「子どものため」という言葉の怖さ
こんにちは。かっちゃんです。
今回は、子どもへの声掛けを考えるときに、少し気になっている言葉について書いてみたいと思います。
それは、「子どものために」という言葉です。
「子どものために、こうしたほうがいい」
「子どものために、イベントをしたい」
「子どものために、私はこうしています」
学童の現場でも、こうした答えがよく返ってきました。
もちろん、本当に子どものことを考えて使っている言葉だと思います。
ただ、私は以前から、この言葉に少し引っかかるところがあって、職場では使わないことにしていました。
「子どものために」は具体的な理由にはならない
そもそも「子どものために」という言葉、理由にはならないんですよね。
例えば「子どものためにこの玩具を買ってあげたい」という言葉。
その玩具が子どもにとって楽しそうだから?
その玩具が、誰かを落ち着けるために必要そうだから?
今ある玩具が足りないから?
子どもが飽き始めていて、新しい遊びを入れたいから?
色々な理由が挙げられますよね。
でも、「子どものために」っていうのは目的にはなりえても、
具体的な理由にはならないのです。
自分を正当化する言葉にもなりえる
そして何より怖いのが、自分を正当化する理由にも使えてしまう言葉だからです。
あまり望ましくない行為であっても
「私は子どもたちのためにやっています」
「私はこの子のためにやっています」
「あなたのために言っています」
これってものすごく怖くて、子どもがどんなに傷付こうが、
職員間の話し合いで誰も納得できなくても、
「私は子どものためを思っているから大丈夫」
というよく分からない理由で、自分を後押ししてしまえるようになる。
「子どものために」という言葉が、考えるための言葉ではなく、考えることを止める言葉になってしまう。
これはものすごく怖いことだなと考えています。
どこかで自分のための理由もある
私は子どものためだけに現場の施設長をやっていたか、と言われたら違うと思っています。
私は報酬を得て、それで生きるため、自分で楽しく過ごすためにこの仕事を選びました。 だから、ボランティアでやってくれと言われたら全力でお断りいたします(笑)
何が言いたいかっていうと、子どもたちのためだけにすべてをやれている人はいないと思っています。
例えば、
片付けをできるように声掛けするのは、自分の周りを汚くしてほしくないから。毎回毎回やってくれたら、そっちの方がいいから。
喧嘩を止めるのは、喧嘩をしていい施設になってしまったら、私が止めに入らなければいけない。そういう仕事の仕方にはしたくないから。
子どもたちに考えて動いてほしくて声掛けを頑張るのは、そうなれば子どもたち自身が過ごしやすくなるだけでなく、私にも余裕が生まれ、一緒に遊べるようになるから。
どこかで必ず「自分のため」という理由が入っていると思うのです。
それは悪いことではないと思っています。
大人にも大人の生活があり、都合があり、願いがあります。
それを無理に隠して、「すべて子どものためです」と言う必要はないのではないでしょうか。
だから私は「子どものために」は使わない
・自分の都合でものごとを押し通さないため
・自分が正しいと思いこまないため
・子どもに言うことを聞かせる道具にしないため
以上の理由で、私は「あなたのため」「子どものため」は使わないようにしていました。
そんなに正しい人間じゃないし、間違うこともたくさんあります。
そこで誰かが傷ついたりしないようにしたいし、それでいいと思っている人間だとは思われたくないです。
だからこそ、自分の行為を「子どものため」と言って正当化したくない。
「子どものため」という言葉が免罪符や、自身を守るための鎧になってしまわないようにしたいのです。
「子どものために」という言葉を使ってはいけない、と言いたいわけではありません。
ただ、その言葉で考えることを終わらせないこと。
「何のためなのか」
「子どもにとって、どんな意味があるのか」
「そこに自分の都合は入りすぎていないか」
そんなことを、一度考えてみる。
そのきっかけになってもらえたらと思い、今回書きました。
今回もご覧いただきありがとうございました。
