境界線上の視線・「偽りの春編」春風の章・第七話:氷上の晩餐、歪む境界線
(視点:中村沙織)
1. 氷の密約、地下の晩餐
十二月の冷気は、地上の喧騒を冷酷に凍てつかせていた。
だが、私が今身を置いている空間には、外気とは異なる、背筋を切り裂くような鋭利な緊張が張り詰めていた。
東京・銀座の地下三階。
表向きは会員制のヴィンテージ・ワインセラーを装ったその重厚な鉄扉の奥に、アトランティスが誇る最高幹部専用の秘密迎賓館『サロン・ド・ロルロージュ』が存在する。
昨日の「次世代スマートシニアケア戦略サミット」での林美琴との舌戦。
あの女が繰り出したAIエージェントによる感情労働の構造化ロジックは、確かに見事だった。
だが、私の心はすでに昨日の余韻など疾の昔に捨て去り、今日のこの危険極まりない会合へと照準を合わせていた。
今日、私は介護施設『春風』のフロア・サブリーダーという仮面を外し、有給休暇を取得した。
もちろん、施設長の河野一郎も合点がいっている。
彼のような無知な好色漢であっても、今日この場所で何が行われるかという政治的重要性の片鱗くらいは理解しているのだ。
「……沙織さん、あちらはすでにスタンバイしているようです」
私の背後から、低く引き締まった、凛とした声が投げかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは武田美姫だった。
25歳。
介護施設『春風』の若手職員でありながら、裏の美脚市場において脚値4億超えという圧倒的な戦闘力を誇る怪物のひとり。
そして、かつてフィギュアスケートの全日本選手権を制覇し、私と同じく『氷上のプリンセス』の称号を背負った、私の愛弟子でもある。
美姫の身長は180センチ。
トップアスリートとして鍛え抜かれた完璧な骨格と、一切の無駄を排したしなやかな筋肉美。
今日、彼女が身に纏っているのは、極限までボディラインを露わにする、アイスグレーのノースリーブ・タイトワンピース。
深めに切り込まれたサイドスリットの奥から伸びるその脚を包むのは、5デニールの『フロスティ・アイスシルバー』の極薄ストッキング。
氷結した湖面のように冷たく白く、光の角度によって妖しく銀色の粒子を乱反射させる特注品だ。
足元には、12センチのスティレットヒールを備えた、純白のエナメル・アンクルストラップパンプス。
一歩踏み出すたびに、研ぎ澄まされたエッジのように硬質で鋭利な足音を奏でていた。
そして、私――中村沙織、42歳。
かつてシタックス社を上場させたマーケターであり、美姫の師として氷上に君臨した元祖『氷上のプリンセス』。
脚値3億。
今日の私の戦闘服は、夜の闇を溶かし込んだようなディープエメラルドのドレープ・ロングスカートスーツ。
フロントに大胆なセンタースリットが施されたスカートから覗く私の脚を包むのは、5デニールの『ミッドナイト・シャドウプラム』のストッキング。
深い紫の影を落としながらも、極限の透明度が私の太腿からふくらはぎの強靭な陰影を生々しく浮き彫りにする。
足元は、クリスチャン・ルブタンの特注パテントレザー・ポインテッドトゥパンプス。
歩くたびに翻る真紅のレッドソールが、美姫のアイスシルバーと鮮烈なコントラストを描き出していた。
「美姫、油断するんじゃないわよ」
私は、ルブタンのつま先をわずかに整えながら、冷ややかに告げた。
「相手は、あの白鳥家の直系であり、アトランティス会長派の重鎮。……私たちが『反会長派』の牙城である春風の看板を背負ってここに来た意味を、決して忘れないことね」
「分かっています、沙織さん」
美姫の薄い唇に、獲物を狙う氷の獣のような冷酷な笑みが浮かんだ。
「会長派の連中が、どれほど偉そうに踏ん反り返っていようと……氷の上でも、ランウェイの上でも、最後に立つ者が勝者です」
重厚なオーク材の観音扉が、音もなく左右へと開かれた。
2. 白鳥家の令嬢、五億の威光
広大なバンケットルームの中央には、黒大理石で造られた細長いガラステーブルが鎮座していた。
シャンデリアの眩い光が、テーブルの上に置かれた純銀のカトラリーと、最高級のクリスタルグラスを妖しく煌めかせている。
テーブルの奥、上座の中央に座っていた一人の女性が、優雅に足を組み替えながら、私たちを睥睨(へいげい)した。
白鳥明日香。
年齢は30歳。身長176センチ。
アトランティスを牛耳る白鳥一族の直系であり、会長派の最重要権力者のひとり。
そして――脚値、5億超え。
彼女の纏うオーラは、圧倒的だった。
漆黒の髪をクラシカルな夜会巻きに結い上げ、白磁のうなじと鎖骨のラインを惜しげもなく露出させている。
身に纏うのは、最高級のイタリアンシルクで仕立てられた、真紅のホルターネック・マーメイドドレス。
その膝上から大胆に割かれたスリットの隙間から伸びているのは、5デニールの『ロイヤル・オブシディアン・ブラック』に包まれた、息を呑むほどに完璧な極上の脚だった。
無駄な脂肪がミリ単位で削ぎ落とされ、光を吸い込むような漆黒のヴェールが、彼女の肌の白さと肉体的な立体感を悪魔的なまでに際立たせている。
足元は、13センチのピンヒールを持つ、ジャンヴィト・ロッシのブラックサテン・レースアップパンプス。
足首に幾重にも巻き付けられた華奢なコードが、彼女の脚線美の絶対的な支配力を誇示していた。
明日香の背後には、同じく会長派に属する三名の選りすぐりの女性幹部たちが、直立不動で控えていた。
彼女たちもまた、全員が長身で、薄手のシアーパンストと高いヒールで武装した、隙のない佇まいを見せている。
「――お二人とも。相も変わらず、その凍てつくような美しさは健在ですわね」
静寂を破り、明日香の艶やかで、それでいて喉元に刃を突きつけるようなアルトの声が響いた。
彼女は組んでいた脚をゆっくりと解き、5デニールの艶を滑らせるようにして、再び組み直した。
シュルッ……。
極薄のパンスト同士が擦れ合う、あの官能的で硬質な衣擦れの音が、静まり返った大理石の部屋に響き渡る。
私はポーカーフェイスを保ったまま、一歩前へ進み出た。
ルブタンのヒールが、カツンと乾いた音を立てる。
「明日香様の足元には及びませんわ。ご謙遜を」
私の返礼に、明日香の背後に控える部下たちが、わずかに眉を動かした。
お互いが一歩も引かない、美脚の価値(ステータス)をぶつけ合うマウンティングの牽制。
明日香は薄く微笑み、細く長い指先でグラスのステムを弄びながら、優雅に一同を見渡した。
「それでは、皆様。本日はアトランティスという巨大なる共同体の歴史と、今後の更なる繁栄を祈念いたしまして……ささやかながら、極上の美酒と美食をご用意させていただきました。いがみ合う派閥の垣根を一時忘れ、この特別な夜を心ゆくまで味わっていただきたく存じますわ」
洗練され尽くした、完璧な外交辞令。
だが、その言葉の裏に張り巡らされた毒針を、私と美姫が見逃すはずもなかった。
「お招きいただき光栄ですわ、明日香様」
私と美姫は、向かい側の席へと腰を下ろした。
冷たい前菜――キャビアを添えた平目のカルパッチョと、シャンパーニュが運ばれ、表面上は穏やかな会食が幕を開けた。
だが、誰ひとりとして料理の味など楽しんではいない。
テーブルの下では、5デニールのストッキングに包まれた女たちの脚が、見えない刃のように交錯し、張り詰めた空気を切り刻んでいたのだ。
3. 曖昧な境界線、囚われの男の行方
グラスのシャンパーニュにわずかに口をつけたところで、美姫が静かにフォークを置いた。
彼女の冷徹なアイスブルーの瞳が、テーブル越しに明日香の胸元を射抜く。
「明日香様。前置きはこれくらいにいたしましょう。……単刀直入にお聞きいたしますわ」
美姫のストレートな物言いに、明日香の部下の一人がピクリと肩を揺らしたが、明日香自身は優雅にナプキンで口元を拭っただけだった。
「白鳥和也の身柄の件……あなた方会長派は、手を引いていただけないかしら?」
部屋の空気が、一瞬で氷点下へと凍りついた。
白鳥和也。
アトランティス Dランクまで上り詰め、暗躍したが、現在は裁判を経て刑務所に拘禁されている男。
そしてこの美脚市場における秘密をその身に持つキーパーソン。
明日香は、美姫の鋭い切り込みに対し、呆れたように小さく喉を鳴らして笑った。
「あら、気が早いですわね、美姫さん。……それに、おかしなことを仰るのね」
明日香は、真紅のドレスのスリットから覗く5デニールの太腿を、これ見よがしにテーブルの縁へと寄せた。
「和也様は、本来そちら――反会長派が管理する系統の刑務所に収監されているはずではありませんこと? あなた方こそ、この件から綺麗サッパリ手を引いてくだされば、レッグフェラー財団のような嗅覚の鋭いハイエナどもも、うかつには動けないはずですわよ?」
「……なんですって?」
美姫の眉が、険しく跳ね上がる。
私は、テーブルの下で美姫の膝にそっと手を置き、彼女の逸る感情を制した。
(……やはり、そういうことか)
私の脳内で、冷徹なマーケターとしてのシナプスが高速で回転する。
信じがたい事実だが、これが現実なのだ。
アトランティスという怪物は、会長派と反会長派という巨大な二つの派閥に分裂し、その勢力争いはすでに組織内部の末端にまで及んでいる。
そして、白鳥和也という劇薬のような男の身柄について――
「和也が現在、どちらの派閥の管理下にある刑務所に置かれているのか」という境界線が、双方の認識の間で完全に曖昧になっていたのだ。
会長派は「反会長派の刑務所にいる」と思い込み、反会長派(私たち)は「会長派が裏で糸を引いて囲っている」と疑っている。
この巨大な組織の機能不全。
そして、その「境界線の歪み」にこそ、天敵であるレッグフェラー財団が忍び込み、情報を攪乱する最大の隙が生まれていたのだ。
「……言葉の応酬は不毛ですわね、明日香様」
私は、バッグから薄型のタクティカル・データボードを取り出し、ガラステーブルの中央へと滑らせた。
「お互いの認識のズレを、データで検証いたしましょう」
明日香が顎で合図すると、彼女の部下が端末を操作し、テーブルのガラス天板の上に、都内および関東近郊の拘禁施設、民間委託刑務所の利権マップがホログラムとして青白く浮かび上がった。
「現在、白鳥和也が移送されたとされる施設は三箇所」
私は、ルブタンの爪先をフロアにしっかりと固定し、冷静に画面を指し示した。
「第一に、府中刑務所内の特別警備エリア。第二に、民活刑務所である喜連川社会復帰促進センターの地下特設フロア。そして第三に……反会長派が実質的な管理権を握る、関東医療少年院跡地の極秘収容施設。……ですが、どのデータログを参照しても、和也の現着サインが二重に改ざんされている」
「ええ、その通りですわ」
明日香の瞳に、冷たい嘲笑が浮かぶ。
「我が白鳥家の情報網をもってしても、彼の正確な現在地を掴みかねている。……まるで、見えない第三者の手が、彼をチェス盤の上で瞬間移動させているかのようね」
画面上に点滅する、無数のグレーゾーン。
両陣営の管轄が交差し、誰も責任を持てない死角。
そこには、レッグフェラー財団が潜伏している拠点や、彼らの工作員が張り巡らせたセーフハウスの存在すら、正確にプロットし切れていなかった。
このままでは、白鳥和也という果実をめぐり、お互いが疑心暗鬼のまま共倒れになるか、あるいはレッグフェラー財団にすべてを掠め取られるのは時間の問題だった。
そして――。
(……ん?)
説明を続けながら、私の研ぎ澄まされた観察眼が、明日香の背後に立つ三人の部下のうち、左端に立つ女の些細な挙動を捉えた。
年齢は20代後半。
チャコールグレーのタイトスカートに、5デニールのナチュラルブラックのパンストを穿いた女。
彼女は、ホログラムに映し出された喜連川のデータログが表示された瞬間、ほんの一瞬、コンマ数秒だけ、視線を自らの手元のスマートウォッチへと落とし、微細な信号を送信するような指の動きを見せたのだ。
(……なるほどね)
私は内心で冷ややかに唇の端を吊り上げた。
(会長派の重鎮の背後に、レッグフェラー財団の潜入工作員(スパイ)が紛れ込んでいるというわけね。……明日香様、あなた足元をすくわれているわよ)
だが、私はその事実を今ここで指摘するような愚かな真似はしなかった。
敵の綻びは、自らが最大の利益を得る瞬間にこそ、致命的なカードとして切るべきなのだから。
4. 食後の遊戯、氷上プリンセスの闘志
ホログラムの光が消え、再び暗がりの中にキャンドルの炎が揺らめいた。
議論は完全に膠着していた。
白鳥和也の身柄をどちらが抑えるか。
そして、曖昧になった関東の境界線(グレーゾーン)の利権を、どちらの派閥が掌握するのか。
言葉によるディベートでは、もはや一歩の譲歩も生まれない。
美脚市場におけるすべての利権争いが、最終的に行き着く結論は、ただ一つしかない。
カチャリ、と静かな音を立てて、明日香がワイングラスを置いた。
彼女は、真紅のマーメイドドレスの裾をわずかに引き上げ、その凶悪なまでに美しい5デニールの脚を、テーブルの下から組み直して見せた。
ピンヒールの先端が、冷たい空気を切り裂く。
「……ねえ、お二人とも。食後の運動でもしていきませんか?」
明日香の妖艶な瞳の奥に、獲物をいたぶる獣の残酷な光が灯った。
「言葉で白黒がつかないのであれば、私たちの世界の『絶対のルール』に従うまで。……この地下迎賓館の最深部には、アトランティス直営の特設ランウェイが用意されておりますのよ」
陣取り合戦。
管轄の奪い合い。
そして、白鳥和也の優先交渉権。
そのすべてを懸けた、ランウェイバトルの宣戦布告だった。
その挑発に対し、美姫の全身の筋肉が歓喜に震えるのを、私は隣で肌身に感じていた。
美姫は、12センチの純白のピンヒールを力強く床に踏み鳴らし、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
180センチの圧倒的な長身が、明日香を見下ろす。
「――素晴らしいご提案ですわ、明日香様」
美姫の氷のように冷たく澄んだ声が、サロン全体を震わせる。
「ですが、後悔なさらないことですわね。……取り返しのつかない事態にまで発展して、その高慢なお顔を涙で濡らし、泣き言を言う羽目になりますよ?」
その痛烈な返答に、明日香の眉がピクリと跳ねた。
だが、白鳥家の令嬢は決して動じることなく、冷ややかに唇を歪めた。
「ふふ……それは、あなた方のほうですわよ、美姫さん」
明日香は、真紅のドレスを翻し、優雅に立ち上がった。
5デニールのロイヤル・オブシディアン・ブラックに包まれた彼女の美脚が、シャンデリアの光を浴びて、死神の鎌のような冷たい艶を放つ。
「食事が終わり次第……あちらのステージへ移動いたしましょう。あなたたち『氷上のプリンセス』の足腰が、私の前でどれほど保つものか……試して差し上げますわ」
二人の怪物の間で、見えない火花が爆発的に散る。
私は、ルブタンの赤い靴底を静かに整えながら、冷たい笑みを浮かべて立ち上がった。
(いいでしょう、白鳥明日香。……そして、潜り込んでいる財団のネズミも。まとめて、私たちの氷の刃で切り刻んであげるわ)
地下深く、美脚市場の覇権を懸けた新たなランウェイバトルの幕が、今、切って落とされようとしていた。
(境界線上の視線・「偽りの春編」春風の章・第七話:氷上の晩餐、歪む境界線 了)
本作に登場する人物、団体、地名、事件等はすべて架空のものであり、フィクションとしてお楽しみください。実在のものとは一切関係ございません。また、本作はAIとの共同作業により制作されました。
