「コツなんかないよ。いかに断られるかだよね」給油所でカードを七百枚取った女性の話
二十数年前、僕は高知にいた。石油会社の社員として、ガソリンを給油所に売っていた。元売と呼ばれる側だ。取引先は給油所を運営している会社で、話す相手はだいたい社長だった。
ガソリンを好きで買う人はいない。必要な分を、いちばん安い看板のところで入れる。だから安く売れる体制を一緒につくる。経費を削って損益分岐点を下げて、そこから価格を決める。安く売る施策の一つが、元売の発行するクレジットカードだった。
当時のガソリンは、安い店で八十円台だった。カードを作ると初月は五円引き、そのあとも一円安い。月に五千円以上入れる人なら、二円引きになる。いまの百七十円で五円引きとは、割引率が違う。
ガソリンの使用量も多かったし、燃費も今ほど良くなかった。生活必需品を数パーセント安くするカードだから、カード会社も積極的にプロモーション費用をかけてくれた。
申込のお礼は、ティッシュ五箱だった。声をかける側も気が乗らないし、受ける側も申し込まない。ある代理店の社長にやり方を聞きに行ったら、笑われた。
「五箱じゃ、インパクトが足りない」
二十箱にすると申し込むのだという。半信半疑で変えてみたら、そのとおりになった。差し出すスタッフの声も変わった。ティッシュを一度に二十箱買う人はいない。誰も見たことのない量だった。それが効いたのだと思う。
もう一つの手は、飲んだ酒の席で生まれた。別の代理店の人との雑談で、カードを作りませんかでは聞き流される、という話になった。
いまお申し込みいただければ、十リッター無料になります。そう言えばいいんじゃないか、と誰かが言った。試したら、びっくりするくらい当たった。
ただ、業界の中では賛否があった。代理店にとってガソリンは、お金を稼ぐいちばんの商材だ。その売り物を、タダで配る。ティッシュを増やすのとは話が違う。
声をかけていたのは、僕ではない。スタンドのスタッフだ。
一人でカードを七百枚取った人がいた。三十代の女性で、常連客から、良い人を紹介するよ、お見合いをセッティングするよ、と言われるような人だった。
僕はその七百という数字を、自分の担当地域の実績として本社に報告していた。ある日、コツを聞いてみた。
「コツなんかないよ。いかに断られるかだよね」
七百枚の裏で、その数倍は断られていると彼女は言った。取った数だけを見ないでほしい。断られた数と、そこで逃げなかったところを見てほしい、と。
はちきん、という土佐の言葉がある。話を聞きながら、勝手にそう思っていた。坂本竜馬を育てた姉の乙女は、きっとこういう人だったのだと思う。
僕は七百枚のほうを見て、感心していた。当時の僕は手柄が欲しくて、七百枚は報告書の中でいちばん見栄えのする数字だった。
彼女が見てほしいと言った場所を、僕は一度も見たことがなかった。給油に来た人はガソリンを入れに来ている。用のない話を持ちかけて、断られる。彼女はそれを、数えられないほどやっていた。
少し恥ずかしくなった。
カード払いの比率は、三割まで上がった。全国で表彰もされた。
そのあとで、同じカードの話を、二つの場所で聞いた。会社からは、あのカードには会社のマークが入っている、カードを持った客は同じマークの店を探して給油するようになる、だから取った分だけ会社の資産になると。
代理店の社長からは、三割があのカードで払うようになったら、もう看板は替えられない、と。看板を替えれば、客はあのカードで値引きを受けられなくなる。
手数料は、カードで払われた分だけ乗る。三割取れば、売上の三割に乗る。
そのあたりで気づいた。カードを作るのは、もともとよく来ている客だ。毎週給油して、冬は灯油も頼んで、ついでに洗車もしていく人。放っておいても来る、いちばんいい客だ。
取ったのは、もう取れている客だった。
僕が必死にやっていたのは、いちばんいい客に手数料をかけて回ることで、彼女がしていたのは、断られに行くことだった。表彰状は僕のほうに来た。
彼女がいま何をしているのかは知らない。七百枚は僕の報告書に残っていて、その数倍あったはずの数字は、どこにも書かれていない。
