掛川宿~袋井宿~見附宿~浜松宿
旧東海道の三大難所のうち、二つを越えて掛川宿まで歩いて踏破してきました。
旧東海道の地図 | 旧街道ナビ
のサイトの高低差を見ると、掛川から鈴鹿峠の手前までは比較的なだらかな道筋のようです。
じゃあ、自転車で行くか…
「え?それズルじゃね?」いやいや、別に苦行がしたくて旧東海道を移動しているのではないからね。昔の旅人だって、駕籠使ったり馬にのったりしたでしょ(という言い訳)
ということで、しばらく、ぶら歩き、ならぬ、ぶらチャリを敢行。

折り畳み式自転車を購入。色々事前に試し、折りたたんで袋に収納した約10kg弱(案外思いw)の自転車をエッチラオと担ぎながら、私鉄、東海道新幹線を乗り継いで、掛川駅に日曜の朝10時半ぐらいに到着。
余談ですが、掛川駅の改札を通過する時点で、やたらと若い女の子たちがわんさか駅にいて、「何事?」と思ったのですが、どうやらこの日、掛川駅の近くのどこぞの会場で、timelesz のライブがあったらしく、そこに行く人達だったよう。集客力、凄いっすね…
ちなみに私は神奈川県県央在住なので、新横浜駅で横浜アリーナのライブに行く人達と遭遇した感じ。
掛川宿から袋井宿へ
さて本題。

金谷宿 ~ 日坂宿 ~ 掛川宿|Knowledge & Experience の最後で通った道を逆に辿り、掛川城手前の連雀西の交差点を左折して、旧東海道筋へ。
…にしても、”利用中央軒”とか”OBAKO”とか、店名がなかなかに興味深い…

右に折れると、すぐに成田山遥拝所。

そして、すぐ、今回見たいなと思っていた、十九首塚の案内を発見!

旧東海道から右に離れて探すと、

ありました。天慶の乱で討伐された、平将門一党を祀った首塚。その数名前通りに将門含めて19人分。藤原秀郷と平貞盛(清盛の高祖父)に討伐され、その首を京に持っていこうとしたら、京から派遣された勅使と、この地で出会い、「禁裏に賊人いれるべからず」と言われ、この地で晒してその後、それぞれ19か所に葬ったのを、後にこの地に纏めて弔った、とのこと。
確か、成田山では天慶の乱の際、将門の調伏祈祷を行っていたはず。だから近くに成田山の遥拝所があるのかね。
しかし、この辺り、十九首(じゅうくしゅ)という地名だったり、近くの川の名前が、首を洗ったからという由来で”血洗い川だったり、なんだかすごい。

参拝を済ませて、旧東海道筋に戻り、直進して、県道37号に合流し、逆川橋を渡る。

この辺り、旧東海道はまっすぐではない。

白山神社を右手に見ながら進み…

一里塚跡を左手に見ながら進み…

国道一号バイパスを潜って、県道253号を進む。

ほう、坂上田村麻呂の守り本尊…
?阿弥陀信仰って、坂上田村麻呂の時代もあったっけ?

素敵な松並木を通り抜け…

この辺りに昔は、原川という間の宿があったらしい。

松並木を進むと国道一号にぶち当たり、原川地下横断歩道を使って、渡り右方向へ。

原野谷川を渡って、”袋井市”の看板があるところを左に折れる。

そして、県道253号を進む


次の袋井宿は旧東海道五十三次の丁度真ん中なので、このあたり、どまんなか系多し。

めだか屋さんか…珍しいね。
先程行書東海道の案内もありましたな。

久努国造という御祭神ですか。。。桓武天皇の時代が創建。随分古い神社なのね。この神社の裏から
そして、ここはすでに遠江の国!あ、掛川も遠江か。
さらに、県道253号を進んで、


新屋の交差点を左折して、すぐに右折。


市役所前の通りに出たら左折して、袋井市役所南を右折。

袋井宿に到達。掛川から約10㎞。歩くより楽だわ。。。
ここまでの行程は以下の通り。
距離 10.9㎞
標高
最高 38m
最低 12
累積標高
登り 31m
下り 47m
う~ん。。。なだらかぁ。。。
袋井宿の内
東海道どまん中茶屋を正面に左の道を行く。


東本陣跡に到着

史跡案内にはいろいろと面白いことが書いてある。大名同士のかち合は避ける、大名ごとに準備を整える、とか、参勤交代の時期は決まっているから、ある季節に集中するわけで、大変だ。宿の備品が大量に持ち去られたとか、江戸時代の武家の連中もなかなか悪よのぅ。まぁJALパック時代の日本人の海外ツアーも悪名が高かったらしいので、そう思いたくはないが、日本人の裏の顔の伝統かもね。

この史跡案内を見ると、本陣の敷地はもっともっと広かったと。。。あたりまえか。

あ、郵便ポストが四角くなっている…とか、…何故ふくろう?…とか思いながら、袋井宿場公園を右手に見ながら、静橋北の交差点を西へ…
宿場町付近は、桝形の道路とか角が折れ曲がってたりするので方向感覚がぶれるのよ。

御幸橋を渡ると、袋井宿を出る?
見附宿へ
県道253号を進む。




おー!あの、幕末に起きたと言われる”えーじゃないか”!
ここがその場所のひとつか!

お腹がすいてきたのですき家で昼食&休憩。
その後県道413を西進。

国道一号のバイパスの高架が見えてくる。

田植えが始まっている田んぼの横を漕いでいく。

左に折れると鎌倉時代の古道らしい。

あのぅ…坂道…ですね…

ん?今度は”江戸の古道”ですか。。。かなり急な坂道ですなぁ…
自転車だときついんだけど、江戸時代の道筋だし、あきらかにショートカットなので、この急坂道をえっちらおっと登る。

この自転車、一応9段変速で、一番下のギヤに変えて、自転車を降りずに登り切れましたー!
右に行けば見附宿。あと2.3㎞!すぐやーん!
大日堂があるらしいので、寄り道。

この辺りは、徳川vs武田の古戦場跡が多いようだ。

先程のT字路に戻り、最後の急坂を登り切って、いざ、見附宿へ、
もうね…旧東海道は、油断するとすぐ峠道だからね。アップダウンの感じとしては、戸塚、保土ヶ谷、東神奈川辺りな感じ。

下ってちょっと上って、見附宿の東端に到達。

県道413号に合流して坂道を登っていく。
もっと平らだと思っていたよー。

この辺りからようやく下り坂になる。こういう整備されたバイパス系の道は、歩く場合はつまらないんだけど、自転車なら一気に進めるので、楽。
贅沢を言えば、緩やかにくねって風情のある旧街道筋は、歩いたほうが満喫できるんですけどね。
しばらく進むと、

おー!日本左エ門の墓!これは詣でねば!

重要文化財もたくさんあって、とても素敵な境内を参拝した後に、

日本左衛門の墓を発見し、参拝。え?誰?ですかって?知らないの?
〽浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ
で有名な歌舞伎の白波五人男の日本駄右衛門のモデルになった実在の大盗賊。一応義賊として歴史には残っているんだけどね。
どうでもいいんだけど、必殺仕事人シリーズの何シーズン目かは忘れたけど、オープニングで、
〽浜の真砂は尽きるとも、尽きぬ恨みの数々を、晴らしてくれよう仕事人(確かw)
というせりふ回しのもとにもなってる(はず、多分)
さらにどうでも良い話で恐縮なんだけど、私が大好きな小説家・半村良の妖星伝にも出てくる。そっちは、鬼道衆に洗脳された偽物(日本左衛門の一の子分)が名乗り出て処刑されて、唐の浜島庄兵衛は、落ちぶれて死ぬという設定になっていた。
あ、吉原宿あたりにも日本左衛門の史跡があったらしいんだけど、見つけられなかったんだよねー残念!

そして、加茂川の交差点を左折して、県道44号へ。見附宿とは磐田市なんだよね。
ってことで、ここまでの行程を挙げておきますね。
距離 6.5㎞
標高
最大 48m
最小 7m
累積標高
登り 53m
下り 59m
行程トラッキングの結果を見ると、自転車に乗っているにも関わらず、平均時速たったの5.1㎞!
歩いているのと変わらない!
まぁ、ちょっと走っては止まって史跡見学とかしているから、歩いたらもっとかかるんだけどね、きっと。
ついでに、トラッキングアプリで行程中の標高差のグラフが見れるので、参考までに挙げておく。

おー、あの江戸の古道、一気に40m近く登ったのかぁ。。。
見附宿の内
この時点で既に13時半ちょい前。あれ?予定ではそろそろ浜松宿のはずなのにー!ちょっとだけ焦る。
とはいえ、この日の宿は浜松駅付近で確保済みなので、まぁいいかって感じ。
県道56号を南下するとほどなくして、国府跡と府八幡宮が両側に。

奈良時代の聖武天皇が発した詔で、全国に作られた国分寺跡。国分寺の系統は多くが薬師堂。奈良の時代は薬師如来がメジャーだったのか?

どうやら復元するらしい。神奈川県の海老名の相模国の国分寺跡も復元すればいいのに。七重塔も、1/3スケールとか中途半端な奴じゃなく原寸大の塔も一緒にね。

こちらは府八幡宮。珍しく神功皇后の旦那さんの仲哀天皇も祀られている。
遠江国府が出来たとき一緒に勧請されたとのこと。国司として派遣されたのが、桜井王で、この方は天武天皇の曽孫なんだとか。天智天皇も天武天皇の曾孫だから同族だね。気になって調べたら、桜井王は、藤原四兄弟との政争で敗れた長屋王の子供だった。称徳天皇までが天武系の天皇で、天武系の子孫はあまり地方には派遣されなかったようだが、藤原氏の勢力が増すにつれて地位が低下して、その結果の派遣…なのか?

境内には武内宿祢を祀る神社もあり、景行・成務・仲哀・応神(八幡様)・仁徳の天皇五代に渡って使えた故事にならい、ボケ封じの霊験があるとのこと。
県道56号に出て、磐田駅に向けて南下。

ジュビロ磐田のショップがある交差点を右折。
どこで曲がるか核心が持てず、磐田の駅まで行っちゃったけどね。


県道261号を西進。

しばらく行くと、天竜川!

天竜川を渡る
上の写真に写っている橋(天竜川橋)は歩道が無いので、下の写真に写っている新天竜川橋に移動してそちらを渡ることになる。

天竜川は大井川並みに幅広。しかし、橋横の歩道の作りがしっかりしていて、それほど恐怖は感じずむしろ爽快感のうちに渡り切る。
本来は、この橋の北にちょっと行ったところに昔の渡し場があって、その跡が残っているらしいのだが、行き方が判らず、今回はパスしてしまった。
天竜川を渡り切ってすぐに左に折れて、しばらく天竜川沿いを南下する。
浜松宿へ

直ぐに、東海道案内板と船橋跡が。すぐ先に右に下る道があるので、そこを曲がる。

下っていくと右手に六所神社。

先程見かけた船橋跡の説明が。なるほど、天皇東幸の際に仮橋として敷設されたのか。。。江戸防衛のために橋は架けなかったっていうけれど、尾張名古屋の尾張藩が抜かれた段階で、もう手遅れな気がする。むしろ東からの援軍派遣のために橋掛けておいた方が良い気もするな。。。
六所神社は、御祭神を眺めるに、綿津見神社、住吉神社、鹿島神社(春日か?)、素戔嗚さんを祀る神社が一緒になっているのかな?
あ、ご社殿撮るの忘れた。

六所神社横の坂道を下って左折。

なるほどね、明治になって初めて橋がかかったか、天竜川。

ちなみにこの道路は県道314号、ではなく、国道152号のようだ。

しばらく進むと、天竜川駅入り口交差点に、ふたたび六所神社。

御祭神は、天竜川沿いの神社とは全く違う。珍しく、天之御中主神と月読命が御祭神に含まれている。
お宮の松もあるらしい。どのお宮さんだろう?天一お宮は江戸増上寺のお話(多分)らしいし。

県道45号の地下道を潜って国道152号を直進。


そして、浜松宿に到達!
浜松宿の内

浜松宿の案内板発見。

本陣跡の案内板。次の舞阪宿まで、あと約11㎞。時間的には行けないこともない。

実際には、この先まで行ったんだけど、残り時間を考えて、レポートはここまで。
ここまでの行程は以下の通り。
距離 18.4㎞
標高
最大 26m
最小 6m
累積標高
登り 56m
下り 55m
計画よりも2時間ほど余計に時間がかかった。
自転車だからと言って、ぐんぐん距離が稼げるわけではないらしい。
まぁ、史跡見学込みだから仕方ないかね。
