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2026年1月16日(金)本を読んで、言葉に出会うこと

小さいトースト、ヨーグルト、りんご、紅茶の朝食を済ませ、家中をぬれ布巾で拭き上げた。ここのところ春の訪れを感じているらしい、あむは換毛期に入っている。やわらかい毛が朝陽の中で舞っている。陽が当たる床の上にマットを敷き、リハビリの先生に教わった通り足のストレッチをする。この時間がもったいないので、文庫本を読みながらやることにする。整列する文字に朝陽がさして、砂の上を歩く蟻のよう。穏やかな手触り。

父と過ごしていた去年の数ヶ月中に「君はいつ本を読んでいるの?随分たくさんあるけど」天井まである本棚を見上げて不思議そうに言われた。どの部屋にも、読みかけの本が置いてある。テレビのチャンネルを変えるように、あちこちに置いた本を少しずつ読む。今日は、今度読書会のゲストに招いている西加奈子さんの小説「さくら」と、龍神様のことが書かれたエッセイを拾い読み、それからアンドルーワイル氏の医学系随筆の途中の章を読んだ。ずっと読まなきゃと思って眺めてる「意識と本質」は今日も眺めただけで終了、難しいから眠くなる。
西加奈子さんがテーマ本に選ばれている「青い眼がほしい」は先週読み終えた。最近の本選びのキーワードは「身体」「病」「植物」「治癒」など。小説を読むのは、少し身構える。読み始まってしまうと下界に戻ってくるのが億劫になるから。

1章読んでは閉じ、また別の本を読むことが多い。書きながら読むも、書く前に読むも、風呂場で読むも、ある。陽が沈んでしまうと、最近は手元に灯りが必要なので、ベッドではあまり読まない。午前中の方が進む。小説を読む時は、没入したい時。随筆読む時は、感覚を取り戻したい時、詩集を読む時は閃きを待っている時、文芸雑誌を読む時はきっかけの言葉を探している時、とそれぞれを手に取る時のモードは異なると思う。

それから、「誰かのおすすめ」に弱い。書評の類を読んでしまうと、その人が有名無名に関わらず、読みたい衝動が現れる。その人がどうして、そう言ったのか、どの部分が「そう」なのか読んで確かめたくなってしまうのだ。

言葉は、読まれるのをじっと待っていると想像する。開かれて目に留まる時は、身体と直感が求めている時。自分の時間をそこに寄せていくのだ、いつでも真剣に言葉を探す。うずたかく積み上げられた人参の中から1本選び、丁寧に料理し、口に運び、体内に入っていくことと同じ。

午後、また本が届いた。西加奈子さんが、自分の好きな本のリストにピックアップしてくれた本のなかで、気になったものを2冊頼んであったのだ。Amazonがない時代だったら青山ブックセンターまで行って注文せねば手に入らなかっただろうな。年末には本棚の整理もした。背表紙は色々なことを教えてくれる。眺めてて、その一冊が混ざっていることが違和感になる本がたまにあるのだ。今回は10冊ほど、古書として旅に出した。

あむとは、夕方インスタライブをした。彼女はとても賢いので、その知性を伸ばす対話を試みている。一つ体得したようだったから、ライブでお披露目しようと思ったら、デバイスが怖かったみたいで失敗。

夕食は、明日の友人とのランチに向けて仕込んだ豆乳のシチューを少し味見。玄米、ブロッコリーと水菜のサラダ、野沢菜。

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