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医師の善意が社会リスクに転化する瞬間――肥満症の治療と、公衆衛生のあいだで

最近、「肥満は悪くない」という言説を目にする機会が増えている。肥満に対する偏見をなくし、治療につなげるためだという。

確かに、肥満が原因で高血圧や糖尿病などを発症している人が、「自己責任だと言われるのが怖い」「怒られそうで病院に行きづらい」と感じ、医療から遠ざかってしまう現実はある。

肥満症の治療は重要であり、心理的ハードルを下げる努力自体は必要だ。

ここまでは、多くの人が納得できる話だろう。
しかし、私はここで一つの強い違和感を覚える。

それは、「肥満は悪くない」というメッセージが、社会全体に向けて発信されている点だ。


日本人にとって、肥満は明確な健康リスクである。

欧米人と比べ、日本人はBMIがそれほど高くなくても内臓脂肪が蓄積しやすく、糖尿病、高血圧、脂質異常症を経て、心筋梗塞や脳卒中に至るリスクが早期から上昇することが分かっている。

特に深刻なのが、糖尿病から腎機能が低下し、人工透析に至るケースだ。

透析は、一度始まると基本的に一生続く。週に3回、1回4〜5時間。
生活の質は大きく制限され、就労や日常生活にも深刻な影響が出る。

しかも透析医療は高額だ。

1人あたり年間約500万円前後の医療費がかかると言われており、その多くは公費で賄われている。

つまり、肥満を起点とする生活習慣病の増加は、本人の健康問題にとどまらず、社会全体の医療費構造を直撃する。

ここで重要なのは、これが「極端な例」ではないという点だ。日本の透析患者数はすでに30万人を超え、その主因は糖尿病性腎症である。

この現実を前にして、「肥満は悪くない」という言葉を、社会全体にそのまま投げてよいのだろうか。

医師の立場に立てば、目の前の患者の心理的負担を下げ、治療につなげることは善意に基づく行為だ。

「あなたのせいではない」「肥満は人格の問題ではない」と伝えることで、救われる人がいるのも事実だ。

しかし、その言葉が社会全体に広がったとき、別の作用が生まれる。

肥満は問題ではない。
気にしなくていい。
注意するほうが差別だ。

こうした空気が広がれば、予防意識は確実に下がる。

体重管理や生活習慣の改善は後回しにされ、結果として肥満人口は増え、生活習慣病は増え、透析に至る人も増える。

これは感情論ではなく、制度設計の問題だ。

肥満症の患者一人ひとりにとっては救いになる言葉が、社会全体では医療費の増大と重篤疾患の増加につながってしまう。

ミクロでは正しく、マクロでは危うい。

ここに、医師の善意が社会リスクに転化する瞬間がある。
では、どうすればいいのか。

答えは、「肥満」と「肥満症」を明確に切り分けることだ。

肥満は、日本人にとって健康リスクである。

この事実は、曖昧にしてはいけない。
公衆衛生の観点から、予防と注意喚起は不可欠だ。

一方で、すでに肥満症に至っている人に対しては、それが人格や努力不足の問題ではなく、治療可能な状態であること、医療が支え、改善が期待できることを、医療の現場で丁寧に伝える。

社会全体へのメッセージと、患者個人へのメッセージは、本来、同じである必要はない。

誰も傷つけない言葉を選ぶあまり、誰も止めなくていいリスクまで黙認してしまうなら、それは優しさではなく、無責任だ。

肥満症の治療は重要だ。しかし、公衆衛生はそれ以上に重要だ。

公衆衛生を毀損することと引き換えに、肥満症患者の心理的ハードルを下げる設計は、長期的に見て、本人にとっても社会にとっても不幸な結果を招く。

本当に必要なのは、個人の尊厳を守りながら、社会全体の健康を守るという、二つを同時に成立させる設計だ。

それを諦めた瞬間、医師の善意は、静かに社会リスクへと姿を変えてしまう。

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大橋淳史 いつもより,少しだけ科学について考えて『白衣=科学』のステレオタイプを変えましょう。科学はあなたの身近にありますよ。 本サイトは,愛媛大学教育学部理科教育専攻の大橋淳史が運営者として,科学教育などについての話題を提供します。博士(理学)/准教授/科学教育