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JAL123――ボイスレコーダーに残ったもの、残らなかったもの

今回見るポイント
All lost / “uncontrol “/ 周波数変更 / 約6分の応答空白 / 羽田帰還

1985年8月12日。

日本航空123便は羽田空港を離陸後、約12分で異常事態に陥り、その後およそ30分飛行した末、群馬県上野村の山中に墜落しました。
524名が搭乗し、520名が亡くなり、4名が生存しました。

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この事故については、圧力隔壁、垂直尾翼、油圧系統、救助活動、自衛隊、米軍など、現在でもさまざまな議論があります。しかし今回は
次回以降に掲載します。
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まず着眼として注目したのが、
ボイスレコーダー(CVR)に残された「言葉」と「音」です。

ところが、何度見聞きしても、新たな疑問が出てきます。
「この言葉は相手にどう
    伝わっていたのだろう」

「なぜ、このタイミングで
    この指示が出たのだろう」
という壁に当たりました。


最初に――私たちが確認できるCVRには限界がある

最初に前提を書いておきます。
ボイスレコーダーの原音・マスターデータを、一般の人が自由に確認できるわけでは、
ありません。
公式事故調査報告書に収録されているのも、
録音そのものではなく、事故調査の過程で整理された「解読し得た音声の記録」です。

したがって、

  • CVRそのもの

  • 事故調査報告書に掲載された解読記録

  • 現在インターネット上で聞くことのできる音源

  • 各種書籍や記事の書き起こし

これらは、同じものとして扱わない方がいいと思っています。

本稿では、公式事故調査報告書を軸に、公開されている音声、書き起こし、各種文献や記事を照合しながら考察します。
資料によって、時刻や表現、解釈に違いがある場合もあります。

「ここは違うのではないか」
「この資料も参考になる」

という点があれば、ぜひコメント欄で教えてください。

結論を押しつけるのではなく、一緒に資料を確認しながら議論できたら助かります。

今回の連載は、その姿勢で進めます。


①「Hydro pressure all lost」

異常発生後、コックピットでは油圧系統に
ついて、
“Hydro pressure all lost.”
という趣旨の報告が出ています。
ここは非常に重要だと思っています。
特に【all lost】が重要です。

事故調査では、123便は4系統すべての油圧圧力を失い、通常の操縦翼による機体制御が極めて困難になったとされています。

ここでまず確認できるのは、

コックピット側では、油圧系統を失ったという極めて深刻な認識があった

ということです。


②そして管制側へ伝えられた 「uncontrol」

その後、機長から管制側には、
“But now uncontrol.”
という表現が伝えられています。

ここで私は、

「all lost」と「uncontrol」のどちらの表現が正しいのかという話をしたいわけではありません。

・前者は油圧系統の状態。
・後者は機体の操縦状態を伝えた言葉です。

つまり、比較対象そのものが違います。
それでも、一つ気になることがあります。

コックピット側が認識していた機体状態の深刻さは、管制側にどこまで同じ意味で共有されていたのでしょうか。

事故調査報告書では、地上側が把握できていた123便の状態について、機体が、「uncontrollable」であること以外は十分に把握できなかった趣旨の分析があります。
これはかなり重要です。

機長は、「現在、操縦できない」と
いう機体の結果的な状態を短く伝えた。

これは緊急時の交信として合理的だった
可能性と受け止めれます。

他方、その言葉を受けた管制側が、

まったく通常の誘導に従えない航空機
認識していたのか。

あるいは、

極めて操縦しにくいが、ある程度は進路や高度をコントロールできる航空機
認識していたのか。

しかしながら、CVRだけでは、その認識の中身までは分かりません。


③「操縦不能」なのに、なぜ飛び続けられたのか

私達が「操縦不能」と聞くと、まったく方向を変えられず、そのまま直進する航空機を想像するかもしれません。
しかし、123便の実際の航跡はそうではありません。

日本航空123便の飛行航跡。
出典:Japan Transport Safety Board。
Wikimedia Commons掲載、
CC BY 4.0。

異常発生後も機体は長時間飛び続け、進行方向も変化しています。高度も大きく上下して
います。
事故調査では、油圧系統を失った後、
機体はフゴイド運動やダッチロールを続け、
乗員はエンジン推力などを使いながら機体を
制御しようとしていたとされています。

つまり
「操縦不能=まったく何もできない」
ではありません。

しかし、
「操縦できていた」
とも言えない。

その中間に、

わずかな入力で機体の動きを変えられる場合はあるが、意図した場所へ正確に飛ばすことは極めて難しい

という状態があったと考えた方が理解しやすいと思います。


④羽田へ戻る選択

異常発生後、
機長は羽田への帰還を要請します。
管制側も羽田への誘導を試みています。
途中では横田基地や名古屋方面という選択肢も出てきます。

後から地図を見れば、
「横田の方が近かったのではないか」
「名古屋へ向かえばよかったのではないか」という話はできます。

しかし、ここで忘れてはいけないと思うことがあります。

123便は、
目的地を決めれば、そこへ正確に向かえる航空機ではなかったということです。
機長が羽田を求め続けた理由について、
「固執した」と
私は表現したくありません。
 ・なぜ羽田だったのか。
 ・慣熟した空港だからなのか。
 ・JALの拠点だからなのか。
 ・地上支援を考えたのか。

それとも、目的地として羽田を示し続ける以外に選択肢がなかったのか。

CVRだけでは、その心理までは
確認できません。

そして、
「では実際に、当時どこへ
緊急着陸できる可能性があったのか」
については、滑走路長、進入方向、機体重量、油圧喪失、地形などを含め、別の回で改めて
検証したいと思います。


⑤約6分の応答空白

交信記録を追っていくと、管制側から123便への呼びかけに対し、十分な応答が得られない時間帯があります。
この時間については、低酸素症の可能性も
事故調査で検討されています。

ただし、

「低酸素症だったから応答できなかった」

と私は決めつけません。
 •操縦そのものに集中していた可能性。
 •機体状態の確認をしていた可能性。
   •通信操作まで手が回らなかった可能性。
   •身体的影響があった可能性。

複数の要因が考えられます。

一方で、その間にも機体は飛び続けています。そこで私は単純に、

その数分間、コックピット内で何が行われていたのか。公開されている記録だけで、どこまで確認できるのでしょうか。
という疑問を持ちます。

公開されている資料だけから、どこまでその時間を復元できるのでしょうか。


⑥酸素マスク装着

CVRには、航空機関士が酸素マスクの使用を提案する場面も残っています。
機長も返答しています。
客室でも酸素マスクが展開しました。

一方で、コックピットクルーが実際に
どの程度酸素マスクを使用していたのかに
ついては、事故調査でも検討対象に
なっています。

ここでも、

「なぜ装着しなかった」と
先に結論を作るべきではないと思います。
 •装着できる時間があったのか。
 •装着したのちに外したのか。
    •機体制御を優先したのか。
    •身体状態をどう認識していたのか。

CVRだけでは分からない部分が残ります。


⑦「West」は何を意味していたのか

事故終盤には、現在位置や方向について確認するやり取りがあります。

その中で私が以前から気になっているのが、

“West”

という方向表現です。

羽田へ戻るという話であれば、
最初に聞いた時、「Eastではないのか」と
思いました。しかし、方向は基準に
よって変わります。
 •現在位置から見た方向なのか。
   •機首方位なのか。
   •レーダー上の位置を説明しているのか。
   •羽田との位置関係なのか。

ここは音声だけを何度聞いても答えは
出ません。

CVRの時刻、DFDR、飛行航跡、管制記録

を重ねて初めて検証できる部分だと思います。


⑧そして、周波数変更

今回、私が特に確認したいのがここです。

【周波数変更】

航空管制では、担当する管制区域や管制機関が変われば、使用する無線周波数を変更します。それ自体は通常のことです。

したがって、

「周波数変更を求めた。
だから何かがおかしい」

という話ではありません。
しかし、123便は通常機ではありません。

コックピットでは、
Hydro pressure all lost.
管制側には、
But now uncontrol.
と伝えられている。

乗員は、航空機を空中に維持するだけでも
大きな負荷を受けていました。
そのような状況の中で、管制側から
周波数変更が求められています。
しかも記録を追うと、
一度だけではありません。

18時40分には123便を従来周波数に残して他機を移し、18時53分には東京アプローチへの移管のため119.7MHzへの変更が求められています。

終盤だけを見ても、羽田側から119.7MHzへの変更要求が繰り返されています。

ここでは、

今後、何時何分何秒に、誰が、どの周波数への変更を求めたのか、公式記録からさらに確認したいと思います。

なぜなら、

「周波数変更があった」
だけではなく、
何度も繰り返されたのか

まで見ることで、初めてその場の状況が見えてくるからです。


⑨周波数変更は単なるスイッチ操作ではない

平常時であれば、周波数変更は日常的な操作です。しかし緊急状態では意味が変わります。
 •新しい周波数を選択する。
 •正しい周波数か確認する。
    •新しい管制官を呼び出す。
    •相手が応答する。
    •必要であれば、現在の状況を
     改めて共有する。

そこには、わずかとはいえ作業が増えます。

現在の航空安全では、重大な緊急状態にある航空機への不要な周波数変更を避ける考え方があります。

だからこそ私は、
「周波数変更が間違いだった」
とは書きません。

知りたいのは、

1985年当時、この状態の123便に周波数変更を求めることが、どのような管制手順に基づいていたのか。

です。

担当管制を移すために必要だったのか。
羽田への進入準備だったのか。
当時としては通常の緊急機対応だったのか。

そして管制側は、

123便には、無線周波数を変更するだけの余力が残っている

と判断していたのでしょうか。

ここは、乗員だけを見ても分かりません。

管制側の事情も見なければ公平ではないと思います。


⑩CVRに残った言葉と、残らなかった認識

CVRは航空事故調査にとって極めて重要な資料です。

しかし、

CVR=事故のすべて

ではありません。
 声は残ります。
 音も残ります。

しかし、
乗員が何を見ていたのか。
操縦桿から何を感じていたのか。
身体状態がどうだったのか。

そして、

言った言葉を相手がどう理解したのか。

そこまでは録音されません。
今回、私が特に気になった

All lost

uncontrol
も同じです。

機関士が把握していた油圧系統の状態。
機長が地上に伝えた機体の状態。
そして、それを受け取った管制官の認識。
この三つが、ワンボイスとして
共有されていたかです。

私はそこを深掘り続けたいです。


⑪私が知りたいのは「誰が悪いか」ではない

結果を知っている現在の私たちは、
音声を止めることができます。
何度でも戻せます。
地図を広げられます。
航跡を重ねられます。
何時間でも考えられます。

1985年8月12日、その瞬間にいた人たちには、それができませんでした。

だから、

「この判断がおかしい」と
簡単に断定するつもりはありません。

しかし、
「緊急事態だったから仕方がない」で
すべて終わらせるつもりもありません。
確認したいのは、

•その時点で何が分かっていたのか。
•何が分かっていなかったのか。
•乗員と管制側で、どこまで同じ状況認識を
共有できていたのか。

そして、

残された資料で、どこまでそれを検証
できるのか。

です。


⑫最後に

私たちが現在確認できるのは、

事故調査によって解読された記録や、そこから派生した公開音源・資料です。
全記録のすべてを、一般の読者が自由に照合できる状態ではありません。
だから私は、現在公開されている
音声だけを聞いて、
「これがすべてだ」とは
言いたくありません。

逆に、
資料のない部分を勝手に埋めて、
「何かが隠されている」と
断定するつもりもありません。
確認できること。】
【合理的に考察できること。】
【まだ分からないこと。】
この三つを分ける。

そのうえで、最後に一つだけ問いを残したいと思います。
123便は、
“Hydro pressure all lost.”
という状態にあり、
管制側にも、
“But now uncontrol.”
伝えていました。

それでも、周波数変更は一度ではなく繰り返し求められています。

なぜ、この状況で周波数変更を何度も求める必要があったのでしょうか。
当時の管制手順を確認すれば説明できることなのか。
それとも、現在公開されている記録だけでは分からないことなのか。

皆さんは、この交信をどのように考えますか。
コメント欄に記載してくださると助かります。






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