光に救われ、光に傷ついた。——あの季節が私に残したもの
幸せに触れたとき、人は必ず救われるわけじゃない。
あたたかさを知った瞬間、長く閉じ込めていた傷が
静かに「姿を現してしまう」こともある。
これは、私の世界に差し込んだ一筋の光が、
同時にいちばん深い影をつくった記録。
そして、その影を抱えたまま母親になった私の話。
私の人生は、長いあいだ暗くて、寒かった。
幼い頃から続く怒声と暴力は、
心に“安全”という感覚を育てることさえ許さなかった。
“寄りかかっても大丈夫だと思える経験” を持たないまま大人になった私は、
優しさの受け取り方も、安心の置き場所も知らずに生きてきた。
そんな私の世界に、夫との暮らしの中で、
初めて“あたたかさ”と言える時間が訪れた。
大きな瞳。優しい目元。
私が産んだ子どもたちを、宝物のように見つめる姿。
あんなふうに子どもを見つめる大人を、
私は自分の人生のどこにも持っていなかった。
その瞬間が重なるたび、
胸の奥に張りついていた氷が静かに溶けていった。
家のことも、子どものことも、
当たり前のように一緒に受け止める人だった。
「休んでていいよ」
「大丈夫、任せて」
その言葉の意味を、あの時間に初めて知った。
不器用にしか笑えない日々でさえ、
私は確かに救われていた。
けれど、あたたかさの裏側には必ず影がある。
見ないふりをしてきた小さな裂け目は、
いつのまにか形を持ち始めていた。
そして私は、やがてその影に触れることになる。
光に救われた場所で、
いちばん深く傷ついた。
あの瞬間に崩れたのは、信頼ではなく、私の中でようやく育ちかけていた“安心”そのものだった。
その事実だけが、静かに残った。
理由を探しても、説明をつけても、
何かが戻るわけではなかった。
あの時間は、そこで幕を閉じた。
ただ——
あの頃が嘘だったわけではない。
確かに私の人生を通り抜けた、ひとつの時間だった。
今の私は、別の場所で暮らしている。
もう過去を抱きしめる必要も、否定する必要もない。
ただ静かに棚に戻せるようになっただけ。
あの時間があったから、私は母親になれた。
手放したあたたかさも、触れた影も、
すべてがいまの私を形づくった、ひとつの時間だった。
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あの頃の体験を、誰かと分かち合いたくて書いています。読んでいただけるだけで十分ですが、もし応援までいただけたら感謝でいっぱいです💌
