見出し画像

ソースは?どこで聞いた?

こんばんは、物語を書く人✍️
かえやも あかのです🍎

その情報、どうやって知ったの?

そんなふうに思ったことはありませんか?

あかのは、あまり思いません(笑)

実際に、出会ったことはありませんか?

何かを話していても、
常に、

「その情報はどこからなのか?」

と聞く人。

確かに、情報源は大切です。

現代においては、
発信元や入手経路から情報の信頼性を見ることは、
特に必要なのかもしれません。

ですが、
いかなる話であっても、
「話」でしかありません。

情報源を気にして、
まず疑う。

質問する。

そこまでは、
何でも鵜呑みにしないためとして良いと思います。

ですが、その「情報源」が
自分の信頼できるものだと知った途端に、
盲目的に信頼する。

そんな人が多い印象があります。

いつかは、疑うことが癖になる。

それは良いのですが、
問題はその後です。

聞く。
知る。
疑問を持つ。
盲目的に信頼する。

これでは、
結局、疑う意味があるのでしょうか。

聞く。
盲目的に信頼する。

何でも鵜呑みにする人と、
「結果」に限っては同じような気がします。

逆に、何も信じない。

それもあるでしょう。

しかし、何も信じないまま、
社会的な繋がりは保てますか?

その場に合わせて話を流し続けるだけの
精神力が必須になります。

あかのは、思います。

その情報や話が本当なのか。

誰から聞いたのか。

どうやって得た情報なのか。

それよりも、
自分がどう考察するかではないでしょうか。

たとえば、
YouTubeで得た情報。

ある人からしたら、
あくまでエンタメ。

ですが、別の人からしたら、
推しの情報。

それをただ信じるのではなく、
内容を自分で噛み砕く。

信じるのか、
信じないのか。

どうやって理解するのか。

嫌いな人からの話。

ある人からすれば、
好きな人の話。

すべての情報において必要なのは、

「そういう情報もある」

程度に、
頭の片隅に置いておくことではないでしょうか。

何も信じないことも。

何もかも信じることも。

すべてを疑うことも。

結局、何が真実なのかは分かりません。

近年、情報社会は加速する一方です。

情報の母数も増えています。

本も、読むことで情報を得られます。

ですが、本が増えすぎて、
読み手の人間がどの本を読めば良いのか
分からなくなった。

そんな話もあります。

SNSも。
AIも。
更なる進歩の先にある情報も。

まだ記憶や経験を共有できる時代ではないので、
疑う。
知る。

その程度で済ませるのが良いかと思いました。

最後に、
情報を得て最終判断をするのは、
「自分」です。

信じるということは、
嘘であっても良いと了承したということです。

それを忘れてはいけません。

誰かが言ったから、信じた。

それは言い訳に過ぎません。

信じたのは、
「あなた」です。

では、今日はこの辺りで。

という私の話も、
全部嘘の可能性もありますからね(笑)

読み物として楽しむ程度が、
良いかと思います。

私の意見としては、
日常で思ったことなので嘘ではありません。

ですが、どう信じるのか。

どう思うのか。

それは、
「あなた」次第です。

おやすみなさい🍎


シリーズ第1作目「ケロケロ日記」🐸💛

あかの物語(短編)🍎

いいなと思ったら応援しよう!