雑記 なんでもない話③ 棚からぼた餅ならぬ小旅行
その朝、私はいつもの通り電車に乗りました。リュックを前がけにして、両肩に荷物をかけ、汗はダラダラ、ハンディファンとスマホを両手に持っていました。電車は混み合っていたのですが、ドア横の座席の前へ立つことができました。あまりにも荷物が多かったので、いつもは使わない網棚に荷物を置きました。流れ出る汗にファンの風を当てて、乗換駅に到着すると電車を降り、群衆と一緒に階段を上がり、次なる電車に乗るべくホームで適当に待ち、電車に乗り………いつもと一緒の行動でした。さらに乗り換えるときに、無意識の中で「なんか荷物が軽い」という言葉がポッと浮かびました。三秒後、急いでいた足が止まりました。荷物だけが自分とは違う方向へ遠く運ばれているのでした。
とにかく急いで駅員のいる場所へ。
「に、荷物を電車に忘れたんです!」
「はあ、あー」
駅員は電車に忘れ物をした人に初めて出会ったかのようなリアクションをしました。悠長すぎるだろ?緊張感がない!ダラダラ業務なのか?一瞬にしてさまざまな思いが浮かびました。いや、今思えば私が必死すぎただけなのですが。
「端末で問い合わせ操作をしてください」
駅員は忘れ物に関するお問い合わせリーフレットを私に手渡してくれました。早速私はリーフレットの2次元バーコードをスマホに読み取らせて操作しました。毎日利用する電車なのに、実際はどこ行きなのか関係なく乗っています。遅延していなかったなら電車は特定できるのですが、遅延してたら終着地が変わってきます。遅延していたかどうかも覚えていません。不確定事項が多すぎて文字を打つ手が震えました。そうしながらもなんとか一応手続きを済ませました。
「センターからメールにてご連絡差し上げます。なお、お問い合わせが大変混み合っているため、ご連絡が遅くなる場合があります」
イライラしても仕方がない、ここは日本、貴重品ではないから戻ってくる、戻ってこなくてもまた買えば済むし、大丈夫、大丈夫……そんなことを思いながら半日を過ごしました。幸いなことに夕方ごろセンターから連絡があり、ある駅に向かうように指示をいただきました。
「熱海駅」
どんな経路で私の荷物は旅をしたのでしょう。かなり遠いです。しかし、行かない理由はありません。
家族に言うと、温泉だの海水浴だのウキウキした言葉が返ってきました。干物はアジがいいとか金目鯛を買ってこいとか盛り上がっています。
私もなんだかんだで疲れていたのかもしれません。神様がくれた夏の小旅行として受け取ってもいいと思いました。
とりあえず日帰り温泉に入るための道具は忘れずにカバンに入れました。もちろんメイク落としや化粧水も。忘れ物をしても着替えは忘れないのです。
熱海の太陽はギラついていました。駅にほど近いアーケードは干物とスイーツの香りに大勢の人がごった返しています。スイーツに列をなしているのは若い子ばかり。さすがに一緒に列に並ぶのは気後れします。
アーケードを抜けて、海岸に向かいました。
駅から海岸へは高低差があり、ホテル群のすき間から青い水平線が見え隠れして、少しウキウキしながら坂道を下りました。お盆を過ぎているのに海岸は海水浴を楽しむ人でいっぱいでした。

砂は激アツで危険


帰りは急勾配の上り坂です。日光に照らされ汗だくになりながらジリジリと登りました。
「こんなに汗をかくとは思わなかった。Tシャツを買うか……」

シャツを買うのは諦めて、涼しいところで食事をしました。

楽しみにしていた温泉は……

時間を早めて帰ることにしました。ひとりで行動するのは嫌ではありませんが、用がなければさっさと帰りたいタイプなのです。
お土産の干物と饅頭を買って、ちゃんと忘れた荷物も受け取りました。
電車の中からおだやかな太平洋が見えました。空の青さが海に映って、どちらも区別がつかないほどの夏の色。水平線が一本、遠くに見えます。
日々の忙しさから離れて、電車に何時間もゆられて、こうやって久々に海が見れて……笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれた家族や仲間……リュックと荷物とお土産を抱え込みながら、私はいつの間にか眠っていました。
