『裏技くんがゆく ― 夏の交差点で ―』
夕方の文芸サークル室。
エアコンの風が止まり、外のセミの声が透けて聞こえる。
机の上にはノートPCと冷めた缶コーヒー。
画面には、noteの「売上:100,000円」の文字が光っていた。
裏技くん:「ほら見てください、王道さん。ついに月10万円、いきました!」
王道さん:「おぉ、すごいじゃないか。記事、当たったのかい?」
裏技くん:「いえ、記事っていうか……仕組み、です」
王道さん:「仕組み?」
裏技くん:「友達10人でお互いの有料記事を1万円ずつ買い合うんです。
ほら、売上は10万。支出も10万。利益はゼロですけど、“売れた”ことに変わりはないでしょ?」
その声には、どこか弾むような、けれど震えるような響きが混じっていた。
モニターの光が裏技くんの頬を照らす。
「実は今月でnoteのキャンペーン終わっちゃうんです。
あいつの売上だけ先に伸びてて、ちょっと焦ってて……」
指先で缶コーヒーのプルタブをいじりながら、彼は笑った。
王道さんは、少し笑って頷いた。
「なるほど。考えたね。つまり“実績を作る裏技”か」
裏技くん:「そうです! みんな“実績”がないと買ってくれないんですよ。
『売上ゼロ』より『売上10万円』の方が、やっぱり信頼されるじゃないですか?」
王道さんはしばらく沈黙した。
風鈴の音が窓の外で小さく鳴った。
王道さん:「たしかに、インパクトは違うね。
でも裏技くん――そのコンテンツ、君は“1万円の価値がある”って胸を張って薦められるかい?」
裏技くんは少し笑ってごまかした。
「うーん……まぁ、頑張って作りましたけど……そこまでは……」
王道さんは頷き、柔らかく続けた。
「もし、君の友達が“同じ方法”で売ってたら、君はその1万円を喜んで払うかい?」
沈黙。
裏技くんの目が少し泳ぐ。
裏技くん:「……たぶん、買わないです」
王道さん:「そうだろう。君は今、“信頼の代わりに数字を回している”んだよ」
裏技くん:「……信頼の代わり、か」
少し間を置いて、裏技くんは顔を上げた。
「先生は、何を基準に有料記事を買いますか?」
王道さんは少し目を細めた。
「とてもいい質問だね。
僕の考えだけど――まずは無料記事を読むよ。
その人の価値観とか世界観を感じて、共感できるかどうかを判断する。
それがつかめないうちは、買わないかな。
無料記事に“あ、この人いい感じだな”って思えたらフォローして、他の記事も読む。
たとえ価値観が違ってもね、“誠実に言葉を書いている人”なら応援したくなるんだ」
少し間を置いて、王道さんは缶コーヒーを指で転がした。
中で残った氷がカランと音を立てる。
「たとえばね、数字は全然ないけど、毎回読み終わると心が洗われる人がいる。
上手いとかじゃなくて、誰にも真似できない誠実さがあるんだ。
そういう人の記事には、ついお金を払いたくなる。
この缶コーヒーみたいに、冷めても味がある言葉を書けるといいね」
裏技くんは真剣に頷いた。
「なるほど……心の共鳴ってやつですか」
「そう。数字は信用を示す指標にはなるけれど、信頼そのものじゃない」
王道さんは微笑み、机の上のPCを指さした。
「信頼は、数字じゃなく“積み重ねた日々”でしか動かないんだよ」
裏技くん:「……でも、その日々が長いんです」
王道さん:「焦らなくていい。君の“作品”が君の実績になる。
本物は、時間がかかるほど強くなるからね」
窓の外で、信号が青に変わった。
裏技くんは少し笑って、パソコンを閉じた。
「……じゃあ俺、もうちょっと書いてみます」
「そうだ。それが一番の裏技だよ」
風鈴の音がまた、静かに鳴った。
― エピローグ ―
夜。
サークル室の灯りが落ちたあと、モニターの残光が机を照らしていた。
王道さんの置き忘れたノートが一冊、そこにあった。
表紙をめくると、黒インクでこう書かれていた。
> 「誰かの数字になるより、誰かの言葉になれ。」
その一行だけが、裏技くんの胸に残った。
翌朝、彼はいつもの喫茶店で、初めて無料の記事を書いた。
タイトルは短く――
『まだ何者でもない僕へ』。
風がカラン、とドアベルを鳴らした。
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