「散布図の外側」に点を打った話
進路指導室の机は、四人掛けだった。
向かいに座った先生が、紙を一枚、こちらに滑らせてきた。A4の方眼紙に、小さな点が無数に打たれている。横軸が校内偏差値、縦軸が合格大学のランク。一学年1,600人の進学校で、何年分もの卒業生の点が打たれていた。数えきれないほどの点が、散布図を埋めていた。
先生の指は、僕の偏差値43の位置で止まっていた。
「ジョセフ、ここから早稲田政経に受かった点はない。浪人しても、過去にいない。東大目指してる連中なら別だが、お前の位置からは、ない」
机の上で、自分の手のひらが汗ばんでいるのが分かった。
事実だった。あれだけの母集団で、ゼロ。
僕は反論しようとして、散布図の左下の方に、一つだけ離れた点を見つけた。偏差値40付近に、慶応法学部に受かっている点がある。
「これは、何ですか」
「高橋由伸だ。お前とは違う」
高橋由伸。当時、六大学野球で活躍していたプロ注目の選手。後に巨人軍の監督になる。
「西武の高木大成も、桐蔭から慶應ですよね」
「高木大成は勉強もできた。お前とは違う」
僕は引き下がらなかった。先生が呆れた顔で、最後に一言だけ聞いてきた。
「もし二浪したら、どうするんだ」
「ヌードになります」
何を言っているのか、自分でもわからなかった。たぶん、退路を断ちたかった。先生は何も言わなかった。それ以来、卒業まで、ほとんど学校に行かなかった。
データの外側にいる人間は、お前とは違う。先生の言いたいことは、わかった。
僕は紙を見つめながら、もう一度、点の集まりを見た。43の縦線を上にたどっていく。早稲田政経の高さに、点はない。先生の言う通りだった。
でも、その日の帰り道に、決めた。
散布図の外側に、自分の点を打つ。
動機は、書かないでおこうかと思った。
書かないでおこうかと思ったけど、書く。
高校3年生の秋、好きだった女の子が、別の男と付き合い始めた。その男も早稲田政経を目指していた。校門で、二人が並んで歩いていく後ろ姿を見た。
その瞬間に決めた、というのが正確だ。散布図の話より、こっちが先だった。
恋愛で負けた人間が、せめて学歴で並びたい。今思えば青臭い。でも、18歳の僕には、それ以外の動機がなかった。動機の質は、結果に影響しない。
浪人生活で、覚えていることは、あまり多くない。
満員電車に乗れなかった。
予備校までの電車が混んでいて、人を押しのけて中に入ることが、どうしてもできなかった。一日目、ホームで二本見送って、結局乗れなかった。
二日目に、考え方を変えた。目の前にいるのは、人ではない。物だ。物を押しのけて中に入る。それなら、できた。
それから1年間、毎朝、人を物として扱った。人だと思うと押せない。物だと思うと押せる。今思うと、これは少しまずい習慣だったかもしれない。ただ、当時の僕は、その違いに気づかないことにした。気づくと、電車に乗れなくなる。
予備校に通った。家から電車で行って、また電車で帰ってくる。それだけで一日が終わる気がした。
家に帰って、机の前に座る。1日3時間の勉強を続けた。それ以上は集中が持たなかった。ただし、その3時間は、逃げなかった。
3時間以外の時間は、長かった。
3時間が終わると、することがなかった。テレビをつけても、何も入ってこない。
そういうとき、深夜ラジオを聞いた。1997年。伊集院光、ナインティナイン、爆笑問題。番組名は曖昧になっている。「UP's」だったか「深夜の馬鹿力」だったか、もう正確には思い出せない。後から知ったが、両方だった。同じ番組の、別の呼び方だった。
伊集院は、一人でしゃべっているように聞こえた。でも、本当は一人ではなかった。ブースの向こうに、構成作家の渡辺君がいて、伊集院は彼に向かって話していた。渡辺君は、笑い声以外、何も発しないというポリシーを持っていた。「ガハハハ」という声だけが、時々マイクに乗った。
その「ガハハハ」を聞きながら、僕も笑っていた。一人の部屋で、一人の机の前で、ラジオの中の笑い声に乗っかって、笑っていた。
笑いながら、これは何の時間なんだろう、と思っていた。
PCは封印した。当時はまだインターネットを部屋で使うのが珍しい時代だったが、家にはあった。電源を抜いて、押し入れの奥に入れた。1年間、一度も出さなかった。漢字を忘れる気がしたから。
必死だったわけではない。決めたことを、ただ淡々とやった。
合格発表の日、早稲田駅のベンチで、1時間動けなかった。
掲示板で自分の番号を見つけて、その瞬間、極度の花粉症の発作に襲われた。緊張が一気に抜けた反動だったと思う。鼻水と涙が止まらなかった。
合格の喜びと、花粉症の苦しさが、同時に来た。誰にも見られたくない顔で、ベンチに座っていた。
ベンチから動けないまま、駅前の人の流れを見ていた。スーツの人、私服の人、塾帰りの中学生。誰も僕を見ていない。受かったことを、誰にも報告できないまま、しばらく座っていた。
入学してから、半年くらいで、何かが緩んだ。
授業に出なくなった。サークルには入った。バイト先で覚えた居酒屋に通うようになった。終電で帰って、昼に起きる。受かった瞬間がピークで、そこから先は、何をしていたか思い出せない。
ただ、いくつか覚えている場面はある。
1限の授業がある朝、学校の近くに住んでいた友達の家に泊まらせてもらうようになった。最初は頼んで泊めてもらっていた。だんだん、頼まなくても泊まりに行くようになった。
ある日、勝手に合鍵を作った。これでいつでも泊まりに行ける、と思った。
すぐにバレた。
「出禁」と言われた。
僕は、なぜか、金玉を出した。「出金です」と言った。
軽く殴られた。
ある授業で、出席が足りなくなった。
ノートを貸してくれそうな同級生がいなかった。藁にもすがる思いで、内モンゴルからの国費留学生に、お金を払うからノートを貸してくれと頼んだ。彼女は授業中、一度も顔を上げずにペンを動かし続ける学生だった。
彼女は僕の顔をまっすぐ見て、こう言った。
「あなたは、早稲田政経の恥です」
正論だった。ノートは貸してもらえなかった。
僕は、散布図の外側に点を打って、その先で「早稲田政経の恥」になっていた。
あれから30年経った。
先生に言いたいことは、まだある。
散布図の外側にも、点はある。
ただし、その点を打った人間が、立派な人間になるとは限らない。 それを最初に教えてくれたのは、内モンゴルから来た彼女だった。
