ負のオーラは関羽の武気をも呑み込まんばかりだった。
「おぬしが……関羽雲長殿か」
劉備の口から漏れ出たのは、トゲを含んだ冷淡な声だった。
「おぬしの悪名……いや、噂は、この私の耳にも嫌というほど届いておるぞ」
張飛が目を輝かせ、無邪気に両手を打った。
「おおー! 劉備殿の耳にも兄者の噂が届いていたか! わしは嬉しいぞ! 兄者は義に厚く、腕の立つ天下無双の豪傑だからな!」
しかし、劉備は冷ややかに鼻を鳴らした。
そして、その長い腕をビシッと関羽の鼻先へと突きつけ、信じがたい言葉を言い放ったのだ。
「関羽殿。あなたは……その大柄な身体と見事な髭を活かして、罪なきおなごに近寄っては甘言を弄し、すぐ近くの掘っ立て小屋へと連れ込み、何時間も出てこないというではないかッ!!」
「「「……え?」」」
静寂。
完全に、時が止まった。
私、張飛、そして当の関羽までもが、同時に素っ頓狂な声を漏らして硬直した。
倒れていた盗賊の一人が「えっ、関羽ってそんな奴なの……?」と呻き声を上げたが、関羽の放つ無言の威圧感によって即座に気絶し直した。
関羽の長い髭が、ピクリと震えた。
「な……なんと……? 某が、女子を小屋に連れ込んで……何時間も出てこぬ、だと……?」
あの沈着冷静な美髯公が、生まれて初めて言われたであろう理不尽極まりない誹謗中傷に、紅顔をさらに赤くして絶句している。
(ひ、ひどい……! ひどすぎる言いがかりだわ……!)
私はこめかみを押さえて天を仰いだ。
誰がどう見ても、脚を絡ませる儀式を邪魔された劉備の、ドス黒い八つ当たり以外の何物でもない。
天下万民を憂うはずの男が、自分のフェティシズムを阻まれた悔しさから、初対面の英傑に「小屋連れ込み常習犯」という最悪の濡れ衣を着せようとしているのだ。
私はたまらず、劉備と関羽の間に割って入った。
ハイヒールをコツンと鳴らし、5デニールストッキングの膝を揃えて毅然と抗議する。
「ちょ、ちょっと劉備様! 関羽様はそのような破廉恥なお人ではありません! 義理堅く、信義と忠義に厚い天下の義士として、街道筋でも大評判ではありませんか! なぜそんな根も葉もないデタラメを仰るのですか!?」
私の擁護に、関羽が深く頷いた。
「うむ。そなたの申す通りだ、見知らぬ麗しき女子よ。某は信義を重んじ、『春秋左氏伝』を愛読する身。女子に不義理を働くような真似は、天地神明に誓って断じて行わぬ」
しかし、劉備は引かなかった。
むしろ、私が関羽を庇ったことで、その歪んだ対抗心に油が注がれてしまったのだ。
「いや! この関羽というお方は、おなご好きで有名なのじゃ! 間違いない! 私の足……いや、私の直感がそう告げておる! 外見ばかり立派な髭を生やし、いかにも剛直な武士を装っておるが、腹の底では何を考えているか分かったものではないわ!」
劉備のあまりの頑迷さに、さすがの張飛も太い眉を八の字に曲げ、困惑の声を上げた。
「お、おいおい、劉備殿……。いくらなんでも、それは違うんでねぇか? いくら劉備殿の人柄が温厚で徳が高いからってよ、初対面でいきなり兄者を侮辱するような言葉はいただけねぇぞ? 兄者はそんな男じゃねえ!」
張飛の真っ当な諫言。
これで少しは頭が冷えるだろう——そう思った私の甘さを、劉備は一瞬で打ち砕いた。
劉備はカッと目を見開き、信じられないほどの迫力で張飛を睨みつけたのだ。
「黙れ、張飛ッ!!!」
雷鳴のような一喝。
劉備は胸に手を当て、さも悲劇の聖者を気取るかのように顎を引いた。
「私とその男……一体どちらが、真にこの中華の国を、民を想っていると思うのじゃ!? おぬしの曇りなき眼で、正直に申してみよッ!!」
(はぁぁぁぁぁぁぁッ!?)
私の脳内で、特大のサイレンが鳴り響いた。
(何言ってるのこの男!? 論点のすり替えもいい加減にしなさいよ! 誰がどう見ても関羽様でしょ! あんたはただの変態脚フェチマザコン男で、国のことなんかこれっぽっちも考えてないじゃない! 酒場の騒ぎで私のストッキングに触れ損ねたことを根に持ってるだけでしょ!!)
心の中で嵐のようなツッコミを連打しながら、私は張飛を見た。
張飛、言ってやりなさい。
さっき「兄者を侮辱するのはいただけない」ってビシッと言ったじゃない。
こんな訳のわからない言いがかりをつける偽善者に、鉄拳の一つでも食らわせてやりなさい!
だが——。
「……う、ううっ……」
張飛は、熊のような巨体を縮こまらせ、額に脂汗を浮かべて唸り始めた。
彼の視線は、堂々と胸を張る劉備と、困惑する関羽の間を行ったり来たりしている。
そして、信じがたいことに、張飛の口から出たのは驚愕の敗北宣言だった。
「俺は……俺は学がねぇから、難しい事情はよく分からねぇが……。国を想っているのは……確かに、劉備殿かもしれねぇ……」
「……は?」 私の口から、乾いた声が漏れた。
張飛は項垂れ、消え入りそうな声で関羽に向かって頭を下げたのだ。
「兄者……す、すまねぇ……! 俺は……劉備殿の言う通りだと思う……!」
(えええええええっっっ!? 張飛ぃぃぃぃぃぃぃッッ!?)
私は顎が外れそうになった。
あんた、さっき「それは違うんでねぇか」ってハッキリ言ってたじゃない!
なんで劉備が「どっちが国を想ってるか」って凄んだだけで、一瞬で論理破綻した恫喝に屈してるの!?
この時代の武将、カリスマ補正とハッタリに弱すぎない!?
劉備は「ふふん」と勝ち誇ったように鼻を鳴らし、関羽を見下ろすような目で見つめた。
その瞳には、「どうだ、私の勝ちだ」という卑劣な優越感が満ち満ちていた。
第三幕:義士の妥協と、空前絶後の義捐金
理不尽極まりない言いがかりをつけられ、さらには義弟同然の張飛にまで裏切られた関羽。
常人であれば激昂し、青龍偃月刀を振り回して酒場ごと劉備を叩き斬っていてもおかしくない場面だ。
しかし、関羽雲長は真の大器だった。
彼は深く息を吸い込み、乱れかけた美髭をそっと撫で下ろすと、静かに目を閉じた。
「……あい、分かった。何やら、私のことで大いなる誤解をされているようじゃな、劉備殿」
関羽の瞳が開かれる。
そこには怒りではなく、どこまでも深い憂国と義の光が宿っていた。
「某は信義の士。言葉を尽くして弁明するよりも、行動をもって己の潔白を証明いたそう。……聞けば、この涿県の西方、大興山(たいこうざん)に巣食う黄巾の賊の頭領・程遠志(ていえんし)、そして副将の鄧茂(とうも)が、民を虐げ、暴虐の限りを尽くしていると聞く。……劉備殿、某がその賊の頭である程遠志の首を取って参れば、私の誤解を解いていただけるだろうか?」
(関羽様、聖人すぎる……!!)
私は関羽のあまりの器の大きさに、感動で涙が出そうになった。
こんな理不尽なイチャモンに対し、命懸けの武功で応えようというのだ。
しかし、私の心の中のツッコミは止まらない。
(……でも関羽様、無駄よ。そんなことしたって、この男の『脚を絡めるのを邪魔された恨み』は絶対に消えませんからね!!)
劉備の狙いは最初から私の5デニールのストッキングなのだ。
程遠志の首なんかもらっても、劉備の歪んだ欲望が満たされるはずがない。
だが、劉備は表向きの「徳の君子」の仮面を素早く被り直すと、さも寛大そうに頷いてみせた。
「——もちろんです、関羽殿! そのような大義を示していただけるならば、この玄徳、過去の非礼を水に流し、あなたを真の義士として認めましょう!」
心にもない言葉を、ぬけぬけと言い放つ劉備。
その瞳の奥には、「程遠志を討ちに行っている間、邪魔者が消えてカオリ殿の脚を独占できる」という浅ましい計算が透けて見えていた。
その時だった。
「ちょいとお待ちよッ!」
酒場の奥の厨房から、ドスドスと重い足音を響かせて、割烹着のような前掛けをした恰幅の良い女将——この店の店主が姿を現した。
白髪交じりの髪を三角巾で包み、腰に両手を当てた姿は、まさに下町の肝っ玉母さんそのものだ。
女将は店内に転がる賊たちを一瞥し、それから関羽、張飛、劉備、そして私の姿を順番に見回した。
「あんたら……ただの酔っ払いじゃなさそうだね。さっきの話、奥で聞かせてもらったよ。あの大興山の極悪人、程遠志と鄧茂を倒しにいってくれるんだね?」
「いかにも」
関羽が重々しく頷く。
「民を苦しめる賊を放置するは、武人の恥。必ずや討ち滅ぼしてみせましょう」
女将は大きく頷くと、厨房の奥からズシリと重そうな革の袋を抱えて戻ってきた。
ドンッ!
と壊れかけのカウンターの上に置かれたその袋からは、金属が擦れ合う鈍く重い音が響いた。
「これを持ってお行き!」
袋の口が開かれ、中身が露わになった瞬間、私と張飛は息を呑んだ。
山のように詰め込まれた金塊と、極上の五銖銭。
現代の貨幣価値に換算すれば、優に一千万円は下らないであろう、莫大な軍資金だった。
「お、女将さん……! これは一体……!?」
私が驚いて尋ねると、女将は涙ぐみながらカウンターを叩いた。
「うちの店はね、あの賊どものせいで毎日みかじめ料を巻き上げられ、客も寄り付かなくなって潰れかけてたんだよ。これはね、いつかあの悪党どもを叩き潰してくれる本物の豪傑が現れた時のために、へそくりとして命懸けで隠し持っていた金さ! 義勇兵を募るにも、馬や武器を揃えるにも、金がいるだろう? 持ってっておくれ! 涿県の民の、ささやかな願いだよ!」
なんという美談。
なんという民衆の熱い想い。 乱世に喘ぐ人々が、最後の希望を託して差し出した血と涙の結晶。
「……おお、おお……!」
その時、誰よりも早く、獣のような敏捷さでその金塊の袋へと飛びついた影があった。
劉備玄徳である。
「かたじけない……! 誠にかたじけないッ!」
劉備は目を血走らせ、両手で巨大な革袋をガバッと抱え込むと、そのまま自分の背中側へと引き寄せた。
関羽にも、張飛にも、そして私にも指一本触れさせまいとするかのように、全身で金を抱え込んでいる。
「この玄徳、民の思い、しかと受け止めましたぞ! 義勇兵の旗揚げの資金として、この私が! 責任を持って! 一文の狂いもなく全額大切に管理・運用させていただきまするッ!!」
「……え?」
私と張飛、そして関羽までもが、本日何度目か分からない「え?」の声を揃えて漏らした。
(全部持っていく気だ、この男……!!)
私は開いた口が塞がらなかった。
賊を退治したのは関羽様だ。
店を救ったのも関羽様だ。
それなのに、さっき初対面で関羽様に「小屋連れ込み魔」と罵詈雑言を浴びせただけの男が、なぜか全額を懐に収めようとしている。
厚顔無恥にも程がある。泥棒猛々しいとはまさにこのことだ。
「ちょ、ちょっと劉備様!?」
私が抗議の声を上げようとした、まさにその瞬間だった。
エピローグ:母の咆哮、再び
「——こらぁぁぁぁぁぁッッ!!! 玄徳ぅぅぅぅぅぅぅッッッ!!!!」
ズガァァァァァァンッッッ!!!
壊れかけだった酒場の入口が、凄まじい衝撃と共に完全に吹き飛んだ。
春の嵐どころではない。
大地を引き裂くような怒りの咆哮が、酒場の空間をビリビリと震わせる。
砂煙の向こうから現れたのは——。
小柄な身体を怒りで震わせ、手にした分厚い樫の木の杖を肩に担いだ、白髪の老婦人。
劉備の、母上であった。
「……ぶっ!?」
劉備の顔から、一瞬で血の気が引いた。
抱え込んでいた金塊の袋を取り落としそうになりながら、ガタガタと全身を震わせる。
「は、は、は……母上様ァァァァァッッ!?」
杖の先を息子の眉間へと突きつけ、青筋を立てて仁王立ちする母の姿は、修羅の鬼神そのものだった。
桃園での誓いを終えて家に戻ったはずの母が、なぜここにいるのか。
そして、なぜこれほどまでに激怒しているのか。
怒号の第二波が、酒場に木霊しようとしていた——。
(第四話へ続く)
本作はフィクションです。
本作には、歴史上の人物・出来事・時代背景・地名などをモチーフとして使用している箇所がありますが、物語上の設定、人物像、性格、会話、行動、事件、関係性、能力、演出等は創作によるものであり、史実とは異なります。
また、本作に登場する人物・団体・組織・事件・設定等は、実在のものをそのまま再現することを目的としたものではありません。実在の人物・団体・組織・事件等とは一切関係ありません。
作中には、誇張表現、パロディ的表現、フェティッシュな表現、暴力・事件・危険行為などを含む場合がありますが、これらはすべて物語上の演出として描かれています。現実の行為を推奨・助長・再現することを目的としたものではありません。
本作は、作者による創作とAIとの共同作業によって制作されています。
以上をご理解のうえ、フィクション作品としてお楽しみください。
