境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章第八十二話:暴かれる本性、シタックスの秘書とドールの影
(視点:鈴木カオリ)
静魂寺の立派な日本家屋の玄関。
冷たい石の土間の上に、工藤さんの黒いエナメルのポインテッドトゥパンプスが、まるで見えない楔を打ち込むかのようにピタリと止まっていた。
アンクルストラップに締め付けられた華奢な足首から、五デニールの極薄ブラックストッキングに包まれた完璧な脚が、エメラルドグリーンのタイトワンピースの裾へと伸びている。
彼女は靴を脱がず、上がり框(かまち)の上に立つ柴桑住職を見上げたまま、冷徹な声で問い詰めていた。
『先ほどの、キララさんという方。……どちら様でしょうか?』
その一言が、玄関の空気を文字通り凍りつかせた。
住職の顔から、あの脂ぎったような愛想笑いがスッと消え失せる。
彼の視線は工藤さんの冷ややかな顔と、どうしても脱がせたいであろう彼女の足元とを、忙しなく、そしてひどく未練がましく往復していた。
額にはじわりと嫌な汗が浮かび、太い首がごくりと上下に動く。
言葉を濁そうと何度も咳払いを繰り返していた住職だったが、工藤さんのその一切の妥協を許さない、絶対零度の威圧感を前にしては、誤魔化しが通用しないことを悟ったのだろう。
「……ふぅ」
住職は、忌々しそうに、けれど努めて平静を装うような重い溜息を一つ吐いた。
「……キララは、シタックスという会社の社長秘書を務めておる」
(カオリの心:……え? シタックスって、確か、田辺社長の会社で……。ええっと、この前、私たちがあの地下コロッセオでランウェイバトルをした場所。そっか、だから田辺さんの名前が出てきたんだ。でも、確か田辺さんって、朱音さんと一緒に消息不明になったんじゃなかったっけ? それに、警察にもマークされているはずだよね……?)
私の記憶の底から、1ヶ月前のあの壮絶な戦いの記憶が鮮明に蘇ってきた。
『株式会社シタックス』。
表向きは靴下やストッキングの製造販売を行う会社でありながら、その実態は、地下深くに巨大なコロッセオを隠し持ち、『美脚市場(マーケット)』のランウェイのステージがあった場所。
あの時、私たちは身を挺して戦い、最後は橘さんと静江さんが心を入れ替え、2人は自ら身を引いたのだ。
しかし、シタックスの田辺社長は、戦いの混乱の最中、雪村朱音さんを連れて姿を消してしまったのだ。
警察の捜査の手が及んでいるはずの彼と、こんな山奥のお寺の住職が、未だに密に連絡を取り合っているというの?
私の隣で、工藤さんが漆黒のトレンチコートのポケットから手を出し、優雅に腕を組んだ。
「……住職。そのシタックスの秘書のキララさんが先ほど口にしていた、『ドールコレクション』とはいったい何なのですか?」
工藤さんの追及は止まらない。
的確に、相手の最も隠したい急所へとナイフを突き立てていく。
(カオリの心:普通なら、そんな言葉、ただの趣味の品物かなにかだと思って聞き流すところなんだけど。でも、工藤さんは違う。この町が今、どんな異常な状況に置かれているかを誰よりも理解しているからこそ、ほんの些細な言葉の端々も見逃さず、常に研ぎ澄まされたアンテナを張っているんだよ、うん。)
私は、工藤さんのその並外れた洞察力と精神力に、改めて深い尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
工藤さんの鋭い質問に対し、住職の顔が明らかに歪んだ。
彼は作務衣の袖をぎゅっと握りしめ、目を泳がせながら、どうにかこの話題を打ち切ろうと必死になっているのが分かった。
「……来夏ちゃんには、おおよそ関係のない話じゃ。これはこの静魂寺と、シタックス社の間の商いの話なのでの」
住職は、ことさらに「商い」という言葉を強調し、パタパタと手を振って見せた。
早く靴を脱いで上がれ、これ以上詮索するな。
彼の態度からは、そんな焦燥感が痛いほどに伝わってくる。
しかし、工藤さんがその程度の言い逃れで引き下がるはずがなかった。
彼女は、エナメルパンプスのピンヒールでコツン、と石の床を叩き、静かに、けれど周囲の空気を震わせるほどの低い声で言い放った。
「……シタックス社のことは、存じ上げています。以前、我が社とも取引きがありましたから。主に女性用の靴下、ストッキングの製造販売を生業にしている会社ですよね?」
その瞬間、住職の顔から、今度こそ完全に血の気が引いた。
彼の目が驚愕に見開かれ、口がパクパクと金魚のように動いている。
「な……!? なぜ、来夏ちゃんがそのことを……!?」
住職の狼狽ぶりは、見ていて滑稽なほどだった。
彼はまさか、目の前に立つ美しい女性が、シタックス社の名前やその事業内容を正確に把握しているとは夢にも思っていなかったのだろう。
「今、言いましたよ住職。我が社とシタックス社は、ビジネス上の関係があったと。……しかし、現在はそのような関係にはありませんが」
工藤さんは、冷ややかにそう告げると、さらに一歩、上がり框の住職に近づくように体を傾けた。
エメラルドグリーンのタイトワンピースの胸元が僅かに揺れ、五デニールの黒いストッキングに包まれた脚の筋肉が、美しく、そして残酷なまでに引き絞られる。
「なぜ、我が家とシタックス社の契約が破棄されたか、お教えしましょうか?」
工藤さんの声は、もはや死神の宣告のようだった。
「それは、シタックス社は表向きは、健全な一般消費者向けの商品販売をしていましたが、裏では『美脚市場』という闇市場に参入していたのです。そして、シタックス社は、その闇市場でのし上がるため、非合法な事業を次々と推し進めていったのです」
静まり返った玄関に、工藤さんの告発が冷たく響き渡る。
私のすぐ後ろで息を殺して立っていた伊達さんも、その『美脚市場』という単語にビクリと肩を震わせた気配がした。
「な、何が言いたいのじゃ来夏ちゃん……?」
住職は、もはや後退りすることもできず、脂汗をダラダラと流しながら震える声で聞き返した。
「住職が、シタックス社と取引があると言った時点で、私の中ではすでに黒と断定しました」
工藤さんは、容赦なく断罪の言葉を突きつけた。
「住職は、すでにそのことを……シタックス社が裏で何を行っているのかを承知のうえで、彼らと取引きしているのでしょう?」
完璧な論理の構築。
逃げ場を完全に塞ぐ、見事な尋問。 住職は、真っ赤になった顔で必死に首を横に振った。
「そ、それは考えすぎじゃ、来夏ちゃん! わしは……わしはシタックスの先代社長の、田辺のお父上とは、長い付き合いじゃったからな! そのよしみで、付き合いとしてシタックスの商品を使っているだけなのじゃよ!」
苦し紛れの言い訳。
その声は上擦り、誰が聞いても嘘をついていることは明白だった。
その、醜い弁明が静魂寺の玄関に虚しく響き渡った、まさにその直後だった。
「住職」
開け放たれたままの玄関の引き戸の外から、コツン、カツンと硬質な足音を響かせて、一人の女性が戻ってきた。
先ほど山門の方へ歩いていったはずの、シタックスの社長秘書、キララさんだった。
ダークグレーのタイトスカートスーツの裾を揺らし、ボルドーがかった五デニールのストッキングの美脚を惜しげもなく晒しながら、彼女は私たちの背後に立ち、住職に向かって淡々と、感情のない声で報告をした。
「住職。田辺さんの『二体のドール』たちが、あと三十分ほどでこちらに到着するとのことです」
その報告は、あまりにも冷徹で、そしてこの場の空気を完全に破壊するものだった。
住職の顔が、今度こそ絶望に歪んだ。
「なっ……! キララ、お、お前……! お客人の前だぞ! そのような言葉を使うでない! 誤解されかねんだろうがっ!」
住職は、顔を真っ赤にしてキララさんを怒鳴りつけた。
しかし、キララさんは全く動じることなく、涼しい顔で首を傾げた。
「誤解、ですか? ……先ほど、この方たちの前でこの話をしていましたので、そのままお伝えしても問題はないかと思ったのですが?」
完璧な秘書としての合理的な判断。
彼女にとっては、私たちがシタックスの裏の顔を知っていようがいまいが関係ないのだ。
田辺社長の命令を的確に伝達し、遂行する。
ただそれだけの機械的な行動。
「二体? ……ドール? 住職、それはいったい何のことでしょうか?」
工藤さんが、キララさんの報告の裏にある異質さを即座に捉え、さらに深く抉り込んだ。
人間に対して「二体」という数え方。そして「ドール(人形)」。
それが意味するおぞましい真実を、私は身をもって知っていた。
私は、ダッフルコートのポケットから手を出し、ギュッと拳を握りしめて、震えそうになる声を必死に抑え込みながら一歩前に出た。
「キララさん……ですよね」
私が口を開くと、キララさんの冷ややかな視線と、住職の驚愕の視線、そして伊達さんの好奇の視線が、一斉に私に集まった。
「私、田辺さんの事知っています。……あまりいい思い出ではないですが」
私は、真っ直ぐに住職の目を睨みつけた。
「先月、私たちは、シタックスの地下コロッセオで……ランウェイバトルを戦いました」
私のその告白に、伊達さんが小さく「なっ?」と息を呑む音が聞こえた。
工藤さんも、少しだけ驚いたように私を見つめ、そして、深く納得したように頷いた。
「ほう。……それは聞き捨てならない話だな。シタックス社は、やはり美脚市場と深い関わりがありそうだな」
工藤さんの声が、さらに一段低く、凄みを増す。
「ええ」
私は、あの日の悪夢のような記憶、田辺社長が、美しい脚を持つ女性たちを自らの意のままに操る人形として収集していたという、おぞましい事実を思い出しながら言った。
「ドールコレクションは……美脚市場でのし上がるための商品、あるいは、彼自身の歪んだ欲望を満たすための道具と見て間違いありませんね」
私のその言葉に、玄関の空気は完全に冷え切った。
住職の額から、大粒の汗がボタボタと土間に落ちる。
「ああ。その商品が、この寺にもうすぐ到着する。間違いないな」
工藤さんが、氷の刃のような声で最終宣告を下した。
もう、言い逃れは不可能だった。
シタックスとの裏取引、ドールコレクションの受け入れ、そして美脚市場の闇。
この静かなお寺が、その全てと繋がっている真っ黒な場所であることが、完全に暴かれたのだ。
沈黙が、重くのしかかる。 数秒の静寂の後。
「……くそっ」
住職の口から、それまでの温厚な僧侶の皮を完全に脱ぎ捨てた、下劣な悪態が漏れた。
「まさか、来夏ちゃんにここまで知られてしまうとはのぅ。……仕方ない」
住職は、ダラダラと流れていた汗を無造作に作務衣の袖で拭うと、ニタリと、ひどく醜悪で、粘着質な笑みを浮かべた。
その瞳は、完全に理性を失った、飢えた獣のものへと変貌していた。
「キララ。失礼のない最高のおもてなしで、来夏ちゃんたちをもてなすのじゃ」
住職がそう命じると、背後に立っていたキララさんが「かしこまりました」と静かに一礼した気配がした。
そして、住職は上がり框の上から、工藤さんを見下ろすようにして、その醜い本音を赤裸々に吐き出し始めた。
「本音を言うとの、来夏ちゃん。……わしはお前の妹、風花の供養など、本当はどうでもよかったのじゃ」
その、あまりにも人の道を外れた言葉に、私は怒りで目の前が真っ白になりそうだった。
しかし、工藤さんは表情一つ変えない。ただ、冷たく静かに住職を見据えているだけだ。
「本当はのぅ……お前のその、エナメルのヒールを玄関で脱がし、お前のその極薄の黒ストッキングに包まれた脚を、客間の畳の上で好きなだけ見て、弄びたかっただけじゃった。……だが、お前は何度誘っても、一向に中に入ろうとしない!」
住職は、ギリギリと歯を食いしばり、よだれを垂らしながら工藤さんの脚を凝視している。
「もう我慢の限界じゃ。……このキララと『ランウェイバトル』をして負けた時は、わしのおもちゃになってもらうぞ、来夏!」
それは、あまりにも身勝手で、おぞましい宣戦布告だった。
宗教家としての仮面を捨て、ただ己の脚フェチという欲望のためだけに、人間の尊厳を冒涜する悪魔。
私の中にあった恐怖は、すでに強烈な嫌悪感と怒りへと変わっていた。
そんな住職の醜態を前にして、工藤さんは、ふっ、と鼻で笑った。
それは、道端の石ころを蹴り飛ばすような、圧倒的な見下しだった。
「やってみろ変態ジジイめ」
短く、的確な一蹴。
その一言に込められた七億のプレイヤーとしての矜持と冷酷さに、住職は一瞬たじろいだが、工藤さんはさらに言葉を続けた。
「……だが、もし私たちが勝った場合は、私の質問に全て答えて、お前の知っていることを全部喋ってもらうぞ」
それは、工藤さんからの逆提案。
田辺のこと、シタックスのこと、そしてこの町を覆う教団やアトランティスの闇について、この住職が握っている全ての情報を吐き出させるという条件。
「ヒッヒッヒ……よかろう。受けて立つわい」
住職が、気味の悪い笑い声を上げる。
私は、ダークブラウンのロングブーツの足にグッと力を込め、工藤さんの隣に並び立つようにして、背後にいるキララさんへと向き直った。
ダークグレーのスーツと、ボルドーがかった五デニールのストッキング。
シタックスの社長秘書であり、おそらくは美脚市場で戦うために鍛え上げられたプレイヤー。
キララさんは、感情を一切表に出さず、ただ静かに、これから始まる闘いの時を待っているように見えた。
私とキララさんは、工藤さんと住職の決定的な会話を静かに見守りながら、互いの存在を冷たく認識し合っていた。
冬の朝の静魂寺。
神聖なはずの仏の御前は、欲望と真実が交錯する、新たなランウェイバトルの処刑場へと姿を変えようとしていた。
(境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章・第八十二話:暴かれる本性、シタックスの秘書とドールの影 了)
本作に登場する人物、団体、地名、事件等はすべて架空のものであり、フィクションとしてお楽しみください。実在のものとは一切関係ございません。また、本作はAIとの共同作業により制作されました。
