18―最終章―「ぼくの『ゆうべの夢』、彼女の『明日への讃歌』。そして、その頃。」

【ぼくの『ゆうべの夢』、彼女の『明日への讃歌』。そして、その頃。】
第十一章 ―最終章―
ぼくが十六歳、高校二年生に進級したある日、深夜ラジオを聴きながら、自室の勉強机の前でうとうとしかけていたとき、かぐや姫のパンダさんが創った『こもれ陽』がラジオから流れていたのだけは覚えている。
この曲は白石まゆこがいたなら、
「『一七の君は 僕の花嫁』って歌詞、パンダさんが一七って年齢を一人前の人間として大人扱いしてくれているのが嬉しかったし、ほんとに優しい眼差しを感じるわ。だって普通の大人からみると、高校二年の一七歳なんてとるに足らない年齢だろうからね」ときっと言うだろうなと思い、
「そうか、白石が生きていたら、今年で十七歳か」と考えるでもなく考えていたら、何かの気配を感じた。
ふと半分目を開けると、そこにまゆこが立っていた。
実体がないような、光が透き通っている薄いゼリーのように、辛うじて存在している、不思議な姿だった。
でもなぜかそれが白石だと、ぼくには確信できた。
「逢いにきたよ」そう白石はハッキリと言った。
それは今思えば、それはゆうべの夢での出来事だったのかも知れない。
でもそんなことは、もうどうでも良かった。
「本当に白石なのか?」ぼくは訊いた。
「うん。いつか会いに来るって約束したからね」
「なんか、嬉しい。てっか、めっちゃ、嬉しい」
「どう? 内村くん、元気そうね」
「なんとかやってる。そんなことより、白石はどうなんだ? 今どこにいるの? なにしてるの?」
「お化け、してる」ぼくらは笑った。
目の前のできごとが嬉し過ぎて、なんだか涙がでそうだった。
本当に、白石まゆこがここに存在している。
あの白石とぼくとが、ほんとうに今、喋っている。
あの白石がいる。
なんだか頭がクラクラするくらい、不思議な時間だった。
「あのね、突然黙って居なくなったこと謝りにきたの。私も本当はめちゃめちゃ会いたかった。やっぱり不安だったし、『死』を一人で見つめるのは正直、怖かった。
でも内村くんに連絡しなかったのは、もう私の『死』に内村くんの人生を巻き込みたくなかったの。迷惑かけたくなかったし、あれ以上内村くんと仲よくなったら、私がいなくなったとき、もっと内村くんが辛い思いするでしょ? だから内村くんと商店街のジャズ喫茶店の前で軽く手を振って別れたあのまま、あのときの純粋な内村くんのまま、これからのじぶんの人生を歩んでほしかったの。そしてこれからの内村くんの人生に、私なんかの影を引きずらないで欲しかったの。
でもね、正直『どうして私だけ』って一度も思わなかったって言ったら、嘘になるわ。生きるとか死ぬとか病気とか。みんなそんなことも考えずに、楽しく過ごすのが、普通の十五歳でしょ。そりゃ十五なんだもん、私だってもうちょっと生きたかったよ。でも、だれにも知られず、だれの印象にも残らず、そっと十五で消えていくこんなささやかな私の人生のすべてを、神さまは何一つ見逃さず見てくれていた。
内村くんがクラスで目立たない私を見つけてくれたように、神さまだけはこんなちっぽけな私を見過ごさなかった。愛してくれた。それだけで、嬉しかった。私は神さまに愛されていたのよ。とても愛されていたのよ。だからこれが私の誇らしい人生。
――それとね、十五歳のあの頃の私の感性を高めてくれた内村くんとの日々と、内村くんにもらった希望に感謝とお礼を言いにきたの」
「そうか。白石は白石で、苦しんだんだよな。でもオレも、頑張ったよ。でもやっぱりオレ、辛かった。白石が突然目の前から消えて、ほんとに苦しかったよ。だって目の前に白石がいなければ、いったいどうやって白石の苦しみを背負ってやることができるんだよ?
迷惑だって? いいじゃん、迷惑かけたって。だれも迷惑かけずに生きてる奴っていないよ。だからオレの人生がどんなに苦しくても、オレは白石を守ってあげたかったんだよ。白石のために一緒に生きたかったんだよ。
だって一番大切な物を、一番大切な人にあげる、それが愛だろ?
オレには何もない。白石にあげられるものは何もないよ。でもたった一つあげられるものがあるとすれば、それはオレの命だよ。
だから白石の魂の苦しみが少しでも減らすことが出来るのなら、オレの命なんかもういらないと決めていたんだよ。そんなもの、白石を守るって決めたときから、もう捨てていたよ。
白石がよければただそれだけでいい、オレの存在なんてもうどうでもいい、いつもそう思ってたんだ。他に望むことなんて、なにひとつなかったよ――
そんなのあるわけ、無いじゃん。
なぁ白石? 白石はあのときの、あの感じのままで、生きてるの?」
「ありがとう…… 内村くん、苦しませたんだね。ほんとにごめんね。あのね、肉体を抜け出て、あの世ってところに還ったらね、地上で生きてた頃の経験や覚えたことも大切だけと、魂だけになってこっちに移行したらね、もっとも大切なのが、美しい気持ちって分かったんだよ。
じぶん以外の人を優しく思う気持ち。私、肉体をもって生きているとき、なぜもっと色んな人に、優しくしてあげなかったかって、それだけは心から後悔したよ。今から考えれば、やろうと思えば、いくらでもできたんだよ。
でも私、やらなかったんだよ。
なんで神さまからもらった貴重な時間を、じぶんのためだけに使ってしまったのかって、それは悔やんでも悔やみきれなかったよ。やっぱり私、神さまの気持ちも知らずに、じぶん勝手に生きていたんだよ。
あの世って呼ばれる次の段階の世界では、純粋な、崇高な気持ち、これが絶えず光に翻訳されてね、天女と呼ばれる人の周りの空間には、本当にそれがキラキラと降り注いでるの。
それはそれは、本当に綺麗な次元の世界よ。内村くんに見せてあげたいくらい。私、その光りにほんと憧れるわ。そしてね、生きていたときも私たち、やっぱりそれをどこか魂で求めてたのよ。
よく内村くんが言ってたじゃない。真実とか、永遠とか、純粋性だとか。それって地上で求めるのは馬鹿らしく、なんの得にもならないように思えるけど、違うのよ。あの世って呼ばれる世界って、それがすべてなのよ。
他者への思いやりしかない世界。美しく、抽象的な言葉しかない、心の世界。それは本当に圧倒的で、美しい世界よ。
だからね、内村くんはなにひとつ間違ってなかったのよ。いくら頭が良くても、テストの成績が良くても、唯物論や無神論者なら、魂だけになっちゃつたらそりゃあ大変よ。人間として赤点だもの。無神論と他人に知られれば、もう天国にはいられないとじぶんで分かるほど、それは恥ずかしい瞬間よ。神さまから見たら、何一つ誤魔化しが効かない世界よ。落第してもう一度、学習しなおしよ。
無神論の人の人生って、無駄な時間のただの浪費だから、真実を知ろうとしない、知らないって、本当に割に合わない魂のロスだよね。だって最初からそういう風に、この世とあの世は連動して魂を磨くことが目的で、神さまが創られたものなんだもん。
だからね、十五歳のころの内村くんって、真実を求めたいみたいなそんな純粋な心、持ってたじゃん。それを大人になっても、絶対捨てないでって、私、内村くんにはそれを伝えたくって」
「あぁ、ありがとう」ぼくは時間が気になった。白石がこうしてられる時間があまりない気がしたからだ。そのぼくの気持ちが伝わったのか、
「うん。もうそろそろ、還らなくっちゃ」
「もう逢えないの」答えは分かっているのに、そう訊いてしまった。
「うん。これっきりだよ。でもいつも見守っているよ」
その白石の言葉に、ぼくにはもう返す言葉が見つからなかった。
ただ、生きている白石に伝えたかったけど伝えられなかったことがひとつだけあった。
それを伝えられなかったぼくは、この最後のチャンスに、それを言うべきかどうか、一瞬迷った。
でも迷っている暇はないのが分かっている。白石は微笑みながら、だんだん透明になって消えようとしている。
「白石!」と言ったら、白石は少し首を傾け、
「何?」って表情をつくった。
あぁ、白石が消える! と思ったと同時に
「ずっと、好きだったんだ!」と言った。
辺りの空気が少し揺れたのは、気のせいだったのかも知れない。
後の言葉、白石には届いたのだろうか?
それはぼくには分からなかった。
ぼくは、ただ茫然と白石との最後の余韻を心に感じていた。
これが言えたなら、ぼくの幼い子ども(ガキ)のような時代もこれで終わりかもしれないなと、そう思うと、寂しくもあり、明日からまた新たに頑張って生きてみようと思った。
窓を開け空を見上げたら、夜なのに白い単独の淡い雲が、ゆっくりと月の光の中を異常に輝いて、風の方向と関係がないように流れているのを見つけた。
その光る薄い雲は、まるで天女が天に還って往く姿に見えた。
ぼくは『白石がとうとうじぶんの繭から出て、透明な羽で自由に空を飛び回っているんだな』と思ったら白石の天に向かって還って往く歓びが、じかに伝わってくるようだった。
ぼくは綺麗でとても不思議な、天の一角をけなげに目指し、そして一途に流れていくその光る雲を、ただ見とれて立ち尽くしていた。
しばらくして、
「私も好きだったよ」と白石の声が、心の中で響いた。
白石まゆこという十五歳の聡明な女の子が、あの時代、あの時期、あの頃、本当に真面目に真剣に、そして純粋に生きていたということを、信じて知ってもらえたら嬉しいし、これを読んだその中の何人かは、ぼくと同じような感覚で、未完成だけど、がむしゃらで一途だったあの頃の気持ちを、大人になっても忘れないでいてくれると嬉しい。
そして本当の真実は、先が見えなくて孤独で苦しいときに、そのときにこそ神さまの光りは降りそそいでいたんだなぁと、あとになって知る。
神さまはその人間が一番苦しいとき、泣いている赤子をなんの見返りも求めない母親が寄り添いただ抱きしめるように、ぼくたち未熟な人間を、一緒に涙を流しながら黙ってそっと抱きしめてくれている。
祈りに応えがないという大人たちは、神さまの沈黙の応えはとっくに、神さまが存在するということで、既に完結している。
天に宇宙があり、地に愛し合う人がいる。それらに絶え間なく降りそそがれている愛によって、神さまの祈りに対する応えは、証明されていることを知らない。
そして人はあとになってそれに気づく。
ぼくはそれに気づかなかったぼくの未熟さも含め、二度と還らぬその時間そのものが、大切な宝物だと今も心にしまっている。
愚かにもぼくも、それにやっと、今気づいて涙がこぼれた。
君がぼくの隣にいた
ぼくが十五の頃
白石への永遠の愛の中に一瞬だけ垣間見た
ゆうべの夢のような出来事――
そして白石の魂の希望と生命の耀(かがや)き
ただそれだけが
ぼくにとって青春であり
ただそれだけが
ぼくにたちとって真実だった――
【ぼくの『ゆうべの夢』、彼女の『明日への讃歌』。そして、その頃】―神さまを信じない彼が、神さまを信じる彼女に恋をした
おわり
