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**あの日の玄関には、私の知っている“夫”はいなかった。**

あの日の私は、何ひとつ動かなかった。
心も、声も、反応も。
ただ、玄関の向こうの光景だけが
私をゆっくりと沈めていった。


玄関のドアの向こうには、
夫より前にひとつの影が立っていた。

その後ろで俯く夫は、
妙に小さく、輪郭だけが残ったもののように見えた。

その光景は、
驚きにも、怒りにも、悲しみにも結びつかなかった。

——この場を壊さずに済む“正しい妻”は、
どの演じ方なのだろう。

そんな考えだけが、
現実より先に胸の内へ落ちてきた。

逃げなかった。
崩れもしなかった。
取り乱しもしなかった。

ただ一瞬、
考えた。

——私は今、
どの妻を演じればいいのだろう。

叱るべきなのか。
泣くべきなのか。
崩れるべきなのか。

その短いあいだに、
いくつもの選択肢が頭をかすめた。

どれも自分の気持ちとは結びつかなかった。
ただ、“場が納まる形”だけを探していた。

その静けさのほうが、
どんな感情よりも異常だった。

言葉は浮かばなかった。
浮かべようともしなかった。

ひとつだけ確かだった。

この人はもう、この家の中の人間ではない。
そして私は、
感情より“役”のほうが先に動いてしまう人間になっていた。

あの日玄関で終わったのは、
家庭でも夫婦でもなく、
私が自分の気持ちで動けていた最後の場所のほうだった。


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アリス 🎀🐇🫖 あの頃の体験を、誰かと分かち合いたくて書いています。読んでいただけるだけで十分ですが、もし応援までいただけたら感謝でいっぱいです💌