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在宅ワーク3年で気づいた、失ったものと得たもの。

思っていたのと、ぜんぜん違った。

在宅ワークを始めたのは、3年前の春だった。

あのとき私が思い描いていた「3年後の自分」は、もっとうまくやっていた。通勤がなくなって、時間ができて、好きな環境で、好きなペースで働いている。そういう絵を、なんとなく描いていた。

3年経った今、その絵と見比べてみると、合っているところと、まったく違うところがある。

消えたものがあって、残ったものがある。そして、消えると思っていたのに残ったものと、残ると思っていたのに消えたものが、それぞれある。

正直に書く。

消えたもの

通勤時間が消えた。

これは本当に消えた。毎朝1時間半かけて電車に乗って、満員の車内で体を縮めて、汗をかきながら会社に着く。あの時間が消えた。それだけで、生活はずいぶん変わった。

「なんとなく飲みに行く」が消えた。

仕事終わりに誰かに誘われて、断れなくて、行ってみたら意外と楽しかった、みたいなことが、完全になくなった。在宅だと「終わりに飲みに行く」という概念自体がない。楽になった部分もある。でも、あの「意外と楽しかった」が生まれる余白も、一緒に消えた。

「頑張っている感」が消えた。

オフィスにいるだけで、なんとなく仕事をしている気になれた。周りの人が働いている空気の中にいるだけで、自分も働いている感覚があった。在宅になると、それがない。成果を出さないと、何もしていないのと区別がつかない。じわじわと、しんどかった。

時間の感覚が消えた。

9時から18時、という輪郭が、ある日からぼやけ始めた。夜中に仕事をしていることが増えた。休日に少しだけのつもりでパソコンを開いて、気づいたら夕方になっていた。「今日は仕事をした日なのか、休んだ日なのか」が、自分でもわからなくなった。

残ったもの

孤独は、残った。

在宅になれば孤独になる、という話は聞いていた。だから覚悟していた。でも、予想していたより根深いところに残った。「誰かと話せない」という表面的な孤独より、「自分が今日どんな仕事をしたか、誰も知らない」という種類の孤独が、じわじわと効いてきた。承認されない日が続くと、自分がやっていることに意味があるのか、わからなくなる。それが3年間、ずっとあった。

「比べる自分」は、残った。

オフィスにいると、周りの人と自分を比べることができた。あの人より早く終わった、あの人よりうまくできた。そういう基準が、在宅になるとなくなる。なくなったら楽になると思っていた。でも代わりに、SNSと比べるようになった。フォロワー数、仕事の成果、生活の豊かさ。オフィスで隣の人と比べていた頃より、比べる範囲が広くなって、かえってしんどくなった。

「さぼっているんじゃないか」という感覚は、残った。

誰も見ていない。だから自由なはずなのに、ずっと「これでいいのか」と思い続けていた。休憩していると「さぼっている」気がする。散歩に出ると「こんな時間に外にいていいのか」と思う。誰に監視されているわけでもないのに、どこかから見られている感覚が、3年間消えなかった。

消えると思っていたのに、残ったもの

疲れ。

通勤がなくなって、体は楽になった。でも、別の疲れが残った。ずっと家にいる疲れ。切り替えられない疲れ。「今日も同じ場所にいた」という、種類のわからない疲れ。

体の疲れより、こっちの方が抜けにくかった。

残ると思っていたのに、消えたもの

「いつでも仕事ができる自分」という自信。

在宅になれば、時間も場所も自由になる。だから今より生産性が上がるはずだ、と思っていた。そんなことはなかった。環境が整っていないと、人間はこんなに簡単に動けなくなるのか、と知った。意志の力なんて、環境の前ではあっけなく負ける。

それでも、3年続けてわかったこと

消えてよかったものもある。残ってよかったものもある。

思い描いていた3年後とは、ぜんぜん違う場所にいる。でも、悪い場所ではない。

一つだけ、はっきり言えることがある。

環境を整えることに、時間をかけてよかった。

「居場所」を作ることが、在宅ワークで生き延びる上で一番大事なことだった。好きな道具が、好きな場所にある。そこに座れば始められる。それだけで、「さぼっているんじゃないか」という感覚が、すこし静かになった。孤独は消えなかったけれど、「ここにいていい」という感覚は、作れた。

4年目も、たぶん同じ椅子に座って、同じデスクの前で、「まあやるか」と思いながら始める。それだけだ。それだけなんだけど、それで十分だと、今は思っている。

あなたは、在宅ワークで何が消えて、何が残りましたか。

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