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オジーは本当に“天才”だったのか?

リアルタイムでオジーに追いついたのは、90年代に入り『No More Tears』が発表された頃だった。80年代から90年代へ移る時期、ハードロックにどっぷり浸かっていたが、当時のオジーはすでに“伝説”の側に置かれていた存在だった。引退宣言を経て発表されたアルバムという文脈もあり、どこか完成された神話を後追いする感覚があった。

だから私は、最初から少し距離を感じていた。

周囲のロック好きで金のある先輩格はこぞってオジーのCDを手に入れ崇めていた。過去の名盤、天才ギタリストとの邂逅、逸話の数々。そこには歴史があり、重みがあり、疑う余地などない空気があった。オジー聴かざるはハードロック好きにあらず、という同調圧力が、私をさらに遠ざけた。

楽曲の完成度は高い。演奏も強靭だ。だがボーカルだけがどうしても引っかかる。鼻にかかった声質、不安定なピッチ、頼りなさと狂気のあいだを揺れる存在感。それを“個性”と呼ぶには、私はどうしても納得できなかった。

私はオジーが苦手だ。彼に天才と呼ぶべき才能があるとは思えない。いまから、その神話を剥がしていく。

Black Sabbath は誰が作っていたのか

Black Sabbathの初期作品を冷静に見てみよう。

あの暗黒のリフを生み出したのはTony Iommiであり、終末的な歌詞世界の骨格を構築したのはGeezer Butlerである。重く沈み込むギターの反復と、戦争や宗教、破滅を描く言葉。それらがBlack Sabbathの音楽を決定づけた。

彼らがヘヴィメタルの始祖と呼ばれるのは、その音楽的革新ゆえだ。後続のフォロワーが今なお絶えないのも、リフと世界観の強度が圧倒的だったからに他ならない。

では、オジーは何を創造したのか。

彼は完成された構造の上にメロディを乗せ、声を響かせた。確かに一度聴けば忘れにくい声質ではある。だが創作の中枢にいたかと言えば疑問が残る。作曲の核を担っていたのは誰かと問えば、答えは明白だ。

そして忘れてはならないのは、彼が深刻なドラッグ問題によってバンドから解雇されたという事実である。創造の中心にいた不可欠な存在であれば、バンドは簡単には切れない。だがBlack Sabbathは存続を選び、オジーは外された。

ソロ時代 — 天才は誰だったのか

ソロ成功の立役者は明白である。

Blizzard of Ozz期の完成度を決定づけたのはRandy Rhoadsの存在だった。クラシックの素養を持ち、緻密に構築されたリフと旋律。オジーの名を冠したアルバムでありながら、音楽的推進力の中枢にいたのはランディだった。

彼の早すぎる死後、Jake E. Leeが起用され、サウンドはよりモダンで硬質な方向へと舵を切る。さらにZakk Wyldeの登場によって、音は一層荒々しく、パワーを増していく。ギタリストが変わるたびに音楽性ははっきりと変化した。

では、その中心にいたはずのオジーは何を変えたのか。

彼は歌い、叫び、時に蝙蝠を噛み、奇行で話題をさらった。だが音楽的な方向性を決定していたのは誰だったのか。作曲面ではランディとベーシストのBob Daisleyが中心となり、プロデュース面ではSharonの戦略が色濃く反映される。若手ギタリストの抜擢も含め、プロジェクトは周囲の大人たちによって設計されていた。

ギタリストが変われば音が変わる。だがオジーは常に同じ場所に立ち続ける。それは中心にいるからなのか、それとも中心に立たされていたからなのか。

最大の天才はシャロンだった

もしオジーが“運の人”だったとするなら、その運を設計したのはSharon Osbourneである。

彼女は単なる配偶者ではなかった。ブランド戦略家であり、危機管理担当であり、プロデューサーであり、物語の編集者だった。ドラッグやスキャンダルで揺らぐたびに、オジーという存在は破滅へ向かうどころか、むしろ“伝説”として再包装されていった。

MTV時代には映像映えする狂気を武器にし、リアリティ番組では家庭的で不器用な父親像へと再定義する。問題児は「愛すべき狂人」へと変換された。破滅的行動はスキャンダルではなく、キャラクターへと昇華された。

これは音楽的才能ではない。マネジメントの勝利である。
もし彼が本当に音楽的創造の中枢にいたのなら、ここまで周到な再設計は必要なかったはずだ。だが実際には、物語の舵を握っていたのは常にシャロンだった。

オジー最大の成功は、優れたマネージャーに恵まれたことなのかもしれない。

終章

オジーは天才作曲家ではない。革新的な演奏家でもない。圧倒的な歌唱力を持つボーカリストでもない。

Black Sabbath時代の音楽的中枢は別にあった。ソロ期の成功もまた、卓越したギタリストと優秀なブレーン、そして強力なマネジメントによって設計されたものだった。方向性を決めたのは常に周囲であり、彼はその中心に立つ“顔”であり続けただけだ。彼にあったのは創造の才能ではない。優れた才能に囲まれ続ける運と、その中心に立ち続ける図太さである。

2025年、バーミンガムでの最終章とその後の死によって神話は完成した。だが神話の完成は、才能の証明ではない。

オジーは天才ではない。
運の良い凡人が、時代と周囲の才能に恵まれ、巨大な物語の中心に立ち続けただけだ。

そしてロックは、時にそういう人物を英雄に仕立て上げる。

今月の『レコード・コレクターズ』のオジー特集はなかなか見ごたえがある内容だった

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