🤔 真我の思惑と我欲はどう違うの?
🤔 真我の思惑と我欲はどう違うの?
説明できないのです。
🤔 説明できないなら相手に伝えられないね?
右脳認識を共有することならできます。
🤔 どういうこと?
イメージをやり取りする感じです。

真我【しんが】:
ハイヤーセルフ(Higher Self)
~高次元の自分自身
内なる神~神たる我
自分の内面に宿る大いなるもの
梵我一如
右脳認識
直感
誰もが、直感(インスピレーション/ひらめき)を感得して行動に移す場合と、それすら感じることなく即時行動している場合とがあります。無意識のうちに。
直感ベースで、より一層、無意識に近いほうが真我の思惑による反応なのだろうと思われます。でも、断言はできません。自分で判断していただくしかありません。
直感が、どこから発信されているか、捉えようがないので難しいですね。
どうやら右脳が、直感(インスピレーション/ひらめき)の認識過程に介在しているはずだと考えられています。無意識・潜在意識そして、その向こうのほうに在わす真我へのアプローチもやはり、右脳認識を通してでしょう。
我欲というのは、もう少し次元の低い衝動なのかも知れません。
本能に近いほう。原始脳が求めている欲望。
それそのものではなくても、原始脳の渇望に近い行動に結びつく感覚。
我欲は、無くそうと思ってもなかなか無くせるものではありません。原始脳が制御する『生命体としてどうしても欲してしまうこと』そのもの、あるいはそれに近い衝動だからなのでしょう。ゆえに、我欲は我欲としてほうっておき、真我の思惑をサーチして捕捉し、自然の流れのなかで対応〜行動化してゆく"感じ"で、お務めを果たすことが肝要なのかと思います。
人間というものは、まさに"清濁あわせ持つ"存在であり、それぞれの[意識・意思・氣・想念・心]は常に揺れ動いています。それは仕方のないことです。人間は生命体なのですから『生命体としてどうしても欲してしまうこと』=我欲を離れて生きることなど、もともと出来っこないのです。
いっぽう人間には、長い進化の年月を経るなかで、天より授かった高い知性が育まれて備わっており、これは他の生命体の追随を許しません。しかし、この知性を司どる左脳の認識は論理で成立しています。直感は、論理とは正反対です。
左脳・・・論理が邪魔をして、右脳・・・直感や無意識へのアクセスが閉ざされがちになっているのが人間です。
人間以外の動物は、もしかすると瞬間という瞬間、生命体としてどうしても欲してしまう本能としての衝動とともに、常に直感が認識を支配し、常時無意識をベースに、真我の思惑を体現しているのかも知れません。
いわゆる縄文人たちは、まさにその動物たちのように生き抜くことができた、特異なる[意識・意思・氣・想念・心]を持った人間だったのではないかと、私は直感しています。
もし、私たち日本人に縄文人の遺伝子が比較的多く伝わっているのだとすれば、我欲は我欲としてほうっておき、その上で、より真我の思惑に沿った生きかたに挑もうとするに際して、私たちは、高い適性を有していると申せましょう。
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人間はみんな、それぞれの思惑で生きており、それぞれの思惑で己れの周辺世界を制御しようと努めている。
— 十樂令仁 Juuraku Reiji (@JuurakuN) August 23, 2026
大抵の思惑は我欲に導かれ、自分本位で体系づけられている。… pic.twitter.com/C53km0v8rT
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