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留学が始まったばかりの頃、私は毎晩、部屋のベッドに丸まって泣いた。

窓の外に灯る街灯の光はぼやけ、いつも同じ形の影を壁に落とす。

ノートの余白に日本語で「帰りたい」「無理だ」と書き殴るしかできず、文字が涙でにじむたびに、気持ちも一緒にぼやけていった。
朝になると、また学校に行かなければならない。
教室に座ると、耳に入る英語はただの雑音で、黒板の文字は模様にしか見えなかった。


隣の子が笑うと、自分だけが世界から切り離されている気がした。
勇気を出して話そうとしても、声は喉に絡まり、結局口を閉ざす。
一歩踏み出そうとするたび、心は重く、足は鉛のように動かなくなる。
日々はただ過ぎていき、何も変わらない。
スマホに浮かぶ日本の友達のグループチャットを開き、返事を書こうと指を動かす。
でも言葉が出ない。指は止まったまま、画面が暗くなり、虚しさだけが胸に残った。


週末に外に出ても、空も街も鮮やかに輝いているのに、心の色は灰色のまま。
カフェの中で笑う人たちを眺め、誰も自分を見てくれない世界にぽつんと置き去りにされている気がした。

何日も、同じ繰り返しだった。
泣いても、泣いても、状況は変わらない。
でも、目の前の授業には出なければならない。
食事をとらなければならない。
笑顔を作らなければならない。
無力さと義務感の間で、私はただ身体だけを動かしていた。



そんな日々の中で、ほんの小さな裂け目が現れた。
ある放課後、どうしても伝えたいことがあって、震える声で「Excuse me」と言った。
相手の目がふっと柔らかくなり、「Yes」と返ってきた瞬間、胸の奥でかすかな光が差した。

心臓の鼓動が耳まで響き、頬が熱くなる。
でも、それで何かが劇的に変わるわけではなかった。
翌日にはまた言葉に詰まり、孤独に沈み、夜に泣いた。

一歩進んでは二歩戻る。

停滞感は重く、足元の泥はまだ深かった。


そんな泥の中でも、支えてくれる存在はあった。
語学学校の創設者が、「泣いてもいい。でも、立ち上がったその一歩が大事」と言ってくれたこと。
友人が差し出してくれた小さな白いハンカチ。
カフェで湯気の立つカプチーノを前に、先生が私の下手な英語を遮らず最後まで聞いてくれた時間。

どれも一度に救ってくれる奇跡ではない。
けれど、泥に沈む私の手元に、そっと空気が差し込むように、少しずつ心の隙間に光が入り始めた。


光に向かうのは、急な跳躍ではなかった。
一歩進んでは二歩戻る。その繰り返し。

泣いて、悔しがり、また泣く。

それでも、少しずつ前を向ける瞬間が増えてきた。
手を挙げて答えられる回数が、ほんのわずかに増えた。
ノートに書く言葉も、「できない」だけでなく、「もう一度やってみる」と書けることもあった。
友達の笑い声に反応して、ほんの少しだけ笑える自分に気づいた。

それは、泥の中を這い回るような、のっそりとした前進だった。
けれど、その小さな動きの積み重ねが、私を少しずつ変えていた。



泣く夜はまだあった。
でも、泣いたあとに、わずかでも前に進めることが嬉しかった。

声をかけられる自分。少しずつ人と関われる自分。
鏡の前で、自分の目をまともに見られる自分。
泥の底から這い出すのは遅く、滑稽なほどのろかった。

でも、私は気づいた。
その遅さこそが、私を強く、そして優しくしてくれたのだと。


留学は楽しいことばかりではなかった。
涙と孤独の連続で、何度も心は折れそうになった。
でも、その泥の中で這い回った時間が、私を変えた。あの頃の私は、まだ自分を嫌っていた。
けれど、少しずつ、自分を受け入れられるようになった。
涙に濡れた夜があったからこそ、いま私は笑える。そして、未来に向かって、まだのっそりと進み続ける。





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🇳🇿Shiori | 高校3年17歳 | ニュージーランド留学から帰国したよ | そして世界へ狂言を いただいたチップは、ニュージーランドでの留学中に日本が恋しくなったときに🍡🍙日本のお菓子や食べ物を買うために使います😊