<教材研究>夢十夜第六夜_日本という迷い羊
1908年時点で、西洋崇拝による文芸革命が進行していくなかで個人精神の崩壊が同時進行していた事実を小説「三四郎」は虚構という形で保存した史料的価値を持つ。
1905年の日露戦争勝利によって、日本は形式的には「列強の一員」になったが、
講和条件への失望
重税と軍事費増大
都市労働者の貧困
思想統制の強化
社会主義者弾圧の始動(幸徳秋水事件前夜)
という “外の栄光・内の不安” が極度にねじれた社会 であり、漱石自身が自著において「滅びるね」と評するまでの急速な西洋文化の流入や急速な変化に対する戸惑いに晒されていた。
日露戦争後の社会変革:
国家中心主義の急膨張に伴う皇国史観の萌芽、軍事国家化によって個人精神の圧迫がされつつあった。
髭の男は、「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。
――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。
「滅びるね」は 1900年代後半の知識人の間で共有され始めていた軍事と国家神話に依存する近代国家の精神的破綻予測とよめる。
続く
すると男が、こう言った。 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓ひいきの引き倒しになるばかりだ」
という明治当時としては極めて危険な思想的立場である「国家を超える精神の自由」であるが、漱石自身がイギリス留学後に神経衰弱を経験したように、西洋化・近代化の中で伝統的な価値観と新しい価値観の狭間で揺れ動く知識人の精神的葛藤ゆえと言えるだろう。
「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。
文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。
文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」
政治の自由を説いたのは昔の事である。言論の自由を説いたのも過去の事である。自由とは単にこれらの表面にあらわれやすい事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代の青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。
我々は古き日本の圧迫に堪たええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪たええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代の青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。
国家権力や旧道徳、輸入された西洋思想そのすべてを「圧迫」と感じていると述べているが、
我々は西洋の文芸を研究する者である。しかし研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋の文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。我々はこの自信と決心とを有するの点において普通の人間とは異なっている。文芸は技術でもない、事務でもない。より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である。我々はこの意味において文芸を研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合に一般以上の重大なる影響を想見するのである。 社会は激しく動きつつある。社会の産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己の運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。
「西洋に屈従しないために西洋を研究する」
これは明治政府が掲げた「近代化=西洋化」という単線史観への最初期の反乱であり、 日本近代思想の“自己分裂点”を示す文脈であった。ここで冷静に立ち止まり、過去に積み上げた伝統を振り返れば、また時代の流れも変化したのではなかろうか。したがって、小説「三四郎」は1908年に生まれつつあった“帝国日本の良心的青年”のモデル像と読めばよい。
しかし、日露戦争に勝利したのちに、髭の男の「滅びるね」を真摯に受け止める人物は現実に存在しなかった。
そして純朴で愛国的であるがゆえに多くの文壇青年たちは混迷とする時代の迷い子として呑まれていくことになる。
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