矛盾に脳を惑わすとは
母は怒りの感情が激しい人だった。
理由がわからないまま怒鳴られ、責められ、否定され、怖くて動けなくなることもあった。
友達と話していた時、突然部屋に入ってきた母に顔を蹴られたことがある。
ドアで聞き耳を立て、
話の内容が気に食わなかったらしい。
「誰が今まで育ててやったと思ってるんだ」
そう怒鳴られ、蹴られた。
でも当時の私は、
「なんでそんなことするの?」
とは言えなかった。
逆らうという発想すら持てなかった。
母の言葉は絶対だった。
「産まなきゃ良かった」
そう言われても、悲しいより先に、従わなければと思ってしまった。
私は、自分が傷ついていることに気づく余裕もなく、ただ母を怒らせないように生きていた。
親の暴力や暴言に怯えながら生きていた。
母の言葉や態度は、普通ではないのかもしれないと気づき始めた時
そこから私は苦しみ始めた。
親を愛したい気持ちと、怖い気持ち。
離れたいのに、離れることへの罪悪感。
怒りと、悲しみ。
私はずっと、その間で揺れていた。
大人になり、結婚し、子どもを産んだ。
子どもたちは心から愛しかった。
でも私は、いつも怖かった。
自分の中に母と同じものがあるのではないか。
知らないうちに子どもを傷つけてしまうのではないか。
だから何度も立ち止まり、考えた。
怒鳴らないように。
暴力をふるわないように。
子どもの涙を見逃さないように。
それは、手探りの子育てだった。
本当の意味で「守られる子ども」がどんなものなのか、私は知らなかった。
だから必死に考えた。
間違えたくなかった。
私は、自分の気づかないところで、彼らを傷つけていたかもしれない。
だから、彼らの人生を自由に生きてほしかった。
そして私の母は、認知症になった。
最初はまだ友達と交流し、俳句教室へ行き、楽しそうに暮らしていた。
けれど徐々に生活は崩れ始めた。
薬の管理ができなくなり、金銭管理も難しくなった。
救急車を何度も呼び、感情は不安定になり、周囲とのトラブルも増えていった。
私は追い詰められた。
電話が鳴るたび苦しくなった。
責められ、怒鳴られ、泣かれ、心が削られていった。
そしてある日、私は怒鳴ってしまった。
「いい加減にして、ストレスでしかない」
その瞬間、私は怖くなった。
このままでは、自分も壊れる。
母に会い続けたら、私は母を虐待してしまうかもしれない。
そう思った。
母は入院した。
そして私は母を捨てた。
でもその一方で、罪悪感は消えなかった。
母は今、寂しいのではないか。
泣いているのではないか。
私を恨んでいるのではないか。
そう考えるたび苦しくなる。
それでも私は、もう以前の場所には戻れない。
私は母を愛していないわけではない。
でも、母のそばにいると、自分が壊れてしまう。
だから私は今、
「母を思うこと」と
「自分を守ること」
その両方を抱えながら生きている。
