【実はめちゃくちゃドラマチック】インドネシア語の歴史を知ると、東南アジアの見え方が180度変わる
ご家族が病院や施設で介護を受けている人はいらっしゃるだろうか?
私は祖母が施設で介護を受けていたことがある。
最近、介護施設でよく見るようになったのが、インドネシアから来た職員さんだ。
そこで、彼らが話すインドネシア語(バハサ・インドネシア、bahasa indonesia)にも触れる機会が増えている。中には、この言葉に興味を持つ人がいるかもしれない。
実は、彼らが何気なく話しているインドネシア語には、驚くべき歴史が隠されているのだ。
世界で4番目に人口が多く、1万数千もの島々からなる多民族国家インドネシア。
そんな巨大な国で話されるインドネシア語が、実は奇跡のような歴史を経て生まれた「人工的なもの」だということをご存知だろうか?
インドネシア語が生まれた背景には、オランダの植民地支配に抗う若者たちの、熱狂的な独立運動の物語がある。
今回は、ドラマチックな、インドネシア語の歴史をギュッと凝縮して分かりやすくお伝えしたい。
1. そもそも誰の言葉でもない!?
インドネシアには、ジャワ語、スンダ語、バリ語など、数百もの異なる民族言語が存在する。
もし人口の圧倒的多数を占めるジャワ人の使用する「ジャワ語」をそのまま国語にしようとしたらどうなるだろうか?
「なんでジャワ人の言葉を話さなきゃいけないんだ!」と、他の民族の人たちが猛反発して国がバラバラになってしまいかねない。
そこで白羽の矢が立ったのが、かつて交易の海で使われていた「マレー語(バザール・マレー語)」だった。
これは、特定の巨大民族の言葉ではなく、港町で商売人たちが「言葉の通じない外国人同士がとりあえず意思疎通するためのピジン(簡易言語)」として使っていたもの。
複雑な文法や身分の上下による敬語の使い分けが少なく、誰にとっても「とりあえず覚えてすぐ使える」便利なツールだった。
そして、すでに地域を越えた交易語・共通語として広く使用されていたマレー語は、特定民族の支配的な言語とみなされにくく、民族統合のための言語として採用される条件が揃っていたのだ。
つまり、インドネシア語は、既存の交易語をベースに、国家のアイデンティティとして再定義されたものなのである。
2. 歴史の転換点!「青年誓詞」という名の言語ハッキング
1928年10月28日。オランダによる過酷な植民地支配の真っただ中、未来の独立を夢見る若者たちがバタヴィア(現ジャカルタ)に集まり、歴史的な会合を開く。
そこで採択されたのが「青年の誓い(Sumpah Pemuda)」だ。
彼らはそこで、未来の独立国家に向けて次の3つを高らかに誓う。
一、我々インドネシア青年男女は、インドネシアという一つの祖国をもつことを確認する。
二、我々インドネシア青年男女は、インドネシア民族という一つの民族であることを確認する。
三、我々インドネシア青年男女は、インドネシア語という統一言語を使用する。
まだ「インドネシア」という国家すら存在していなかった時代に、「私たちの言葉はこれだ」と先に言語を定義したのだ。
3. オランダ語もアラビア語も飲み込むインドネシア語の「ハイブリッド力」

オランダからの独立を達成したインドネシアは、新しい国語である「インドネシア語」をアップデートし続ける。
法律や行政の言葉には、オランダ語由来の単語がたっぷり(例:警察を意味する polisi など)。
イスラム教の影響によるアラビア語由来の宗教用語や、現代のグローバル化に伴う英語のスラングまで、「いいものは何でも柔軟に取り入れる」というオープンな精神で語彙を爆発的に増やしていく。
「完璧な純血の言葉」を目指すのではなく、「みんながコミュニケーションしやすいように進化させる」。
この柔軟さこそが、インドネシア語が現代でも生き生きと使われている最大の理由なのではないだろうか。
最後に:インドネシア語誕生の裏側にある、人々の熱狂に思いを馳せて
インドネシア語の歴史を知ると、ただの「外国語の単語暗記」とはまったく違った景色が見えてくる。
私たちが日本で、あるいはバリやジャカルタで「Terima Kasih(トゥリマカシ、意味: ありがとう)!」と笑顔で言うとき、その言葉の裏には、「バラバラだった島々を一つの言葉で繋ごうとした先人たちの意思」、「植民地支配に立ち向かった若者たちの熱い想い」が、しっかりと息づいているのだ。
次にインドネシア人とコミュニケーションをとる時、あるいはドラマや音楽でインドネシア語に触れるときは、ぜひインドネシア語の歴史ドラマにも、ちょっとだけ思いを馳せて欲しい。
きっと、彼らとの心の距離がぐっと近くなるだろう。

