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バンドをやっていた頃のこと【増補版】

予備校に通っている時に一年間かけて髪を伸ばして大学入学に備えた。たまの休みは梅田のワルツ堂まで足を延ばしてMARINOのTシャツを買ったりした。

めでたく志望校に合格、キラキラしたキャンパスの喧騒には目もくれず音楽系サークルに入部しメンバー集めに着手した。やりたいのは勿論、ヘヴィメタル。その手の音楽をやっている連中のファッションは、長髪、黒のスリム、赤のコンバースと驚くほど画一的で見分けが付き易くメンバー集めも簡単だった。トイレで隣り合わせた知らない兄ちゃんに「自分、駿台おったやろ?」と声を掛けられるのだから、悪目立ちすることこのうえない。ジャージを着た応援団の学生に思いきり肩をぶつけられたこともあった。そんなに敵視しなくてもいいのに。

大学に入った85年は所謂ジャパメタ・ブームの真っ最中。そう、繁華街に金髪のメタル・キッズが溢れていた時代。わたしも金髪にしたかったけれど母親の強い反対で断念したことを今も後悔している。そういえば小学校での成人式も「恥ずかしいから行くな」と言われた。

当時のメタルシーンはLOUDNESSを筆頭に関西三大バンドと称されたEARTHSHAKER、44MAGNUM、MARINOの全盛期だった。関東からはBLIZZARDやANTHEMがデビューしていたと思う。 

振り返れば、44MAGNUMの広瀬“JIMMY”さとしの影響をモロに受けた僕は指は速かったけれどギターの弾き方は全く解っていなかった。単なる音の羅列。自分のスタイルや音色も確立出来ていなかったし、バンドの実力も所詮は学祭レベルに過ぎなかった。

当時の関西は上記のバンドを頂点に、PRESENCEなどデビューが期待されるセミプロ、ライブハウスで頑張るバンド、そこを目指す僕たちというピラミッド構造のシーンが形成されていた。だから、僕が在籍していた程度のバンドでも「元GANGLANDのボーカルがオーディションを受けたいと言っている」という話が来たりした。勿論、「その時は、お前はもう一度オーディションを受けてもらうからな」とリーダーに言い添えられたが。何れにせよ、最下層ではあっても僕もシーンの一部にいるとの感覚は正直、あった。

問題だったのはバンドをやっていても全然、楽しくなかったことだ。もともとがお友達バンドではなく、皆プロ志向でただひたすら自分が上にいくことばかり考えていた。裏でメンバーが僕のことを「あいつはメチャクチャ下手」と吹聴していたり、僕たちは僕たちで「俺がベースに回るからあいつをクビにしよう」とか、そんな話ばかり。

たかがアマチュアなのに、なまじシーンの状況が見えてしまうから不必要に戦略的になっていたのが実態だった。そんなネガティブな状況に嫌気がさした。ジャパメタ村の外の世界を見たかった。いろんな友達が欲しかった。いくつかの理由が重なり、二十歳の誕生日の前日に髪を切った。

そのあと、30代で「真剣に遊ぶ」をモットーに二つほどコピーバンドをやった。その時に初めて音を楽しむことを知った。そして、僕なりのギターが少し弾けるようになった気がした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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