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友情が「いじめ」を超えて。父のクラスがつくった映画

父がもうすぐ90才。いま介護施設に入っています。この週末、父のことを少し書き残しておきたいと思い書いています。父のことの続編です。

1985年。40年前のこと。父は名古屋市立の城山中学に勤務していました。3年9組の担任でした。受験勉強で大変な11月です。文化祭で父が担任するクラスが手作りの映画を上映。評判になりました。文化祭が終わっても、父兄たちの間から上映を望む声が高まり、お寺で上映されたとの記述があります。


友情が「いじめ」を超えた 

記事の写真は撮影風景。プロの映画のようにリアカーを移動しながらの撮影。クラスで夜8時までかけて作ったとあります。以下、朝日新聞からの記事の抜粋です。

タイトルは「3年9組」

ある日、3年9組に一人の女の子が転校してくる。当初はみんなに溶け込めそうだったが、男の子同士の喧嘩の仲裁に入ったところ、生意気だと、いいかっこして、と白い目で見られ始める。バレーボールで仲間外れにされ、男の子が慰めてくれたが、それを目撃された結果、またいじめのタネに。ついに登校拒否を起こし、休んでしまった。数日後、先生を含め、みんなで話し合いが行われ、いじめっ子たちが少女の家に謝りに行く。

翌日、みんなは果たして少女が登校して来るのか心配でならない。校門で待ちきれなくて、みんなで少女の自宅前まで迎えに行く。カバンを下げて門から出てくる少女。みんなでワッと。少女の周りを取り囲む。

せりふは全部名古屋弁でいこまいか

「9組で文化祭で何をするのか話し合ったのは、文化祭を1ヶ月後に控えた10月中旬。「模擬店」「教室展示」。出し物のプランは二転三転したあと、ようやく8mm映画の製作の方向で落ち着いたが、テーマをめぐってまたもめ続け、10月末、「新聞やテレビで話題になり、また自分のクラスにはないが、他クラスで起こり、身近な問題になっている」いじめに決まった。

議論百出のシナリオ作り。カメラは岩田勇二君が自宅から持ってきた。移動シーンは学校のリアカーを拝借した。担任の山本登先生も、カメラ店に何度も足を運び撮影技術を勉強した。いつしかみんなが引き込まれてしまった。

標準語のせりふは「全部名古屋弁でいこまいか」。興に乗るにつれアドリブがどんどん入ってくる。撮影は毎日放課後に行われ、文化祭前日の11月14日に撮影終了した。当日は3回上映の予定が「これは面白い」「よかったぞ」と観客からアンコールの声が相次ぎ、プログラムを変更、6回も上映した。評判を聞いた父母たちからも再上映を求める声が起こり、(1985年12月)14日午後1時から、千種区池上町2丁目の蓮勝寺で上映することになった。

生徒たち自身の映画評論は「大人になってもう一度見てみたい」(織田由起さん)、「友情の大切さをいいたかった」(久富華子さん)、「友情があったら解決するのに、いじめられても何で自殺なんかするのかな」(森ルミさん)…。

小さな巨匠たちの感激と満足感はまだ続いている」

と記事にあります。

朝日新聞1985年11月 父のクラスが映画をつくったとの記事

バトンは受け継がれて

時は流れ。わたしの次男(1999年生)は高校三年生の秋、大学受験で忙しいときに、文化祭でクラスでミュージカルを上映しました。とてもよい出来栄えでした。ある都立高校ですが、大道具係だった次男は準備期間の間、1か月にわたって夜遅くまで頑張り舞台装置を作っていました。劇は大成功。観客はスタンディングオベーションでした。クラス全員が泣いていました。次男が泣く姿を見て、本当にこいつら、頑張っていたんだなと感じました。一生ものの想いで作りになる学校の行事。いいものですね。よい思い出ばかりとなるはずの学校で、いじめなんて、くだらないもの、なくしちゃえばいいのにと思います。


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