自由に生きる、の裏には何があるのか—「国や会社に依存しない」という言葉の正体

自由という名の心地よい不自由。
バンコク郊外の自宅、午後2時。
窓の外からは、近所の工事の音と、物売りの軽トラックが流す気が抜けたようなアナウンスが聞こえてきます。
湿り気を帯びた熱気がムワッと肌にまとわりつく、いつものタイの昼下がりです。
僕は大学を卒業してすぐタイに渡り、そのまま28年が経ちました。
タイ人の妻と二人の娘に囲まれ、今は非常勤講師として日本の文化をタイの学生たちに教えています。
日本での会社勤務経験はゼロ。アルバイトの経験しかありません。
そんな僕の目から見ると、最近日本のSNSやネットで見かける「国や会社に依存せず、自由に生きる」という言葉が、少しだけ危うい、浮世離れした響きに聞こえることがあります。
今日は、日本とタイ、二つの社会の隙間で生きてきた僕なりの「自由の正体」についてお話しさせてください。
「国や会社に依存せず、自由に生きる。」
この言葉、実に響きがいいです。
軽やかで、風通しがよくて、少しだけ勝者の匂いもする。
満員電車にも乗らない。
上司の顔色も見ない。
嫌な会議にも出ない。
好きな場所で、好きな人と、好きなように生きる。
なるほど。たしかに魅力的です。
でも、この言葉にはひとつ大きな誤解が混ざっています。
それは、人は何にも依存せずには生きられないということです。
自由になったのではなく、依存先が変わっただけ
会社を辞めれば会社に依存しなくなる。
海外に住めば国に縛られなくなる。
フリーランスになれば自由になる。
そう語られがちですが、現実はそこまで単純ではありません。
会社を離れた人は、今度は市場に依存します。
国をまたいで暮らす人は、ビザ、医療制度、税制、為替、治安、現地の人間関係に依存します。
つまり、依存が消えるのではありません。
依存先が変わるだけなのです。
ここを見落とすと、「自由に生きる」は案外あっさり「不安定に生きる」に変わります。
会社には窮屈さがある。でも、土台もある
会社員にはたしかに窮屈さがあります。
理不尽な上司もいれば、意味不明な会議もある。
やりたくない仕事も、付き合いたくない人間関係もある。
ただ、その代わりに会社は、毎月の給与、社会保険、肩書き、所属、最低限の信用をまとめて持たせてくれます。
正直、うっとうしい部分もあります。
でも人間は、そういう見えない土台の上でかなり安心して生きているものです。
その土台を外した瞬間、自由と一緒に全部自己責任がやってきます。
仕事が減る。
取引先が飛ぶ。
体調を崩す。
制度が変わる。
円安になる。
医療費が高い。
年齢が上がって再挑戦がしんどくなる。
このへんは、若いうちは勢いで乗り切れます。
でも年齢を重ねるほど、「自由」には体力と判断力と資金力が必要だとわかってきます。
自由な人ほど、実は24時間営業になりやすい
ここも意外と見落とされがちです。
会社員なら、少なくとも勤務時間という区切りがあります。
ところが自由業になると、その境界線が消えやすい。
朝も夜もなく、自分が動けば仕事になる。
止まれば、そのまま不安になる。
休んでいても、
「このままで大丈夫か」
「来月はどうなるか」
という考えが頭のどこかに残る。
つまり、時間の自由を手に入れたようで、
気持ちの自由を失う人が少なくないのです。
上司から逃げたら、今度は数字に追われる
今の時代はさらに厄介です。
会社に依存しない代わりに、今度は市場やプラットフォームに依存する。
上司の評価から逃げたはずなのに、再生回数やフォロワー数や“いいね”に振り回される。
この話、なかなかよくできたアイロニー(皮肉)話なのです。
首輪を外したと思ったら、今度は見えない首輪がついていた、みたいなものです。
アルゴリズムは上司より優しく見えますが、気まぐれさでは負けていません。
所属を失うと、人は思ったより孤独になる
この話、けっこう本質です。
会社には面倒もあります。
でも同時に、雑談、気配、くだらない会話、ちょっとした助け合いもあります。
独立した直後は、それがなくなってせいせいします。
「会議も飲み会もない。最高だ」と思う。
でも時間がたつと、じわじわ効いてくるのが孤独です。
少し横道にそれますが、この手の話には妙に味のあるオチがあります。
会社が嫌で飛び出した人が、あとで懐かしくなるのは立派な社訓ではありません。
だいたい、給湯室のどうでもいい一言だったりします。
人は自由だけでできていません。
適度な拘束、適度な他人、適度な面倒くささ。
そのへんも案外、心の骨組みになっています。
本当に必要なのは「無依存」ではなく「分散」
では、「国や会社に依存せず、自由に生きる」という考え方は間違いなのか?
私は、そこまで悲観していません。
間違いなのは、依存をゼロにできると思い込むことです。
本当に大事なのは、依存しないことではありません。
依存先を一つにしないことです。
収入源を分ける。
住む場所の選択肢を持つ。
人間関係を閉じすぎない。
制度を嫌うのではなく、理解して使う。
健康を気合いではなく資産として守る。
老後や病気の話を「縁起でもない」で済ませない。
要するに、自由とは孤立ではなく分散です。
自由はロマンではなく、設計で守るもの
自由という言葉は、どうしてもロマンで語られます。
でも、長く生きているとわかります。
人生を支えるのは、ロマンそのものではありません。
ロマンを維持できる仕組みのほうです。
好きなように生きる。
それ自体は悪くない。むしろ素敵です。
ただし、その「好きなように」を続けるためには、かなり地味で、かなり現実的で、少し面倒な準備が要る。
自由とは、何にも頼らないことではない。
壊れても立て直せるように、支えを複数持つことだ。
そう考えると、「国や会社に依存せず、自由に生きる」という言葉も少し見え方が変わってきます。
それは解放の合言葉というより、
かなり設計力のいる生き方なのです。
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