飛べなくても地面は続く
今から10年前の話である。
私は高校を卒業した。
私が通っていた高校は、公立の進学校であった。
さらに、私が所属していたサッカー部はその代、全国大会に出るほど強かった。
冬の全国大会である「選手権」は年明けまでやっているわけなので、3年生の選手は1月上旬までプレーして、下旬にセンター試験の受験をしていたわけだ。
私は選手ではなかった。3年の5月には、自分は試合に出られないと諦め、引退していた。何なら、2年の時点でもうAチームに入れないと思っていた。
そのときは、サッカーがうまくいくか、勉強を頑張って良い大学に入るかの二択が人生だと思っていた。だから、勉強を頑張った。
単純に時間を考えるなら、1月上旬までプレーしていた同級生の選手よりも、8ヶ月長くやっていたことになる。
そして、「良い大学」であると、私の高校で評価されるような大学には入ることができなかった。
それから10年だ。
"悔しさをバネに頑張る"
という言葉があるが、この悔しさが10年間のバネになっていたとは思わない。定期的に忘れてしまっていたからだ。
しかし最近、高校時代の夢を見るようになった。
終わった話で、決して良い思い出ではなかったが、「辛い」というよりも「恥ずかしい」過去だと今は感じるのだ。
それは結果が出なかったという云々ではなく、結果が出ないことを受け入れられず、指摘を受けプライドが傷つくのを嫌い、人との関わりを避けながら卒業の時間が来るのをただ待っていた自分がいたからだ。
客観視したときに、自分はどう見えていたのかを、最近見る夢が教えてくれている。
環境が変わったときに、ものごとはリセットさせるように感じる。実際は、リセットなんてものはなく、人生は常にリロードなのだ。
卒業を「大空に飛び立つ」と表現するが、地面は続いている。
華やかな実績や、充実した日々を過ごした結果としての「飛び立つ」ことが叶わなくても、やはり地面は続いている。
10年の間、飛び立ったように感じていたのかもしれない。
空を飛んでいたとしても、過去から地面は続いているのだ。
夢を見るのは、地面をしっかり這うことが、まだ私には必要だということを教えてくれているのだろう。
