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たった2日間の話し合いが、女性たちの一生を変えた|実話・アカデミー賞脚色賞受賞作をアドラー心理学/男性優位社会の視点で解説 ウーマントーキング 私たちの選択(2022年アメリカ)【ネタバレなし】


この映画の魅力を3行で

  • 実際に南米ボリビアで起きた事件をもとに、ミリアム・トウズが書き上げたベストセラー小説を、サラ・ポーリー監督が映画化した作品です。

  • ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、フランシス・マクドーマンドら実力派俳優たちが、たった2日間の「話し合い」に人生のすべてを賭ける女性たちを演じきります。

  • 第95回アカデミー賞脚色賞を受賞したこの映画は、静かな一室での会話だけで、これほどの緊張と感動を生み出せるということを証明した作品です。


こんな方におすすめ

  • 「男性優位社会」がどのように成り立っているのか、具体的に知りたい方

  • 対等な協力関係を築こうとして、生きづらさを感じたことがある方

  • アドラー心理学の視点から、人類社会の成り立ちを学びたい方

  • 静かな会話劇の中に凝縮された緊張感を味わいたい方

  • アカデミー賞受賞作から、社会派の感動作を探している方


はじめに

 もし、自分の受けた被害が「悪魔の仕業」だと言われ続けたら、あなたはどうしますか?

 2010年、自給自足で生活するキリスト教一派のとある村で、女性たちは繰り返し性暴力(レイプ被害)を受けていました。

 男性たちは、それを「悪魔の仕業」「作り話」だと言い続けます。

 しかし、やがて女性たちは、それが紛れもない犯罪であったことを知ります。

 そして、男性たちが街へ出かけ、村を留守にする2日間、女性たちは、自分たちの未来を懸けた話し合いを始めます。

 「ウーマントーキング 私たちの選択」は、この2日間の議論を描いた作品です。

 派手なアクションはありません。

 ただ、言葉と沈黙と涙が積み重なっていく中で、人がどれほどの重さを背負って一つの決断にたどり着くのかが、静かに、深く伝わってきます。

 さあ、感情の奥行を、この映画から…


作品概要

 本作「ウーマントーキング 私たちの選択」は2022年公開のアメリカ映画です。

 監督は「アウェイ・フロム・ハー 君を想う(2006)」「テイク・ディス・ワルツ(2011)」のサラ・ポーリー。

 原作は、2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際に起きた事件をもとに、ミリアム・トウズが執筆し、2018年に出版されたベストセラー小説『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』です。

 主演を務めるのは「キャロル(2015)」のルーニー・マーラ。

 クレア・フォイ、ジェシー・バックリーらが共演し、「ノマドランド(2020)」「スリー・ビルボード(2017)」のオスカー女優フランシス・マクドーマンドが、プロデューサーと出演を兼ねています。

 第95回アカデミー賞では作品賞と脚色賞にノミネートされ、脚色賞を受賞しました。

 静かな納屋の中で交わされる議論だけで構成されるこの映画は、俳優たちの表情と言葉の力だけで、観る者の心を揺さぶり続けます。


あらすじ&みどころ

 2010年、自給自足の共同生活を送るキリスト教の一派の村。

 女性の信者たちが、夜間に体に多くの傷やあざを作る事例が多発します。

 男性信者たちは、それを「悪魔の仕業」だと信じ込ませようとしてきました。

 しかしやがて、被害者の女性たちは、それが男性たちによるレイプ行為であったことを知ります。

 男性たちが街へ出かけて不在となる2日間。

 女性たちは、今後自分たちはどうするか、をじっくりと話し合うことになります。

 みどころは、この話し合いそのものです。

 黙って従うのか、闘うのか、それともすべてを捨てて村を出るのか。

 世代も立場も違う女性たちが、それぞれの経験と信念をぶつけ合いながら、一つの答えへと近づいていきます。

 何が語られ、どんな決断が下されたのか…その過程には、これまでのどの作品にも見られなかった種類の緊張感があります。


アドラーレンズの視点①:男性優位社会は、どのようにして人を縛るのか

 「男性優位社会」という言葉を、ここで一度、丁寧に見つめ直してみたいと思います。

 男性優位社会とは、男性であるというだけで優位な立場に置かれる社会のことです。

 ではなぜ、そのような構造が長く続いてしまうのか。

 その根本には、経済的な基盤(家督、家計、収入といった生活の土台)を、男性側が握っているという事実があります。

 生活の土台を握られているということは、そこに逆らえば、生活そのものが立ち行かなくなるということです。

 この構造に異を唱える者が現れたとき、その者の生活基盤を壊すか、仲間外れにして生活に支障をきたさせることで、簡単に黙らせることができます。

 これは女性に対してだけではありません。

 男性優位社会を支持しない男性もまた、同じように孤立させられます。

 つまりこれは「男性対女性」の対立ではなく「この構造を支持する者」と「支持しない者」の間に引かれた線なのです。

 そしてこの映画が描く村では、さらに恐ろしいことが起きています。

 本来、被害を受けた人は、社会から保護されるべき存在です。

 しかしこの村では、それが逆転しています。

 加害者である男性たちの方が、保護されているのです。

 なぜそうなるのか。

 加害者を裁くということは、その加害者が担っていた「男性優位社会の支持者」という立場そのものを揺るがすことになるからです。

 一人の加害者を罰することは、構造全体を疑うことにつながります。

 だからこそ、構造を守るために、加害者の方が守られてしまうのです。

 その結果、女性たちは、被害を受けたにもかかわらず、自分たちだけでその決着をつけなければならなくなります。

 残された道は、実質的に三つしかありません。

 今後も男性優位社会を支持する男性に黙って従うか、彼らと闘うか、すべてを捨てて村から離れるか。

 これらのどれもが、大きな犠牲を伴います。

 従えば、被害は繰り返されるでしょう。

 闘えば、暴力でかなうはずもなく、村での居場所を失うかもしれません。

 出ていけば、これまで築いてきた生活のすべてを手放すことになります。

 これが、男性優位社会という構造が、人をどれほど深く縛るものであるかということを物語っています。

 まだこの言葉に馴染みのない方も、この映画を通じて、その輪郭がはっきりと見えてくるでしょう。


アドラーレンズの視点②:アドラーが語る文明史、「協力関係」から「支配関係」へ、そして再び

 ここからは、少し視野を広げてみたいと思います。

 この男性優位社会という構造は、いつ、どのようにして生まれたのか。

 アドラーは、人類の文明史そのものについて、興味深い見解を残しています。

 アドラーによれば、共同体(社会・人の集まり)は、「母権の時代」から始まったといいます。

 これは、女性が共同体の責任者を務めていた時代です。

 男性はその社会の責任者である女性に仕え、自分の力を、共同体を守るために使っていました。

 この頃、対人関係の基本は「協力関係」でした。

 しかし、あるとき、一人の男性が、その力を「共同体を守ること」ではなく「共同体を支配すること」に使ってみました。

 すると、それができてしまったのです。

 この成功に味を占めた男性は、その力を使って、自分の欲を満たすことを追求し始めます。

 これが、男性優位社会の起源です。

 この瞬間から、対人関係の基本は「協力関係」から「支配・隷属関係」へと塗り替えられていきました。

 その後、支配する側の男性たちは、自分たちの支配力をさらに強化しようと動き続けます。

 それは、宗教の解釈という形をとり、法律という形をとり、その他さまざまな社会のルールという形をとりながら、現在にまで受け継がれてきています。

 この映画の村が、宗教を根拠に女性の被害を「悪魔の仕業」だと言い張ったことも、その長い歴史の線上にあります。

 ここで、もう一つ興味深い視点があります。

 戦争がある時代には、共同体の責任者としての「成長」は、それほど必要とされませんでした。

 力による支配がそのまま機能したからです。

 しかし、戦争がない時代になると、共同体の責任者には、力による支配ではない、別の種類の成熟が求められるようになります。

 そして実際に、少しずつではありますが、「支配・隷属関係」を維持し強化するために作られてきた宗教の解釈や法律やルールは、「協力関係」を基本とするものへと変わり始めています。

 人類が本当に成長しようとするならば、男性優位社会から、母権の時代のような「協力関係」を基本とした社会へと、もう一度再構築していく必要があるのです。

 これは、単なる理想論ではありません。

 協力関係を基本とした社会になれば、他者への関心を持つことが、今よりずっと簡単になります。

 他者への関心が持てれば、他者貢献も、他者信頼も、自己受容も、自然と実現しやすくなります。

 そうして、共同体感覚は発達の機会が増え、真の幸福感を感じる機会の多い社会へと向かっていくのです。


 さて、この歴史の流れを踏まえたうえで、現代を生きる私たちの状況を見つめてみましょう。

 現代において、男性優位社会を支持する人(それは男性だけでなく、女性の中にもいます)は、社会からある程度保護されてはいるものの、少しずつ生きづらさを感じ始めています。

 時代の流れが、協力関係を基本とした社会へと少しずつ動いているからです。

 かつて当然だったものが、当然でなくなっていく。

 その変化の中で、戸惑いや息苦しさを覚えることは、決して不自然なことではありません。

 一方で、男性優位社会を支持しない人(対人関係は協力関係の方が優れていると気づいている人たち)は、確実に増えてきています。

 しかし、この人たちもまた、生きづらさを抱えています。

 自分が正しいと信じる生き方を実践しようとしても、社会からの保護がまだ薄いため、孤立や摩擦を経験することが少なくないからです。

 どちらの生きづらさも、軽んじられるべきものではありません。

 前者は、時代の転換点に立たされている戸惑いです。

 後者は、新しい時代を先取りして生きようとする者が払う、先駆者としての犠牲です。

 もしあなたが後者、すなわち協力関係の方が優れていると気づき、それでも生きづらさを感じている側だとしたら、どうか知っておいてください。

 その生きづらさは、あなたが間違っているからではありません。

 社会の側が、まだあなたに追いついていないだけなのです。

 アドラーの文明史観に立てば、あなたの生き方は、人類がこれから向かおうとしている方向そのものです。

 その道を、諦めないでください。

 あなたのような人が増えていくことで、社会は少しずつ、協力関係を基本としたものへと向かっていきます。


読者への問いかけ

 あなたが今属している関係(職場でも、家庭でも、友人関係でも)は、協力関係でしょうか、それとも支配・隷属関係でしょうか?

 もし後者だと感じる部分があるなら、それを協力関係へと変えていくために、今あなたにできる小さな一歩は何でしょうか?


おわりに

 この映画に描かれた村の姿を見ていると、社会が未熟であることが、これほどまでに偏った価値観の中に人を閉じ込めてしまうのかと、胸が痛くなります。

 同時に、私たちの生きる時代は、そこから確かに進歩してきたのだと実感します。

 それは自然に訪れたものではありません。

 平等と公平のために声を上げ、闘い、生き方を貫いてきた人々の血と汗の積み重ねの上に、今の私たちの暮らしがあります。

 その事実に、あらためて感謝が湧いてきます。

 そして、その歩みは、まだ終わっていません。


作品概要(クレジット)

  • タイトル:ウーマントーキング 私たちの選択(原題:Women Talking)

  • 公開年:2022年(アメリカ)

  • 監督:サラ・ポーリー

  • 原作:ミリアム・トウズ「Women Talking」(2018年、南米ボリビアで実際に起きた事件をもとにした小説)

  • 出演:ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、ベン・ウィショー、フランシス・マクドーマンド(プロデューサー兼任)

  • 備考:第95回アカデミー賞脚色賞受賞、作品賞ノミネート。


ここまでお読みいただき、
本当にありがとうございます。

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 そして、あなたの「男性優位社会に触れた経験」や「協力関係」について、ご無理のない範囲でコメントくださると、嬉しいです。

また次の記事でお会いしましょう。
ありがとうございます。

メンタルコーチ 中村常楽



プロのメンタルコーチと走る、ユニークなランニングクラブ🏃


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