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3人の子どもと目を合わせる、朝の見送り戦略

わたしの頭の中は、自分でも呆れるほど、いつも忙しく動き回っています。

どうにかしたいものですが、まるでたくさんのアプリが同時に動き続けている携帯電話のようです。

​たとえば、平日の夕方、キッチン。

山のような洗い物や片付けを前に、我ながらすごい量だと呆れます。

あっぱれ子どもたち。


オーブンの焼き色を気にしながら、手元では取れかかったボタンを縫い、口ではラディッシュを噛じりながら子どもと学校で流行っている歌を大熱唱。

視線は、明日提出する書類のスキャンを追っています。

​そこへ、さらに「チェスやろう!」と盤を持った子どもが突然やってくるから、さあ大変。

数年前なら適当にあしらうこともできましたが、最近の彼はめきめきと腕を上げていて、油断すればこちらが負けてしまいます。

歌い、縫い、焼き、読みながら、頭ハッシュタグの片隅で次の一手を必死に絞り出す。

わたしのメモリは、とっくに限界突破状態。

​このマルチタスクの頂点は、毎朝、主人の車で子どもたちが学校へ旅立つ瞬間でしょう。

ここ最近のわたしのミッションは、車が発車するまでの数秒間で、玄関から車内に座る3人の子ども全員と完璧に目を合わせて手を振ること。

​助手席の子はすぐに目が合うので、いわばイージーモード。

でも車の発進と共に先に離れていく。

次は後部座席。

奥の子は窓越しにわたしを見ようと、ぐっと身を乗り出してきます。

わたしも負けじと、窓をのぞき込むようにぐっと身体を折り曲げ、1対1のアイコンタクトを成立させます。

ですが、その瞬間。

手前に座る子はすでに父親と話し始めて、こちらを見なくなってしまうのです。

​「奥の子から先にいくべきか?」

「手前のあの子が目をそらす前に仕留めるべきか?」

毎日変わる子どもたちの視線のタイミング。

わたしは毎朝、玄関先で静かに、でも必死に見送り戦略を練っています。

​本当なら、3人同時に目を合わせられたら最高なのですが。

でも、いかに頭をフル回転させても、物理的に視点だけは同時に合わせられないのです。

これが、今のわたしの朝一番の悩みです。 ​

玄関横のイチジク。まだまだ大きくなります。


目に見える行動だけではありません。

わたしの頭の中は、耳から入る情報までも勝手に処理してしまう自動変換機でもあるようです。

日常のあらゆる音が、思考のノイズとして入り込んできます。

​学生時代の名残でしょうか、頭の中で言葉や文字が、指を使ってキーボードを叩くように自然と文字起こしされ続けています。

さらに、外から聞こえる車の音や換気扇の音すら、すべて音程として脳に届きます。

それを頭の中の鍵盤に落とし込む作業が、24時間、自動で鳴り響いているのです。

​……と、頭の中の比喩として「キーボード」という表現を使いましたが、今は、まともに動くパソコンは持っていません。

最近、初代のiPadで絵を描き始めましたが、これがかなりののんびり屋。

通信もままならず、オフラインでProcreateを開いてお絵描きをするのが精一杯。

noteのアプリを開こうとすると、そのまま考え込んで動かなくなってしまいます。

結局、普段の記録はすべて手書き。

でも、noteだけはそうもいきません。

唯一の通信手段であるスマートフォンを頼りに、慣れない手つきで小さな画面を一生懸命叩いています。

普段はキッチンに置きっぱなしで、使い方もよくわからない機械。

それでも、これがないと記事を投稿できないのだから、今は不器用な相棒として、なんとか仲良くやっています。

​それでも、このnoteを始めて1ヶ月。

不思議な変化が起きていることに気がつきました。

​あんなに毎日大量に書き綴っていたジャーナリングノートの量が、目に見えて減ってきたのです。

あれほど騒がしかった頭の中が、少しずつ、すっきりしてきたのかもしれません。

​「今日あったこと」をただ記録する日記と、だれかに読んでいただくnoteの記事を書くことは、使う頭がまったく違うのですね。

過去の記憶を手繰り寄せ、ひとつの出来事を、どうすれば伝わるかと、深く深く考える。

それはまるで、強くなった子どもとチェスの一手を指すように、慎重に、でも楽しく言葉を組み立てていく作業です。

​ただ心の内を吐き出すのではなく、バラバラに散らばった思考の欠片を、ひとつの作品として組み立てていく。

このプロセスが、わたしの内側の大渋滞をきれいに仕分ける整理になっているようです。

巨大レゴ。これを落としたら……と思うと。


わたしの日常は、明日も相変わらず落ち着かないでしょう。

オーブンを気にしながらボタンを縫い、強くなった子どものチェスに冷や汗をかき、車の窓をのぞき込んで必死に手を振る。

スマートフォンを見る目は確かに疲れ気味ですが、この「企む」時間だけは別です。

嵐のような日常が、ひとつの物語に変わっていく。

そのとき、わたしの騒がしい内側に、ひんやりとした極上の静けさが満ちていくのです。



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