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バンドと楽器への執着半世紀  4.ドラムとギター編

今回はB2の専門外の楽器なので、バンド活動(観察)を通してドラムスとギターの演奏者を見てきた客観的な記事になります。


B1とドラムス

B1とは兄弟で高校生バンド時代~社会人バンド時代の約10年間の付き合いがあります。ドラムを自宅で演奏すると近所迷惑になり当時は「ドラ息子」などと呼ばれるため、最初は卓球のラケットで作った練習台でドラム教本やレコードに合わせて練習をしていました。しばらくして先輩バンドからドラムセットを譲ってもらいタオルをかけて(消音して)2年間はレコードとB2のベースに合わせて練習をしていました。本番(テープデッキに録音する)時だけ思いっきり演奏します。本番は小学校の音楽室,中学校の体育館,公民館,やむえず自宅でした。機材の運搬・設営が大変でした。


大学生になりアルバイトするようになり、YAMAHAのドラムセットを手に入れました。しかしシンバル系の音が良くないらしく(鍋や釜を叩くような音とB1は言っていました)、パイステやジルジャンのシンバルを心斎橋の楽器屋で手に入れました。またスネアの音が良くないらしくREMOのスネアに交換しました。詳しくはわからないのですがB1は形から入る人だったのかも知れません。


その後B1は結婚しドラムセットが邪魔になり、B2のスタジオ付住宅で預かってきました。最終的にはB2の新居移転の折に処分しました。預かったドラムスでB2はドラムを1カ月練習しましたが、才能がないのでうまく演奏できませんでした。4ビート,8ビート,12ビート,16ビートの基本パターンは何とか叩けるのですが、さび(おかず)の部分がどうしてもうまく叩けませんでした。


その後30年の間に、YAMAHAの電子ドラムセット(結構場所をとります)など手に入れて練習していましたが、家庭の事情によりどんどんコンパクトな電子ドラムセットを買い替えていました。

やはりドラムスはベースと同じで一人で演奏するのは楽しくない楽器だったように思います。バンドあっての楽器でした。

バンドあってのドラムス!


B1とエレキギター(45年前の話)


大学院生時代は、B1もB2もアルバイトし心斎橋の楽器屋でシンバルやベースギターやキーボードなど手に入れました。空席があれば乗れるスカイメートという割引を利用してYS-11(プロペラジェット飛行機)で楽器を持って実家に帰るようになりました。B2自作のエレキギター用エフェクターが空港の手荷物検査で引っ掛かり爆発物の疑いをかけられたことがあります。話がだいぶ逸れましたが、B1もB2も一時期エレキギターにあこがれて弾けるようになりたいと思っていました。最終的には才能がないので2人とも断念しました。


当時オリジナル曲の演奏をB1,B2+時々K1でテープ録音していました。マルチトラックの高級な機材でなく、19cm/sの裏表2トラックのオープンリールデッキにピンポン録音して(ミキシングして音重ねて)いました。ピンポン2回が限度で最大で6パート合成できますが、音質やバランスが劣化してしまいます。最初にB1のドラム+B2のEPかベースを録音し、次にB2のキーボードとK1のギター+ボーカルの1回ピンポン録音で5パートスコアをこなしてきました。しかしオリジナル曲終盤になるとプログレ要素が大きくなり曲の厚みを出すため最低でも6パートスコアできれば7パート必要になりました。B2とK1はスタジオミュージシャンのように複数パートをこなせるのですが、B1はドラムオンリーの人なのでどうしても2回ピンポン録音になってしまい音質が低下します。

そこでB1にエレキギター16章節を任せることにしました。2週間練習してなんとかなりましたが、やっぱりへたくそでした。いくらエフェクターで加工してもエレキギターは才能と努力が必要なこと実感しました。

B1(ドラムス担当)がエレキギターに挑戦しました。   でもやっぱり…


ギターの好きな友達の思い出

学生バンドの主要メンバーは、K1(サイドギター兼ボーカル)とB1(ドラム)と筆者B2(ベース)の3人でした。そのほかK2(リードギター)がいたのですが勉強が忙しくて抜けてしましました。おかしな話ですがリードギターパートを打込み自動演奏させていたこともあります。エリッククラプトンやCharさんのようなリードギターを渇望していたのですが巡り合えませんでした。ずっと探してきたのですが… 偏見ですがエレキギターを弾く人は職人的で個性が強く信念を持っている人が多いと思います。話は変わりますがリードギターがバンドにいなかったので、ギターが好きだった友達2人の思い出話をします。


B1,B2と幼稚園から高校まで一緒だったF1の話をします。彼は高校生バンドでハッピーエンドなど演奏していました。F1の所属するバンドはレベルが高く、うちのバンドでリードギターをやってくれとは恥ずかしくてとても言えませんでした。生ギターのカッティングもきれいで憧れていました。
幼稚園時代は鉄腕アトムがテレビで放送されていて科学やロボットに夢を抱いていました。(山下達郎さんの「アトムの子」の世界観です。)F1はずっと手塚治虫先生の漫画が好きで高校の帰り道によく漫画の話をしていました。彼は「どろろと百鬼丸」が一番好きで、理由は「どろろが女の子だったこと。」に感動したそうです。そういうこともあり兄B1とF1は手塚治虫先生の母校を受験しましたが、失敗し地元大で心臓外科医になりました。K1の結婚式でF1と同席する機会があり、再会をすごく喜んでくれて「務めている病院でB2の会社の医用機器を大量購入したい。」と後日連絡がありました。しかし「気持ちはありがたいが、公費なので気にせずF1が本当にコスパの良いものを選んで欲しい。学会発表なら力になれる。」と回答しました。F1は「ごめん。友達にかっこいいところ見せたかったんよ。」とのことでした。B2も会社の上司から「正しい判断だったね。」と言われましたが、事業部や営業からは睨まれてしましました。

B1,B2,F1は幼稚園時代から身内と仲間を大切にする文化で育ってきました。しかし明治維新前に活躍した吉田松陰先生や高杉晋作先生の礎に胡坐をかいて行き過ぎた派閥(利益共同体)を作る先輩もいて、派閥は良くないとも思っていました。当時のF1もB2も正しい選択をしたと思います。新渡戸稲造先生の「倫理」=「正直者がバカを見ない世の中を目指すこと」を大切にしたいと思います。その後F1は患者から慕われる医師になりたくさんの人の命を救ってきました。残念なことに彼は50代半ばで亡くなりました。後でK1から聞いた話では、F1は数多くのギターを収集(遺品となってしまいましたが)していたそうです。


もう一人はB2の大学時代の友達で、広島の高校生バンドでエレキギターを弾いていたN2の話をします。大学4年で自動車会社就職で別れる際に、半分無理やりB2に愛用のエレキギターを譲ってくれました。(これで練習しろみたいな。)せっかくの好意なのでB2はエレキギターに挑戦しました。まず教本を買ってコードの弾き方やメロディーの弾き方を3か月くらい勉強しました。でも上達しませんでした。そのうちにディストーションやエコーやリバーブに興味を持ち、今でいうところのギターエフェクタを自作するようになりました。

N2は学生時代に自動車部サークルに所属していてキャンパス内で接触事故(経済学部学生に怪我させた)を起こしたそうです。相手の親御さんから罵倒されたことを愚痴っていました。そのできごとがきっと彼のトラウマになったと思うのですが、逆にそれをバネにして北米企業との業務提携をきっかけに文転しMIT(マサチューセッツ工科大学)でMBAとPh.Dを取得し経済学部の教授になったようです。彼のピンチをチャンスに変えるバイタリティに感動しました。

ギター好きな友達の思い出:   佳人薄命 , 人生七転び八起き


オリジナル曲製作の思い出

大学3年で高校生バンドは解散し、残ったメンバー3人+αで約2年半大学生バンド活動をしました。 バンド名は「木原一座」でした。
木原一座は、B1(ドラムス,EG?)とB2(EB,KB,EP)とK1(AG,Vocal,Sax,KB)の3人だけのメンバーでした。人数が少ないので、オープンリールデッキのピンポン録音でオリジナル曲を製作していました。K1のオリジナル曲は5曲,B2のオリジナル曲は20曲でした。作品は後ほど(10年後)にCDRに焼いて関係者に配りました。

クリーム,クィーン,ユーミン(ティンパンアレー),レイニーウッド,ジェネシスなどのバンドスコアを長い間練習してきたので、それらに影響を受け似たようなオリジナル曲になりました。バンドスコア編曲の教科書としてエイプリル出版の「ロック・アンサンブル」を自習しました。4パート程度のリズムセクション(EG,KB,EB,Dr.)の代表的4章節を集めた洋楽のサンプルでした。非常に参考になりました。


初期のオリジナル曲は4パート+ボーカルでPC自動演奏の力を借りてピンポン1回録音で製作していました。大学院2年になると実験や修論で忙しくなることがわかっていたので、大学院1年の8カ月をかけてB2最後のオリジナル曲(20曲目)を作曲・編曲・演奏しました。集大成なので演奏時間12分,最大パート数7,スコア楽譜40枚程度になりました。春休みにメロディを書き溜めておいて、夏休みに作曲・編曲作業し、冬休みに演奏・録音し、翌年のライトミュージックコンテストのテープ審査に応募しました。審査は冬休み明けだったので母親に会場のあるデパートに代理で行ってもらいました。
結局ダメだったみたいですね。

やはり木原一座には才能がなかったようです。20曲目はプログレ(プログレッシブロック)風に4つのテーマをくっつけた長い曲でした。長いと演奏成功率が上がらないため、テーマごとに分割してキーボードを重ねミキシングで繋ぎました。最初のリズムセクション録音で一部ストリングスのコードを間違えて(*m7を*7に間違えて)時間的に修正しようがなくピンポン録音で被せると汚くなるのでそのままにしておいたことが今でも悔やまれます。また夏休みに寝食を忘れて編曲作業をしていて胸が急に痛くなりエレピの前で2時間倒れ込みました。今考えると虚血性心疾患(血栓が冠動脈に飛んだ?)になりかけていたように思います。若いから無茶ができたのですが、机上作業では2時間に1回は軽い運動をしたほうが良いと思います。

健康あっての趣味!  無理をしない!


次回は「5.DTM機材編」を予定しています。



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