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境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章第百七話:スタジアムの威容、少女の覚醒と新たな装い

(視点:渡辺菜々)

冷たい冬の夕風が吹きすさぶ教団本部の敷地内。

私たち渡辺姉妹と、喫茶店からついてきた未成年の少女・美桜(みお)ちゃんは、先ほど表で絡んできた教団の女三人に案内されるまま、立派な枯山水が広がる庭の奥へと足を踏み入れていた。

「さあ、こっちだよ」

先頭を歩く、紫色のカラータイツを履いた女が、庭の隅にある少し大きめの物置小屋の前に立ち止まった。

外見はどう見ても、庭の手入れ用具をしまうための古い木造の小屋だ。

けれど、その女が軋む扉を乱暴に開け放つと、中には熊手やスコップの代わりに、コンクリートで固められた無機質で深く暗い下り階段が、ぽっかりと不気味な口を開けていた。

「……こんなところに、地下への入り口が?」

和香(わか)お姉ちゃんが、少しだけ眉をひそめて呟く。

「ビビってんなら、今すぐ土下座して尻尾巻いて帰りな。SNSの炎上くらいで勘弁してやるからよ」

女が下品に嗤う。

「誰がビビってるって? さっさと案内しなさいよ。田舎のネズミの巣穴になんて、興味ないわ」

お姉ちゃんは、ロイヤルブルーのドレスの裾を優雅に払い、シルバーのピンヒールで迷いなくその暗い階段へと足を踏み入れた。

私と美桜ちゃんも、無言でその背中に続く。

コンクリートの階段は、予想以上に長く、そして深く地下へと潜っていく。

一歩下りるごとに、地上にあった冬の冷気が、カビ臭く、それでいてどこか人工的な熱を帯びた生暖かい空気へと変わっていくのが分かった。

美桜ちゃんは、エプロン姿のまま、不安そうに両手でスカートの裾を握りしめ、私のすぐ後ろを小さな足音を立ててついてきている。

やがて、長い階段を下りきった私たちの目に飛び込んできたのは、言葉を失うような光景だった。

「……なに、……ここは……」

私は思わず絶句し、足を踏み出したまま硬直してしまった。

私たちは長い階段を降りていくと、目の前にはだだっ広い空間が唐突に広がっていたのだ。

暗い。

いや、暗いのではない、だだっ広いのだ。

先ほどまで私たちが戦っていたあの地下駅など比較にならない……それこそ東京ドームとまでは言わなくとも、巨大な体育館……いや、スタジアム級の途方もないスケールの地下空間が、どこまでも広がっていた。

天井は遥か高く、見上げるほどの暗闇の中に無数のスポットライトが吊り下げられている。

(菜々の心:……こんな巨大なものが……ただの地方都市の、しかもお寺や教団の地下に隠されているなんて……!? これって、私たちが所属するシタックス社の東京の地下にある、あの巨大なコロッセオと全く同じ規模じゃない!)

シタックスの資金力で作られた施設ならいざ知らず、この静森町の地下に、これほどまでの施設が誰にも知られずに存在しているという事実が、私の背筋を凍らせた。

そして、その巨大な空間の中央には……あった。

私たちが東京のシタックス社の地下で嫌というほど目にした、あの『ランウェイ』が。

純白の光を放ち、長く、そして真っ直ぐに伸びる光のステージ。

その周囲には、無数の観客席が、ステージを見下ろすようにすり鉢状に設置されていた。

今は誰も座っていないその空席の山が、かえってこの空間の異様さと、ここに集まるであろう狂気的な視線の重圧を物語っているようだった。

「へぇ……。ド田舎の教団にしちゃ、随分と立派なハコを持ってるじゃない」

お姉ちゃんは、その圧倒的な空間を前にしても全く怯むことなく、むしろ感心したように口の端を歪めて笑った。

「おい、ロッカーはそこだ。好きに使っていいぞ」

教団の女の一人が、スタジアムの壁際にあるいくつもの扉のうちの一つを顎でしゃくった。

そこは、観客席へ向かう通路ではなく、明らかにこれから光のステージへと上がる『戦士』たちが準備をするための通路だった。

「ああ、好きに使わせてもらう」

お姉ちゃんは、冷ややかにそう言い残し、迷うことなくその扉を開けた。

私たち三人も、彼女に続いて中へと入る。

扉の向こう側は、外の巨大なスタジアムのスケールとは打って変わって、簡素な長椅子と、無骨なスチール製のロッカーが並ぶだけの、殺風景なロッカールームだった。

けれど、そのロッカーの扉はすべて開け放たれており、中にはサイズや色の異なる様々なドレス、ジャケット、ショートパンツ、そして何十種類ものストッキングやタイツ、無数のハイヒールやブーツが、まるでブティックのバックヤードのようにズラリと保管されていたのだ。

教団のプレイヤーたちが、いつでもこの地下で戦えるように備蓄している衣装なのだろう。

「ふぅ……」

私は、長椅子に深く腰を下ろし、疲労で悲鳴を上げている足をさすった。

「……ねえ、お姉ちゃん」

私は、ふと思いついて、入り口の近くで所在なげに立っている美桜ちゃんの方を見た。

エプロン姿に、少し垢抜けない印象。

けれど、長い手足と、芯の強さを感じさせる整った顔立ちは、原石としての確かな輝きを放っている。

「彼女、美桜ちゃんを着替えさせてみない? すごくスタイルがいいと思うから、ここの衣装を使ってメイクしたら、きっと見違えるように変身するわ」

私がそう提案すると、お姉ちゃんはロッカーの中の衣装を物色していた手を止め、振り返って美桜ちゃんを上から下まで値踏みするように見つめた。

「……ああ、美桜でいいか? お前も勇気を出して、あのステージを歩いてみるんだ」

お姉ちゃんのその言葉に、美桜ちゃんはビクッと肩を跳ねさせ、顔から血の気を引かせた。

「わ、私が、ですか……?」

彼女の声は、明らかな恐怖で震えていた。

無理もない。

彼女はまだ未成年の素人だ。

こんな命懸けの裏社会のランウェイを歩くなんて、想像すらしたことがなかっただろう。

「そうだ。お前が全くの素人だということは、もちろん分かった上で言っている。あえて勇気を出して、歩いてみろ。ただ、背筋を伸ばして歩くだけでいい。誰も上手く歩けとは言わん」

お姉ちゃんの声は、いつもの厳しい響きの中に、不思議なほどの包容力と、背中を押すような温かさが込められていた。

商店街の喫茶店で、店長の理不尽な暴力から彼女を救い出した時と同じ、強く気高い女性の声。

美桜ちゃんは、震える両手を胸の前でギュッと握りしめ、数秒間の葛藤の後、意を決したように姉さんの目を真っ直ぐに見返した。

「……はい」

震えながらも、彼女は確かな意志を持って答えた。

「よく言った」

お姉ちゃんは満足そうに頷くと、私の方へ視線を向けた。

「菜々、ケガは大丈夫か?」

「大丈夫。さっき喫茶店で少し休んで、だいぶ回復したから」

私は、痛む足首を悟られないように明るく微笑んだ。

「それに、美桜ちゃんの前で、かっこ悪いとこ見せられないからね」

私がそう言うと、お姉ちゃんは少しだけ表情を引き締め、極めて重要な警告を口にした。

「……あいつらは、『ヴィーナス』を持っているかもしれん。そうじゃないと、あの教団の連中が私たちにランウェイバトルを挑んでくるはずがないからな」

「ヴィーナス……? って、なんですか?」

美桜ちゃんが、不安そうに首を傾げた。

お姉ちゃんは、長椅子に座る私の隣に立ち、美桜ちゃんに向けて、これから私たちが足を踏み入れる世界の『狂気』について説明を始めた。

「美桜。ヴィーナスというのはな、この美脚市場の闇で使われている、恐ろしいドーピング薬のことよ。……それを体内に打ち込むと、脳のリミッターが外れて、相手の美脚やストッキングの質感、筋肉の動きから放たれる視覚的な情報が、そのまま致死レベルの『快楽』へと変換されてしまうの」

「…美脚市場?快楽?……ですか?」

「そう。一見すると気持ちよさそうに聞こえるかもしれないけれど、人間の脳は、許容量を超える快楽を一度に浴びると、ショートして焼き切れてしまうのよ。……ヴィーナスを打った状態で、格上の相手の完璧なウォーキングやポージングを見ると、あまりの刺激に白目を剥いて、完全に意識を失ってしまう。それが、このランウェイバトルの勝敗の決め手になるの」

姉さんの生々しい説明に、美桜ちゃんの顔色はさらに青ざめていく。

しかし、美桜ちゃんにはさっぱり何のことかも分からない。

それは当然の反応だ。

いきなり一般人が、ヴィーナスだの、美脚市場だの、ランウェイバトルだのと言われても、わけが分からないだろう。

それでも、お姉ちゃんは説明を続けた。

「もし、相手だけがヴィーナスを打っていて、私たちが打たなかったらどうなると思う? 相手はこちらの美しさの前に自滅するかもしれないけれど、教団の奴らはそんなハンデを背負って戦うほど馬鹿じゃない。おそらく、強制的に効果を発揮させるような『お香』や別の手段を使ってくるはずよ。……つまり、同じ土俵に立つためには、私たちもヴィーナスを打って、お互いに精神を削り合う狂気の世界に足を踏み入れなければならないということ」

ヴィーナスを打つこと。

それは、自らの脳を危険にさらし、精神を破壊されるリスクを背負って戦場に立つという、絶対的な『覚悟』の証明なのだ。

「……っ!」

当然のことながら、美桜ちゃんはガタガタと全身を震わせ始めた。

「わ、わたし……い、いやです。そんな恐ろしい薬……打ちたくありません……!」

彼女は両腕で自分を抱きしめ、後ずさりをしようとした。

未成年の少女にとって、それはあまりにも酷な現実だ。

普通の人間なら、逃げ出すのが当たり前。

しかし、お姉ちゃんは逃げようとする彼女から目を逸らさず、冷徹に、けれど熱を帯びた声で問いかけた。

「じゃあ、今までみたいに、あの喫茶店の店長から逃げたように、また逃げるのか?」

その言葉が、美桜ちゃんの動きをピタリと止めた。

「恐れるな。別に、死に至るような毒を打つわけじゃない。それに、麻薬ではない。解毒剤もちゃんとある。……最初に私と菜々が打つから、お前は私たちのあとに続いて打てばいい。私たちが、絶対に道を作ってやる」

お姉ちゃんのその言葉は、まるで戦場に向かうジャンヌ・ダルクのように、凛として力強かった。

美桜ちゃんは、しばらくの間、俯いて震えていた。

けれど、彼女は強く唇を噛み締め、大粒の涙をポロポロとこぼしながら、ゆっくりと顔を上げた。

「……はい。逃げたくありません。……自分に、負けたくないです!」

泣きながら、それでも前を向く彼女の瞳には、あの喫茶店の前で「自分の足で強く歩けるようになりたい」と決意した時の、あの強い光が宿っていた。

(菜々の心:……美桜ちゃん、すごい。私なんて、最初はこの世界が怖くて、お姉ちゃんの後ろに隠れて泣いてばかりだったのに。この子、本当にアイドルになれるかもしれない。……頑張れ、美桜ちゃん!)

私は、心の中で彼女に精一杯のエールを送っていた。

「よし。じゃあ、まずは外見から作り直すわよ」

お姉ちゃんはそう言うと、ロッカーの中に並べられた無数の衣装の中から、私たちの新しい『戦闘服』を素早く、そして的確に選び出し始めた。

ロイヤルブルーのドレスは、先ほどの戦いと、商店街を歩いたことでスパンコールが一部剥がれ、土埃で汚れてしまっている。

新しい装いで、教団の女たちを圧倒しなければならない。

「菜々、あんたはこれにしなさい」

お姉ちゃんが私に投げ渡したのは、鮮やかなエメラルドグリーンのオフショルダー・ミニドレスだった。

胸元には繊細な黒いレースがあしらわれており、私の得意とするコケティッシュで可愛らしい雰囲気の中に、少しだけ背徳的なエロティシズムを忍ばせた絶妙なデザイン。

私はそれに合わせて、五デニールの『極薄シルバーグレー』のストッキングを新品のパッケージから取り出した。

私の肌の白さを際立たせ、照明を鏡のように反射する、私の最大の武器だ。

足元には、シルバーのアンクルストラップ・ピンヒールサンダルを合わせる。

華奢な足首を強調し、ステップの軽やかさを演出するための完璧なチョイス。

私はメイク台の前に座り、乱れていたボブヘアを綺麗に整え直すと、少しだけチークを濃くして、愛嬌の中に冷酷さを秘めたような表情を作った。

「美桜は、これだ。お前は若さと、その長い脚のポテンシャルを最大限に活かすスタイルで行くんだ」

お姉ちゃんが美桜ちゃんに手渡したのは、今まで彼女が着たこともないような、ハードで洗練された衣装だった。

ブラックのタイトなレザーショートパンツ。

そして、トップスにはお腹が少し見える丈の、白いクロップド丈のブラウス。

K-POPのアイドルがステージで着るような、フレッシュでありながら圧倒的なスタイルを要求されるハードなコーディネートだ。

「ええっ!? こ、こんな短いパンツ……私……」

「いいから黙って着なさい。ストッキングはこれよ」

お姉ちゃんが指定したのは、五デニールの『ヌードベージュ』。

素肌に限りなく近く、それでいて生身の肌の粗をすべて消し去り、マネキンのように均一で生々しい艶を与える魔法の極薄ナイロン。

そして足元には、黒のレザーで作られた、レースアップ(編み上げ)のショートブーツ。

鋭いピンヒールが、彼女のスラリとした脚をさらに長く、攻撃的に見せてくれるはずだ。

着替え終わった美桜ちゃんを見て、私とお姉ちゃんは思わず息を呑んだ。

エプロン姿の垢抜けない印象は完全に消え去り、そこには、長い脚と整ったプロポーションを武器にする、洗練された次世代のスターの原石が立っていた。

お姉ちゃんは美桜ちゃんをメイク台に座らせると、自らの手で彼女にメイクを施し始めた。

サラサラのストレートヘアを艶やかに整え、ブラウン系のアイシャドウで目元に深みを持たせ、唇には少し大人っぽいピンクリップを引く。

「……どうだ美桜? これが、お前の本当の姿だ」

鏡を見た美桜ちゃんは、自分の信じられないような変貌ぶりに、ポカンと口を開けていた。

そして、最後にお姉ちゃん自身の準備だ。

お姉ちゃんが選んだのは、これまでのロイヤルブルーのイメージを完全に打ち破る、深紅(クリムゾンレッド)のアシンメトリーなタイトドレスだった。

左脚の太腿の付け根まで大胆に入った深いサイドスリット。

歩くたびに、圧倒的な大人の色気が零れ落ちるような、危険なデザイン。

脚を包むのは、五デニールの『シアーブラック』。

極薄の黒いヴェールが、お姉ちゃんの引き締まった筋肉の陰影を冷酷に浮かび上がらせる。

足元は、一切の装飾を排した、黒のエナメル・ポインテッドトゥのピンヒールパンプス。

髪は、これまでのポニーテールをさらに高い位置でタイトに結い上げ、一切の隙を見せない戦闘的なスタイルに。

そして、唇には真紅のルージュを引き直した。

姉の王道、セクシーで圧倒的に強いイメージ。

妹のコケティッシュで、可愛らしさの中に毒を秘めたイメージ。

そして、素人から覚醒した、フレッシュでありながら未知のポテンシャルを秘めた少女のイメージ。

「完璧だな」

お姉ちゃんは、鏡越しに私たち三人を見渡し、真紅の唇を歪めて満足そうに笑った。

「じゃあ、いくぞ」

お姉ちゃんが、ロッカーの奥に置かれていた、教団の備品と思われるシリンダーケースから『ヴィーナス』の注射器を取り出した。

姉さん、私、そして、震えながらも涙を拭った美桜ちゃんが、順番に自らの腕にその薬を打ち込む。

数分後。

私たちの瞳の白目が、ほんのりと赤く染まり始めた。

視界の解像度が異常なまでに跳ね上がり、アドレナリンが全身を駆け巡る。

「……行きましょう」

お姉ちゃんが、真っ赤なドレスの裾を翻し、ロッカールームの扉に手を掛けた。

私も、シルバーのピンヒールを鳴らし、大きく息を吸い込む。

美桜ちゃんも、黒のレースアップブーツでしっかりと床を踏みしめ、私たちの後ろに続いた。

扉が開く。

目の前に広がるのは、東京ドーム級の巨大な暗闇のスタジアムと、中央に長く伸びる純白の光のランウェイ。

「待たせたな」

お姉ちゃんの凛とした声が、巨大な地下空間に響き渡った。

私たち三人は、新たな装いと覚悟を胸に、予測不能な巨大な戦場へと、足を踏み出したのだった。

(境界線上の視線・「偽りの春編」静森の章・第百七話:スタジアムの威容、少女の覚醒と新たな装い 了)

本作に登場する人物、団体、地名、事件等はすべて架空のものであり、フィクションとしてお楽しみください。実在のものとは一切関係ございません。また、本作はAIとの共同作業により制作されました。

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