文字びっしり!映画「セブン」ジョン・ドウのノート
映画の中の印象的なノートといえば、「セブン」(1995年デビッド・フィンチャー監督)の連続殺人犯、ケヴィン・スペイシー演じるジョン・ドウが、自らを含む人々が日々犯し重ねる罪の数々を記録していた膨大な冊数にのぼるノートをあげなければならない。
「セブン」のオープニング映像ほどスタイリッシュで、かつ恐ろしい気持ちにさせられる冒頭映像を、私はほかに知らない。
連続殺人犯ジョン(ジョン・ドウは名無しの意味で、最後まで本名は不明)は、自室におびただしい数のノートを保管していた。壁一面、あるいはもっと。見開き両面、裏表、全てのページにぎっしりと文字が書き込まれている。映像に映るそのノートの様子だけでも、極端に繊細で神経質、社会や人々に対して激しく偏った怒りをうちにため込んだジョンの異常性が垣間見える。


ジョンはただ悶々とノートの中にだけ怒りをとどめていたのではない。怒りはそのまま他人への暴力となって実際に多くの犠牲者を自ら生み出しては、その記録をノートの中へつぶさに残していた。これは何のノートといえるだろうか。ライフログ?バレットジャーナル?いずれにしても、一度見るだけでもう十分。吐き気を伴うようなおぞましい内容であるのは間違いないだろう。
実は、ジョンがノートを書いている姿は、映画の本編中にはどこを探しても見つけられない。冒頭の映像中、手元をクローズアップしたイメージしかないのだ。ノートを書いている時のジョンの表情はどうだったか、映画を観る人は最後まで見ることはできないが、おそらくうっすらと笑みを浮かべたような、恍惚とした表情ではなかっただろうか。
ラストシーンで、全てを失ったことを悟るミルズ刑事の心象は想像を絶するものだが、それでも人々の人生は続き、この残酷な世界で生きていかなければならない現実がある。心を無にして生きるのか、人生を終わらせるかしかないのだと選択肢を突きつけられているようで苦しいが、先輩刑事のサマーセットが自身に言い聞かせるように語る。残酷な世界が広がる街の片隅で、きっと生き続けるだろう。小さな希望を胸に自分も生きていく以外にないのだと。
映画公開当時、小さな無人駅の入り口近くに、この映画「セブン」のポスターが貼ってあった風景をよく思い出す。強烈な「セブン」のイメージは、いまも私の脳裏に焼き付いて離れない。
