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Armとは何者か――NVIDIA時代の裏側で、AIインフラの「神経系」になった英国企業の全史

NVIDIAがAI時代の「筋肉」なら、Armはそれを動かす「神経系」である。
そして2026年、Armはついに“設計図の会社”から“自社シリコンも出す会社”へ踏み出した。
この記事では、Acornから始まったArmの歴史、ソフトバンク買収、NVIDIA売却未遂、IPO、Arm AGI CPU、自社チップ時代、RISC-Vとの競争、そして日本への示唆までを一気に整理する。

この記事でわかること

  • Armはなぜ「スマホの会社」から「AIインフラの神経系」になったのか

  • ソフトバンクはなぜ2016年にArmを買収したのか

  • NVIDIA、AWS、Google、Microsoft、MetaがなぜArmを使うのか

  • Arm AGI CPUは何が新しく、何がリスクなのか

  • RISC-VはArmを本当に脅かすのか

  • Arm、Ampere、Graphcore、Stargate、ABB RoboticsをつなぐソフトバンクのAI戦略とは何か

※本稿は2026年6月時点の公開情報をもとにした産業分析です。株式投資を推奨するものではありません。

目次

  1. はじめに――AI半導体の主役はGPUだけではない

  2. まず結論――Armは「チップ企業」ではなく「計算の共通言語」である

  3. Arm前史――ケンブリッジの小さな会社Acornから始まった

  4. RISCという思想――足し算ではなく、引き算で速くする

  5. 1990年、Arm誕生――Apple Newtonの失敗が世界企業を生んだ

  6. 作らない会社が世界を取った――IPライセンスという逆説のビジネスモデル

  7. Nokia、携帯電話、そしてスマホ99%時代へ

  8. Apple Silicon、AWS Graviton、富岳――Armは「小型端末」から「巨大計算」へ広がった

  9. ソフトバンクはなぜArmを買ったのか

  10. ソフトバンク傘下で起きたこと――成功、失敗、NVIDIA売却未遂、そしてIPO

  11. Armの収益構造――ライセンス、ロイヤリティ、Armv9、CSS

  12. 自社チップ開発の時代――AWS、Google、Microsoft、NVIDIA、MetaがArmを選ぶ理由

  13. Arm AGI CPUの衝撃――Armがついに「自社シリコン」を売り始めた

  14. NVIDIAとArmの関係――筋肉と神経は対立ではなく共依存である

  15. これからのArm――クラウドAI、エッジAI、フィジカルAI、ロボット、自動車

  16. RISC-Vとは何か――Armの最大の長期ライバルの全史と、x86・RISC-Vの三つ巴

  17. ただしリスクも大きい――RISC-V、中国、顧客との競合、株価期待

  18. 日本への示唆――SoftBank、富岳、AIデータセンター、ロボット時代

  19. 結論――ArmはAI時代の「空気」になるのか、それとも単一障害点になるのか

  20. 最終確認で追加した重要ポイント――2026年5〜6月の更新

  21. SoftBankのAI Computing Segmentとして見るArm

  22. ハッシュタグ


1. はじめに――AI半導体の主役はGPUだけではない

AI半導体と言えば、多くの人がまずNVIDIAを思い浮かべる。

それは当然です。生成AIブーム以降、NVIDIAのGPUは、ChatGPT、Claude、Gemini、Midjourney、Sora、各社の巨大言語モデル、画像生成モデル、動画生成モデル、ロボット基盤モデルを支える中心装置になりました。AIを学習させるにも、推論を回すにも、膨大な行列計算を高速に処理するGPUは欠かせません。

しかし、ここで1つ大事な問いがあります。

GPUだけでAIシステムは動くのでしょうか。

答えは、いいえです。

GPUはAI時代の「筋肉」です。膨大な計算を並列にこなす力は圧倒的です。しかし、筋肉だけでは身体は動きません。どのデータを、いつ、どこから取り出し、どのGPUに流し、結果をどこへ戻し、ネットワーク、メモリ、ストレージ、セキュリティ、OS、仮想化、アプリケーションとどう連携させるのか。そこには、必ず「神経系」が必要になります。

この神経系の中核にあるのがCPUです。

そして、AI時代のCPUアーキテクチャとして、急速に存在感を増しているのがArmです。

Armは、自分で半導体を作る会社ではありませんでした。少なくとも、2026年にArm AGI CPUを発表するまでは、基本的には「チップを売る会社」ではなく、「チップの設計思想と設計図を売る会社」でした。にもかかわらず、世界中のスマートフォン、家電、自動車、クラウド、スーパーコンピュータ、そしてAIデータセンターの奥深くに入り込んでいます。

つまりArmとは、派手なAIアプリでも、GPUのような表舞台の王者でもありません。むしろ、見えにくい。しかし、見えにくいからこそ強い。空気のように意識されず、しかし空気がなければシステム全体が動かない。そんな存在です。

この記事では、Armの歴史、ソフトバンクによる買収、買収後に何が起きたのか、自社チップ開発の潮流、そしてAI時代にArmがどこへ向かうのかを、できるだけ分かりやすく、かつ構造的に整理します。


2. まず結論――Armは「チップ企業」ではなく「計算の共通言語」である

最初に結論を書きます。

Armの本質は、単なるCPU企業ではありません。

Armの本質は、世界中の企業がそれぞれ独自チップを作るための「共通言語」になったことです。

AppleはArmを使って、iPhone、iPad、Mac向けのApple Siliconを作りました。AmazonはArmを使って、AWS Gravitonを作りました。GoogleはArmを使って、Google Cloud Axionを作りました。MicrosoftはArmを使って、Azure Cobaltを作りました。NVIDIAはArmを使って、Grace CPUやGrace Hopper、Grace BlackwellのようなAIサーバー基盤を作りました。MetaはArmと共同で、AIデータセンター向けのArm AGI CPUを作りました。

ここで重要なのは、各社が同じArmを使っているのに、同じチップを作っているわけではない、ということです。

Armは、完成品の家を売る会社ではありません。建物を支える鉄骨、設計ルール、構造規格、施工しやすい部材を提供する会社です。各社は、その鉄骨を使って、自社の目的に合った建物を建てます。

Appleは、消費電力とユーザー体験を極限まで最適化した家を建てた。AWSは、クラウドの価格性能比を極限まで高める巨大倉庫を建てた。Microsoftは、Azureのクラウドネイティブ基盤に深く統合されたスマートビルを建てた。NVIDIAは、GPUという巨大な筋肉を最大限動かす神経系を作った。Metaは、自社のAIサービスとMTIAのようなカスタムAIアクセラレータを統合するための新しいデータセンターCPUを必要とした。

この構造が、Armの強さです。

Armは「特定企業の一製品」ではなく、「巨大企業たちが自社専用の計算基盤を作るための共通土台」になりました。

AI時代は、汎用品を買って終わりの時代ではありません。巨大企業は、自社のAI、クラウド、広告、検索、SNS、ロボット、自動車、OSに合わせて、半導体まで作り込むようになっています。そのとき、ゼロから命令セット、CPUコア、ソフトウェアエコシステム、開発環境を作るのはあまりに重い。だからArmが選ばれる。

Armは、世界中のカスタムチップ開発を加速する「設計の共通言語」なのです。


3. Arm前史――ケンブリッジの小さな会社Acornから始まった

Armの物語は、米国シリコンバレーではなく、英国ケンブリッジから始まります。

1978年、Acorn Computersという小さなコンピュータ会社が設立されました。創業者はクリス・カリーとハーマン・ハウザー。Acornとは「どんぐり」の意味です。小さな種から巨大な樹が育つ。後から振り返れば、まさにArmの歴史を象徴する名前でした。

Acornが飛躍するきっかけになったのが、英国BBCの教育用コンピュータ計画です。1980年代初頭、英国ではコンピュータ教育を広めるため、BBC Microという教育用パソコンが作られました。Acornはその開発に関わり、BBC Microは英国の学校や家庭に広がりました。

この成功によってAcornは次世代機を作ろうとします。しかし問題がありました。当時市販されていたCPUでは、Acornが望む性能、価格、消費電力のバランスを満たせなかったのです。

普通なら、より良いCPUが出るまで待つでしょう。あるいはIntelやMotorolaのような巨大企業のCPUを使い続けるでしょう。

しかしAcornの技術者たちは、違う選択をしました。

「ないなら、自分たちで作ればいい」

こうして、のちにArmへとつながるCPU開発が始まります。

中心人物は、ソフィー・ウィルソンとスティーブ・ファーバーです。ウィルソンは命令セット、つまりCPUが理解する言語体系を設計しました。ファーバーは、その設計を実際の回路として実現する役割を担いました。

この2人が作った最初のプロセッサがARM1です。1985年のことでした。

当時の巨大半導体企業と比べれば、Acornは圧倒的に小さな会社でした。資金も、人材も、設備も限られていました。しかし、その制約が逆にArmのDNAを作ります。

余計なものを入れられない。複雑にできない。安く、速く、少ない電力で動かさなければならない。

この「制約の中での引き算」が、後のArmの強さになりました。


4. RISCという思想――足し算ではなく、引き算で速くする

Armを理解するには、RISCという考え方を理解する必要があります。

CPUの世界には、大きく分けてCISCとRISCという設計思想があります。

CISCは、Complex Instruction Set Computer、つまり複雑命令セットコンピュータです。代表例はIntelやAMDのx86系です。1つの命令で複雑な処理ができるように、多くの命令を持ちます。たとえるなら、ナイフ、ハサミ、缶切り、ドライバー、栓抜きが全部入った万能ツールです。便利ですが、構造は複雑になります。

一方、RISCはReduced Instruction Set Computer、つまり縮小命令セットコンピュータです。命令を単純化し、数を絞り、1つ1つを高速に処理する思想です。たとえるなら、よく切れるカッターを必要な本数だけ用意するようなものです。1本で何でもできるわけではありませんが、単純で速く、電力効率に優れます。

ArmはこのRISC思想を採用しました。

これが重要です。

当時のコンピュータ業界では、命令を増やし、複雑な機能をCPU側に持たせることが進化だと考えられていました。しかしArmは逆でした。命令を減らす。シンプルにする。余計な回路を削る。その代わり、コンパイラやソフトウェア側と協力して、シンプルな命令を高速に実行する。

この思想は、最初から「スマートフォン向け」として生まれたわけではありません。そもそも当時、スマートフォンは存在していません。しかし結果的に、Armのシンプルで省電力な設計思想は、後のモバイル時代に完璧に合いました。

歴史の面白いところは、最初から未来を完全に見通していたわけではないことです。

Armの低消費電力性は、もちろん設計上の制約から来ています。しかし、最初から「世界中のスマートフォンを支配するため」に作られたわけではありません。資金が少なく、回路を大きくできず、安価なパッケージに収める必要があった。だから小さく、熱くならず、電気を食わないCPUになった。

この偶然と必然の交差点から、Armの未来が始まりました。


5. 1990年、Arm誕生――Apple Newtonの失敗が世界企業を生んだ

1990年、Armは正式に会社として設立されます。

当時の社名はAdvanced RISC Machines Ltd.。Acorn Computers、Apple Computer、VLSI Technologyの合弁会社でした。

ここでAppleが出てくるのが重要です。

Appleは、Newtonという携帯情報端末を開発していました。今で言えば、スマートフォンやタブレットの先祖のような製品です。手書き入力を認識し、持ち歩けるコンピュータを目指した、非常に野心的な製品でした。

Newtonには、低消費電力で高性能なCPUが必要でした。そこで選ばれたのがArmです。

ただし、Appleにとって問題がありました。AcornはAppleにとって競合にもなり得る会社であり、経営的にも安定しているとは言えません。Appleの未来を、Acornの一部門に依存させるわけにはいかない。

そこで、AcornのArm部門を独立させ、AppleとVLSIも出資する形で新会社が作られました。

これがArmです。

皮肉なことに、Apple Newton自体は大成功とは言えませんでした。手書き認識は当時の技術では未成熟で、価格も高く、一般消費者に広く普及することはありませんでした。

しかし、Newtonのために作られたArmという会社は生き残りました。

ここにArmの歴史の面白さがあります。

失敗した製品が、成功するプラットフォームを生んだのです。

Newtonは市場で勝てなかった。しかしNewtonのために必要とされた低消費電力CPU、そしてそのCPUを世界中に広げるためのIPライセンスモデルは、後のスマートフォン時代、クラウド時代、AI時代にまでつながっていきました。


6. 作らない会社が世界を取った――IPライセンスという逆説のビジネスモデル

Armの最大の発明は、CPUそのものだけではありません。

本当の発明は、「自分ではチップを作らない」というビジネスモデルでした。

半導体産業では、長らく「設計も製造も自社で行う」垂直統合モデルが強いと考えられていました。Intelはその代表です。自社でCPUを設計し、自社工場で製造し、自社ブランドで販売する。このモデルは、1990年代から2000年代のPC時代に圧倒的な強さを発揮しました。

一方、Armは工場を持ちませんでした。チップも売りませんでした。

Armが売ったのは、設計図です。

具体的には、Armアーキテクチャ、CPUコア、GPU、NPU、インターコネクト、システムIP、開発ツールなどを、半導体メーカーやIT企業にライセンスします。顧客はそれを使って、自社のSoCやプロセッサを設計し、TSMC、Samsung、GlobalFoundriesなどのファウンドリで製造します。

Armの収益は大きく2つです。

1つはライセンス収入です。顧客がArmの技術を使う権利を得るために支払う一時金、または契約ベースの収入です。

もう1つはロイヤリティ収入です。Armの技術を使ったチップが出荷されるたびに、一定の収入が入る仕組みです。

このモデルは非常に強力です。

Armは工場を持たないため、巨額の設備投資や在庫リスクを抱えません。半導体市況が変動しても、製造ラインを自社で維持する必要がありません。一方で、世界中のパートナーがチップを売れば売るほど、Armにはロイヤリティが積み上がります。

しかもArmは、競合企業同士に同じアーキテクチャを提供できます。

Appleにも、Samsungにも、Qualcommにも、MediaTekにも、NVIDIAにも、Amazonにも、Microsoftにも、Googleにも提供できる。Arm自身が完成チップで直接競合しない限り、顧客は安心してArmを使えます。

この「中立的な共通基盤」という立場が、Armの巨大な堀になりました。

ただし、2026年のArm AGI CPUによって、この中立性は新たな緊張を抱え始めます。これは後で詳しく見ます。

ここで、Armの立ち位置を正確にしておきましょう。Armはしばしば「半導体メーカー」と呼ばれますが、厳密には少しズレます。IntelやSamsungのように自社工場でチップを作る会社とも、NVIDIAやAMDのように完成チップを設計して製造をTSMCに委託するファブレス企業とも違います。Armは、そのさらに上流――半導体企業がチップを設計するためのCPUアーキテクチャ、CPUコア、システムIP、開発環境を提供する会社です。つまり「半導体を作る会社」ではなく、「半導体を作る企業のための設計基盤を提供する会社」です。

この立ち位置が、非常に強い。1つの完成チップが売れるよりも、世界中の企業がArmを使って何十億、何百億個ものチップを出荷するほうが、はるかに広い影響力を持てるからです。AppleはApple Siliconを、QualcommはSnapdragonを、NVIDIAはGrace/Veraを、AmazonはGravitonを、MicrosoftはCobaltを、GoogleはAxionを作る。しかし、その奥にはArmがいる。ソフトウェアで言えば、OSやプログラミング言語に近い。利用者は直接意識しなくても、その上で世界が動いている。Armとは、まさに半導体版の共通言語なのです。


7. Nokia、携帯電話、そしてスマホ99%時代へ

Armが本格的に世界を取った最初の舞台は、PCではありません。

携帯電話です。

1990年代後半、携帯電話市場は爆発的に伸びていました。携帯電話に求められるCPUは、PC向けCPUとは違います。バッテリーで長く動くこと。小型であること。安いこと。発熱が少ないこと。通信処理、画面表示、簡単なアプリ、ゲームをこなせること。

これらの条件にArmは極めてよく合いました。

特に重要だったのが、Nokia 6110などのGSM携帯電話です。Arm7TDMIをベースにした設計が使われ、携帯電話向けCPUとしてArmの地位を固めました。ここで効いたのがThumb命令です。Thumbは、32ビット命令を16ビットに圧縮する仕組みで、メモリ容量が高価だった当時の携帯電話にとって非常に大きな意味がありました。

電力を食わない。メモリも節約できる。十分に速い。

このバランスが、携帯電話メーカーに刺さりました。

そして2007年、iPhoneが登場します。

iPhoneは、単なる携帯電話ではありませんでした。インターネット端末であり、タッチ画面のコンピュータであり、アプリプラットフォームでした。その心臓部にもArm系のプロセッサが使われました。

その後、Androidスマートフォンが世界中に広がります。Qualcomm、Samsung、MediaTek、HiSiliconなど、さまざまな企業がArmベースのSoCを作り、スマートフォン市場はほぼArm一色になります。

ここでArmは、PC時代のIntelとは違う形で世界標準になりました。

Intelは「Intel Inside」というブランドで、消費者の目に見える形でPC市場を支配しました。Armは逆です。多くの人は、自分のスマートフォンの中にArmが入っていることを意識していません。しかし実際には、iPhoneもAndroidも、ほぼすべてArmの世界です。

この「意識されない支配」がArmの特徴です。


8. Apple Silicon、AWS Graviton、富岳――Armは「小型端末」から「巨大計算」へ広がった

長い間、Armにはあるイメージがつきまとっていました。

「省電力だが、高性能サーバーやPCには向かない」

このイメージを壊したのが、3つの大きな出来事です。

1つ目はApple Siliconです。

2020年、AppleはMacのCPUをIntelから自社開発のM1へ移行しました。これは半導体史における大きな転換点でした。M1はArmアーキテクチャをベースにしながら、ノートPCとして十分どころか、非常に高い性能と圧倒的な電力効率を実現しました。

この時、多くの人が気づきました。

Armはスマホだけではない。PCでも戦える。

2つ目はAWS Gravitonです。

Amazonは、クラウドインフラ向けにArmベースの独自CPU Gravitonを開発しました。クラウドでは、1台あたりの性能だけでなく、電力効率、価格性能比、運用コストが極めて重要です。AWSはGravitonを自社サービスに広げ、クラウドワークロードの価格性能比を高めました。

ここでArmは、巨大クラウドの中核に入りました。

3つ目は日本のスーパーコンピュータ「富岳」です。

富岳は、理化学研究所と富士通が開発したスーパーコンピュータで、ArmアーキテクチャをベースにしたA64FXプロセッサを採用しました。2020年には世界最高性能のスーパーコンピュータとして注目され、ArmがHPC、つまり高性能計算の世界でも通用することを示しました。

この3つの出来事によって、Armのイメージは変わりました。

「低消費電力のスマホ用CPU」から、「電力効率を武器に、PC、クラウド、HPC、AIデータセンターまで広がる計算基盤」へ。

これが現在のArmの土台です。


9. ソフトバンクはなぜArmを買ったのか

2016年、ソフトバンクグループはArmを買収しました。

買収額は約240億ポンド、当時の円換算で約3.3兆円規模。日本企業による海外大型買収としても非常に大きな案件でした。

当時、この買収には多くの疑問がありました。

なぜ通信会社・投資会社であるソフトバンクが、英国の半導体IP企業を買うのか。なぜそこまで高い金額を払うのか。スマートフォン市場はすでに成熟しつつあるのではないか。

孫正義氏の答えは、IoTでした。

当時のソフトバンクは、あらゆるモノがインターネットにつながる時代を見据えていました。スマホだけでなく、車、家電、工場、医療機器、センサー、ロボット、都市インフラ、すべてがコンピュータを内蔵するようになる。そのとき、最も広く使われるCPUアーキテクチャは何か。

それがArmだ、という読みでした。

この読みは、半分当たり、半分外れたと言えます。

IoTそのものは、期待されたほど短期間で巨大収益化したわけではありません。ArmのIoTサービス事業も、後に整理されます。つまり、2016年時点の「IoT爆発」というストーリーだけで見れば、簡単な成功物語ではありません。

しかし、孫氏が見ていた「すべてのモノに知能が入る」という大きな方向性は、AI時代になって別の形で現実化しました。

今、知能が入るのはセンサーだけではありません。スマホ、PC、自動車、ロボット、ドローン、監視カメラ、工場設備、クラウド、データセンター、AIエージェント、ヒューマノイドロボットまで、すべてが計算資源を必要としています。

結果として、Arm買収は「IoT投資」から「AIインフラ投資」へ意味を変えました。


10. ソフトバンク傘下で起きたこと――成功、失敗、NVIDIA売却未遂、そしてIPO

ソフトバンクがArmを買収してから、Armには大きく4つの出来事が起きました。

1つ目:非上場化と長期投資

ソフトバンクはArmを買収後、ロンドン証券取引所から上場廃止にしました。これは、短期的な四半期決算の圧力から離し、長期的な研究開発と人材投資を進めるためでした。

買収発表時、ソフトバンクはArmの研究開発力を維持・強化し、英国の雇用も増やす方針を示しました。実際、ソフトバンク傘下でArmは研究開発と新市場開拓を拡大していきます。

2つ目:IoTサービスへの拡張と整理

ソフトバンク傘下のArmは、半導体IPだけでなく、IoTデバイス管理、データ管理、接続管理といったサービス領域にも広がろうとしました。Treasure Dataの買収やPelionなどがその象徴です。

これは「Armを単なるIP企業から、IoT時代のプラットフォーム企業へ進化させる」試みでした。

しかし、この方向は簡単ではありませんでした。半導体IPで圧倒的に強い会社が、クラウドデータ管理やIoTサービスでも同じように勝てるとは限りません。結果的に、Armは後にコアの半導体IP事業へ再集中していきます。

この点は重要です。

ソフトバンクによるArm買収は、すべてが一直線に成功したわけではありません。IoTサービス化には苦戦がありました。しかし、その過程でArmは、どこで勝てるのか、どこで勝てないのかを見極めていったとも言えます。

3つ目:NVIDIAへの売却未遂

2020年、ソフトバンクはArmをNVIDIAへ売却する計画を発表しました。取引価値は最大400億ドル規模とされました。

もし実現していれば、AI GPUの王者NVIDIAが、CPUアーキテクチャの王者Armを傘下に収めることになっていました。これは半導体業界全体に巨大な影響を与える案件でした。

しかし、規制当局や競合企業の懸念は強く、最終的に2022年に取引は中止されました。理由は、規制上の重大な課題です。

この中止は、Armの中立性がいかに重要かを示しました。

Armは、Apple、Qualcomm、Samsung、NVIDIA、Amazon、Google、Microsoftなど、互いに競合する企業に技術を提供しています。もしNVIDIAがArmを所有すれば、他の企業はArmを安心して使い続けられるのか。そうした懸念が生まれるのは当然でした。

結果として、ArmはNVIDIA傘下には入りませんでした。

4つ目:NASDAQ上場

NVIDIA売却が失敗した後、ソフトバンクはArmの再上場へ向かいました。2023年、ArmはNASDAQに上場します。

ここでArmは、再び公開企業になりました。ただし、ソフトバンクは引き続き大株主としてArmを支配的に保有しました。

このIPOは、単なる出口ではありませんでした。

むしろ、ArmをAI時代の成長企業として再評価させる舞台でした。スマホ市場だけでなく、データセンター、自動車、クラウド、AI、エッジ、ロボットへ広がる企業として、Armは再び市場に登場したのです。


11. Armの収益構造――ライセンス、ロイヤリティ、Armv9、CSS

Armの収益構造を理解すると、なぜ市場がArmを高く評価するのかが見えてきます。

Armの収益は、大きくライセンス収入とロイヤリティ収入に分かれます。

ライセンス収入は、将来の種まきです。顧客がArmのIPを採用する契約を結ぶと、Armにライセンス収入が入ります。しかし本当に大きいのは、その後です。顧客がその設計を使ってチップを作り、市場に出荷すると、ロイヤリティ収入が発生します。

つまり、今日のライセンス契約は、数年後のロイヤリティ収入の土台になります。

そして近年、Armの収益性を押し上げている重要な要素がArmv9です。

Armv9は、Armの新しい世代のアーキテクチャで、AI、安全性、セキュリティ、性能向上を意識して設計されています。スマートフォンのハイエンドSoC、データセンターCPU、自動車、エッジAIなどで採用が進むほど、Armのロイヤリティ単価が上がる可能性があります。

もう1つ重要なのがCSS、Compute Subsystemsです。

従来のArmは、CPUコアやIPブロックを提供し、顧客がそれらを組み合わせてチップを設計する形が中心でした。しかしCSSでは、より完成度の高いサブシステムとして提供します。これは顧客にとって、開発期間短縮、設計リスク低減、性能最適化のメリットがあります。

Armにとっては、単なる部品提供から、より付加価値の高い設計済みブロック提供へ移ることを意味します。これは、ロイヤリティ単価やライセンス価値の向上につながります。

この構造は、足元の業績にも表れています。Armが2026年5月6日に公表した2026年3月期第4四半期・通期決算では、四半期売上は過去最高の14.9億ドル、通期売上は49.2億ドルでした。通期ロイヤリティ収入は26.1億ドル、ライセンス収入は23.1億ドルです。Armは、2026年3月期で3年連続の20%超成長を達成したと説明しています。

特に重要なのは、データセンター・クラウドAI向けの伸びです。Armの決算説明では、データセンター向けロイヤリティは前年比で2倍超、Neoverse CPUの累計展開は10億コア超、主要ハイパースケーラーのCPUコンピュートにおけるArmシェアは約50%に達したとされています。つまりArmは、スマホ中心の会社から、クラウドAI・エッジAI・フィジカルAIを横断する計算基盤へと収益構造を変えつつあります。

そして2026年、Armはさらに一歩進みました。

CSSの先に、完成品の自社CPU、Arm AGI CPUを発表したのです。


12. 自社チップ開発の時代――AWS、Google、Microsoft、NVIDIA、MetaがArmを選ぶ理由

今、巨大IT企業は自社チップ開発に向かっています。

これは単なる流行ではありません。

理由は明確です。AI時代の競争では、ソフトウェアだけでは差がつかなくなってきたからです。

モデルはAPIで使える。クラウドも借りられる。GPUもお金を出せば買える。ただし、本当に大規模なAIを運用する企業にとって、電力効率、データセンター密度、ネットワーク、メモリ帯域、推論コスト、クラウドサービスとの統合は、競争力そのものです。

そのため、各社は自社のワークロードに合わせて半導体を作るようになりました。

2026年時点で、この流れはさらに鮮明です。Armの決算説明では、AWSの第5世代Gravitonは192コアで、Graviton4からコア数を2倍にし、性能とレイテンシを改善したとされています。NVIDIAの次世代Vera CPUは88個のArmベースコアを搭載し、MicrosoftのCobalt 200はNeoverse CSS V3ベースで132コア、GoogleのAxion系N4Aインスタンスはx86比で価格性能比と性能/Wを大きく改善すると説明されています。さらにGoogleは、3万件超のアプリケーションをArm命令セットへ移行したとしています。

ここで見えてくるのは、「Armを使うかどうか」ではなく、「Armをどう自社専用に最適化するか」が、ハイパースケーラーの競争軸になりつつあるということです。

AWS Graviton

AWSは、ArmベースのGravitonを開発しました。目的は明確です。クラウドの価格性能比を改善することです。AWSは世界最大級のクラウド事業者であり、サーバー台数も膨大です。1台あたりの電力消費やコストが少し下がるだけでも、全体では巨大な差になります。2025年には第5世代のGraviton5(192コア、Graviton4比でコア数2倍)が登場しました。同じ時期にNVIDIAは次世代のVera CPU(88 Armコア、前世代Grace比で増加)を、MicrosoftはNeoverse CSS V3ベースのCobalt 200(132コア)を投入しています。GoogleはAxion向けに、Gmail・YouTubeを含む3万件超のクラウドアプリをArmへ移行済みと説明しています。つまり主要ハイパースケーラーが、こぞってArmベースの高コア数CPUへ向かっているのが2026年の構図です。

Gravitonは、汎用クラウドワークロード、マイクロサービス、データベース、コンテナ、AI周辺処理などに使われています。AWSにとって、Armは「自社クラウドの原価構造を変える武器」です。

Google Axion

Google CloudもArmベースのAxion CPUを発表しました。GoogleはTPUというAIアクセラレータを自社開発してきた企業ですが、AIシステムにはCPUも不可欠です。検索、広告、YouTube、クラウド、AI、社内インフラといった膨大なワークロードを支えるには、汎用CPUの効率も非常に重要です。

Axionは、Google Cloudが汎用コンピューティングでも自社最適化を進める動きです。

Microsoft Cobalt

MicrosoftはAzure向けにCobalt CPUを開発しました。Azureは、Windows、Office、Teams、GitHub、OpenAIサービス、企業向けクラウドを支える巨大基盤です。Microsoftにとっては、クラウドネイティブなワークロードやAI推論を効率よく動かすことが重要です。

ArmのNeoverseやCSSを活用することで、MicrosoftはAzure専用のCPUを作ることができます。

NVIDIA Grace

NVIDIAはGPUの王者ですが、AIサーバーではCPUも必要です。GPUに仕事を渡し、メモリを管理し、ネットワークと連携し、システム全体を動かすCPUがなければ、GPUは最大性能を出せません。

NVIDIAのGrace CPUはArm Neoverseをベースにしています。Grace HopperやGrace Blackwellのようなシステムでは、ArmベースCPUがGPUの相棒として機能します。

これは非常に象徴的です。

NVIDIAほどの企業でも、CPUアーキテクチャをゼロから独自に作るより、Armを使って自社のAIシステム全体を最適化する道を選んだのです。

MetaとArm AGI CPU

Metaは、自社のSNS、広告、AI、Metaバース、AIエージェント、MTIAなどを支えるため、AIデータセンターを巨大化させています。そこでは、GPUやAIアクセラレータだけでなく、それらを統率するCPUが必要になります。

MetaはArmと共同でArm AGI CPUを開発し、複数世代にわたって協力する方針を示しました。

ここでArmは、ライセンス元から、データセンター向け完成CPUの供給者へと踏み出しました。


13. Arm AGI CPUの衝撃――Armがついに「自社シリコン」を売り始めた

2026年3月、ArmはArm AGI CPUを発表しました。

これはArmの歴史において極めて大きな転換点です。

なぜなら、Armは長年「自分ではチップを作らない会社」として成功してきたからです。ところがAGI CPUでは、Armが自社設計のデータセンターCPUを、完成シリコンとして提供します。

Arm AGI CPUは、エージェンティックAI時代のデータセンターを意識したCPUです。エージェンティックAIとは、単に質問に答えるチャットボットではなく、目標を理解し、計画し、ツールを使い、複数ステップの作業を継続的に実行するAIです。

このようなAIでは、GPUやAIアクセラレータだけでなく、CPU側の負荷も大きくなります。

AIエージェントが増えると、次のような処理が大量に発生します。

  • API呼び出し

  • データベースアクセス

  • メモリ管理

  • セキュリティ制御

  • 複数モデルのルーティング

  • ツール実行

  • ワークフロー管理

  • GPUやAIアクセラレータのオーケストレーション

  • ログ記録

  • 権限管理

  • 推論結果の検証

  • エージェント同士の連携

これらは、GPUだけで完結する処理ではありません。CPUが重要になります。

Arm AGI CPUは2026年3月24日、サンフランシスコの「Arm Everywhere」基調講演で正式発表されました。Armにとって35年の歴史で初めての量産シリコン製品です。

スペック面では、2つのダイにまたがる最大136のNeoverse V3コア(全コア3.2GHz、ブースト3.7GHz)、300WのTDP、12チャネルDDR5(最大8800 MT/s)で合計800GB/s超のメモリ帯域、サブ100nsレイテンシ、PCIe Gen6を前面に出しています。製造はTSMCの3nmプロセスです。Armは、空冷ラックで最大8,160コア、液冷ラックで45,000コア超を実現でき、同電力のx86構成比でラックあたり約2倍の性能、AIファクトリー1GWあたり最大100億ドルの設備投資削減になると主張しています(いずれもArmの公表値)。

リードパートナーかつ共同開発者はMetaで、自社のMTIAアクセラレータと組み合わせて使う方針です。そのほかのローンチパートナーとして、OpenAI、Cerebras、Cloudflare、F5、SAP、SK Telecom、Positron、Rebellionsなどが名前を連ねています。LenovoやSupermicro、Quanta ComputerなどのODM/OEMもシステム化を進めています。

さらに2026年6月2日には、Oracle Cloud Infrastructure(OCI)もArm AGI CPUエコシステムへの参加を表明しました。Armは、OCIの参加によって、Arm AGI CPUの対象がMetaやOpenAIのようなAIモデル企業だけでなく、クラウド事業者、エンタープライズ、AIインフラ運用者へ広がっていることを示しました。加えて、ReutersはByteDanceもArmのAIデータセンターCPU顧客として報じています。これは、AGI CPUが「Meta専用の特殊チップ」ではなく、より広いクラウドAI基盤を狙う製品であることを意味します。

製品は発表時点で発注可能で、量産出荷は2026年後半、本格的な売上寄与は2028年以降とされています。Arm CEOのRene Haas氏は、AGI CPU単体で2031年に150億ドルの売上、Arm全体で同年に250億ドルの売上を見込むと述べました(報道ベース)。発表翌日(3月25日)、Arm株は17%超上昇したと報じられています。

ここでArmは、自社の収益機会を大きく広げようとしています。

従来のArmは、顧客がチップを作って出荷するとロイヤリティを得るモデルでした。しかし自社CPUを売るなら、売上規模は一気に大きくなる可能性があります。ソフトバンクとArmは、今後数年でIP/CSS事業に加えて、AGI CPU事業が大きな売上源になる可能性を示しています。

ただし、これはリスクもあります。

Armの強みは中立性でした。顧客に設計図を提供し、自分は完成チップでは競合しない。その安心感が、Apple、Qualcomm、NVIDIA、Amazon、Microsoft、Googleなどを惹きつけてきました。

しかしArmが自社CPUを売り始めると、一部の顧客から見れば「Armが競合になった」と映る可能性があります。

Armは、これはIPやCSSを置き換えるものではなく、補完するものだと説明しています。顧客は従来通りIPをライセンスして自社チップを作ることもできるし、CSSを使うこともできるし、Arm AGI CPUを導入することもできる。つまり選択肢を増やすという説明です。

この説明が市場に受け入れられるかどうかが、今後の大きな焦点です。

追加確認――AGI CPUは需要だけでなく「供給力」が焦点になる

2026年5月の決算説明で、ArmはAGI CPUへの顧客需要が当初想定を上回っていると説明しました。会社側は、2027年度・2028年度にまたがる顧客需要が20億ドル超に達し、ローンチ時点で示していた約10億ドル規模から倍増したとしています。

ただし、ここは冷静に見る必要があります。需要があることと、実際に出荷できることは別です。報道によれば、Armは当初の10億ドル分については供給能力を確保している一方、追加の10億ドル分については、メモリ、テスト設備、先端パッケージング、ファウンドリ能力などを含む供給制約が焦点になっています。

つまりArm AGI CPUの評価軸は、単に「良いCPUかどうか」だけではありません。

  • Meta、OpenAI、Cloudflare、SAPなどの初期需要をどこまで本番導入に変えられるか

  • Supermicro、Lenovo、Quanta、ASRockなどのシステム供給をどこまで広げられるか

  • TSMC 3nm、メモリ、先端パッケージングを十分に確保できるか

  • 既存顧客との競合感を抑えながら、IP/CSS/自社シリコンの三層モデルを維持できるか

この4つが、AGI CPUの本当の勝負になります。

なぜAIエージェント時代にCPUが再評価されるのか

生成AIブームの初期、注目はGPUに集中しました。巨大言語モデルの学習にも、トランスフォーマーの行列計算にもGPUが不可欠だからです。しかしAIエージェント時代になると、GPUだけでは説明できない処理が増えていきます。

たとえば、ある企業のAIエージェントが「来月の展示会出展計画を作る」とします。このAIは、メールを読み、カレンダーを確認し、過去の出展資料を探し、予算表を開き、競合を調査し、会場の空きを調べ、航空券やホテルを比較し、担当者に確認し、資料を作り、タスクを分解し、社内チャットに投げるかもしれません。これは巨大な行列計算ではなく、細かなAPI呼び出し、データベース検索、権限確認、ログ保存、複数アプリ連携、タスク管理、非同期処理、例外処理、セキュリティチェックの連続です。

ここでCPUが効いてきます。GPUは巨大な計算をする筋肉ですが、エージェント時代のAIシステムは、膨大な小さな処理を同時にさばく神経系を必要とします。Arm AGI CPUが「エージェンティックAI時代のデータセンターCPU」を前面に出したのは、GPUブームの次に来る「CPU再評価」の文脈でもあるのです。

「AGI CPU」という名前についての注意

ひとつ補足しておきます。「Arm AGI CPU」という名前を聞くと、「このチップを使えばAGIができる」と誤解されるかもしれません。しかし、それは正確ではありません。ここでのAGIは、マーケティング上「人工汎用知能を目指す規模のAIインフラ」「エージェンティックAIを大規模に動かすデータセンター基盤」という意味合いが強いと見るべきです。

AIの知能そのものは、モデル、データ、学習手法、推論システム、メモリ、ツール利用、評価、安全性、運用設計の総合で決まります。CPUだけで決まるものではありません。したがってArm AGI CPUは「AGIを生むチップ」ではなく、「AGI時代に向けたAIデータセンターの神経系」と表現するのが正確です。


14. NVIDIAとArmの関係――筋肉と神経は対立ではなく共依存である

NVIDIAとArmは、単純な競合関係ではありません。

むしろAIインフラでは、共依存に近い関係です。

NVIDIAのGPUは、AI計算の中心です。しかしGPUクラスタは、CPU、ネットワーク、メモリ、ストレージ、DPU、スイッチ、冷却、電源、ソフトウェアが一体で動いて初めて性能を発揮します。

その中でCPUは、GPUを動かすための神経系です。

NVIDIA自身も、Grace CPUにArmを採用しています。Grace Hopper、Grace Blackwell、さらに次世代のAIラックシステムでは、CPUとGPUが密結合し、データ移動、メモリ共有、低レイテンシ接続が重要になります。

つまり、NVIDIAが強くなればなるほど、GPUを効率よく動かすCPUの重要性も増します。

ただし、Arm AGI CPUの登場により、関係は少し複雑になります。

NVIDIAはGraceやVeraのような自社CPUを持っています。一方、Arm AGI CPUは、NVIDIA GPUと組み合わせて使われる可能性もありますが、データセンターCPU市場では一部競合する可能性もあります。

それでも大きな構図で見れば、AIデータセンターの成長は、NVIDIAにもArmにも追い風です。

GPUが筋肉なら、Armは神経。どちらか一方だけではなく、両者が組み合わさってAIインフラは動きます。


15. これからのArm――クラウドAI、エッジAI、フィジカルAI、ロボット、自動車

Armの未来は、4つの方向に広がると見ています。

1つ目:クラウドAI

最も大きな成長領域は、クラウドAIです。

AIデータセンターは今、電力と冷却の限界にぶつかっています。GPUを増やせばAI性能は上がりますが、電力、熱、土地、変電設備、水冷、ネットワーク、CAPEXが制約になります。

このとき、CPUの電力効率は非常に重要です。

Armは、クラウドの汎用CPU、AIアクセラレータの制御CPU、データセンターCPU、AGI CPUとして、存在感を増していく可能性があります。

2つ目:エッジAI

AIはクラウドだけでなく、端末側にも広がります。

スマートフォン、PC、スマートグラス、監視カメラ、産業機械、医療機器、農業センサー、店舗端末、家庭用ロボットなど、あらゆる場所にAIが入る時代です。

端末側AIでは、電力効率が決定的です。

バッテリーで動く端末、発熱が許されない機器、常時稼働するセンサーでは、Armの強みが生きます。

3つ目:フィジカルAI

フィジカルAIとは、AIがロボット、自動運転、ドローン、工場設備など、物理世界で動く領域です。

ここでは、リアルタイム性、低消費電力、安全性、センサー処理、モーター制御、エッジ推論が重要になります。

NVIDIA Jetsonのようなロボット向けモジュールにもArmベースCPUが使われています。自動車向けSoC、ロボット用制御基板、産業用マイコンでもArmは強い。

AIが画面の中から現実世界へ出てくるほど、Armの出番は増えます。

4つ目:自動車

自動車は、今や走るコンピュータです。

ADAS、自動運転、車内インフォテインメント、電池管理、モーター制御、OTAアップデート、セキュリティ、センサー融合。これらすべてに半導体が必要です。

自動車では、長期供給、安全性、リアルタイム制御、機能安全が重視されます。ArmはCortex-A、Cortex-R、Cortex-Mなどを通じて、車載半導体にも深く入り込んでいます。

今後、自動車がAI定義型、ソフトウェア定義型になれば、Armの存在感はさらに高まるでしょう。

5つ目:CSSの横展開――Zena、Lumex、KleidiAI

最終確認で、もう1つ重要な流れを追加しておきます。Armの未来は、単に「データセンターCPUが伸びる」という話だけではありません。Armは、Compute Subsystems(CSS)をデータセンター、自動車、モバイル、PC、エッジへ横展開しています。

自動車向けには、Arm Zena CSSがあります。これはAI定義型自動車・ソフトウェア定義車両向けの、事前検証済みで安全性を考慮したコンピュート・サブシステムです。Armは、Zena CSSによって自動車メーカーが新型車を従来より少なくとも1年早く市場投入でき、シリコン開発のエンジニアリング負荷を約20%削減できると説明しています。これは、車載半導体が「個別IPを組み合わせる時代」から「検証済みの完成度の高い基盤を使う時代」へ進むことを意味します。

モバイル・PC向けには、Arm Lumex CSSがあります。Lumexは、AIファーストのスマートフォンやPC向けに、CPU、GPU、インターコネクト、ソフトウェアを統合した基盤です。Armは、前世代比で最大5倍の機械学習性能、最大3倍の省電力、2倍のレイトレーシング性能を訴求しています。これは、オンデバイスAI、リアルタイム翻訳、AIカメラ、パーソナルAIエージェントが端末内で動く時代に向けた基盤です。

さらに、Arm KleidiAIのようなソフトウェア最適化も重要です。Armはハードウェアだけでなく、PyTorch、ExecuTorch、LiteRT、ONNX Runtime、MNNなどのAIフレームワークに最適化ライブラリを接続し、開発者がArm CPU上でAI推論性能を引き出しやすい環境を整えています。

つまりArmの戦略は、単なるCPUコア提供から、IP、CSS、ソフトウェア、そして一部では自社シリコンまでを含む「AI計算プラットフォーム」へ広がっています。


16. RISC-Vとは何か――Armの最大の長期ライバルの全史と、x86・RISC-Vの三つ巴

Armの話をするうえで、避けて通れない存在があります。RISC-V(リスクファイブ)です。

RISC-Vは、Armにとって最大の長期ライバルになりうる、オープンな命令セットアーキテクチャ(ISA)です。Armを理解するには、その対抗軸であるRISC-Vの成り立ちと現在地を知っておく必要があります。少し回り道に見えるかもしれませんが、ここを押さえると、AI時代の半導体の地形が立体的に見えてきます。

起源――2010年、バークレーの「3か月の夏のプロジェクト」

RISC-Vの物語は、英国ケンブリッジのArmとは対照的に、米国カリフォルニア大学バークレー校から始まります。

2010年、バークレーのParallel Computing Laboratory(Par Lab)で、クルステ・アサノヴィッチ教授と、大学院生のアンドリュー・ウォーターマン、ユンサップ・リーが、新しい命令セットの開発を始めました。背後にいたのが、RISCという概念そのものの生みの親であるデイビッド・パターソンです。

名前の「V(5)」は、バークレーで1981年以来続いてきたRISC研究の第5世代を意味します。パターソンらは1981年にRISC-IとRISC-IIを、1984年にSOAR(RISC-III)、1988年にSPUR(RISC-IV)を発表しており、その系譜の5番目がRISC-Vでした。

きっかけは、研究上の必要でした。Armやx86の命令セットを研究に使おうとすると、ライセンスが必要で、自由に改変したり、他大学の研究者に配ったりできません。「ないなら、自分たちで作る」――皮肉なことに、これはかつてAcornがArmを生んだ動機とよく似ています。当初は「3か月の夏のプロジェクト」のはずでした。それが、世界標準の候補にまで育っていきます。

最初の仕様書は2011年に公開され、同年にはチップの試作(テープアウト)も行われました。Par Labの産業スポンサーが提供した資金から生まれましたが、スポンサーが求めたのはRISC-Vそのものではなく、並列計算の研究でした。RISC-Vは、いわば副産物として誕生したのです。

思想――モジュール式・ロイヤリティフリー・カスタム拡張

RISC-Vの設計思想は、クリーンシート(白紙)からのモジュール式です。

最小限の基本整数命令セットがあり、その上に必要な拡張(浮動小数点、ベクトル演算RVV、暗号、行列演算など)をオプションで足していく構造になっています。そしてISAそのものは無償・ロイヤリティフリーで公開され、誰でもこれを使ってチップを設計できます。

ここが、Armとの決定的な違いです。Armは命令セットの改変を厳格に管理し、ライセンス料とロイヤリティを取ります。RISC-Vは、企業が自社の用途に合わせて独自命令をCPUのパイプラインに直接組み込むことを許します。AIアクセラレータのように「特定の演算を極限まで速くしたい」用途では、この自由度が効いてきます。

ソフトウェアの世界でLinuxがWindowsやUNIXに対して果たした役割を、ハードウェアの世界で担おうとしている――そう例えられることもあります。

組織化と地政学――2015年SiFive、2020年スイス移転

2015年、バークレーのトリオ(アサノヴィッチ、ウォーターマン、リー)はSiFiveを創業しました。RISC-Vを商用IPとして提供する最初の企業です。同じ2015年、標準を管理するRISC-V Foundationが設立されました。

ここで地政学が絡んできます。

2019年から2020年にかけて、RISC-V Foundationは本拠地を米国からスイスへ移し、RISC-V Internationalと改称しました。理由は、米中対立と輸出規制の影響を避けるためです。ISAの標準策定が米国の管轄下にあると、Huaweiのような中国企業の参加が規制対象になりかねません。スイスという中立地に移したことで、米商務省はRISC-V標準の公開や、中国企業の標準策定への参加を止めにくくなりました。

これは「管轄のエンジニアリング」とも呼ばれ、後の中国のRISC-V採用を大きく後押しすることになります。RISC-V Internationalの会員は、2025年時点で4,500を超え、Alibaba、Huawei、Qualcomm、NVIDIA、Google、Intel、SiFiveなどが名を連ねています。

採用の広がり――中国、Qualcomm、NVIDIA、自動車

2026年時点で、RISC-Vはもはや学術プロジェクトではありません。

累計出荷コア数や市場シェアについては調査機関ごとに幅があり、確定的な数字として扱うのは危険です。ただし、RISC-V Internationalの会員数拡大、RVA23プロファイルの策定、QualcommによるVentana買収、NVIDIAによるCUDA対応方針などを見る限り、RISC-Vが学術プロジェクトから産業標準候補へ移行していることは間違いありません。注目すべきは総量よりも「どこで」採用されているかです。

第一に、中国です。米国の輸出規制を避けられるISAとして、中国はRISC-Vに国家規模で傾斜しています。中国では、米国の輸出規制を避けられるISAとしてRISC-Vへの関心が強く、Alibaba傘下のT-Headは、サーバー向けの64ビット・アウトオブオーダーCPU「玄鉄(XuanTie)C930」を出すなど、データセンター級まで踏み込んでいます。Huaweiが関わる「香山(XiangShan)」プロジェクトや、ESWINなどの企業も台頭しています。

第二に、Qualcommです。Qualcommは2025年12月、データセンター向けRISC-V CPUを手がけるVentana Micro Systemsを買収しました。背景には、Armとのライセンスをめぐる長年の摩擦があります。自前で高性能RISC-Vコアを持てば、Armへのライセンス料や係争から距離を置き、「ロードマップの主権」を握れる――という計算です。

第三に、NVIDIAです。NVIDIAは2025年、CUDAをRISC-Vホストプロセッサに対応させる方針を示しました。まだ初期段階ですが、もし実現すれば「CUDAベースのAIシステムにはx86かArmのホストCPUが要る」という前提が崩れます。

そのほか、自動車ではBosch、Infineon、NXP、Qualcommらが合弁Quintaurisを設立してRISC-V標準化を進め、MobileyeのADAS向けSoCにもRISC-Vが採用されています。欧州はEuropean Processor Initiative(EPI)で、米国のNASA/JPLやDARPAでもRISC-Vが使われています。2024年10月には、乱立しがちな拡張を束ねる「RVA23」プロファイルが策定され、OSベンダーが狙いを定めやすい共通の土台ができました。これは、RISC-V最大の弱点だった「同じRISC-Vでも実装ごとにソフト互換がない」という分断を埋める重要な一歩でした。

それでも当面、Armは置き換わらない――x86・Arm・RISC-Vの三つ巴

ここで冷静になる必要があります。

RISC-Vの勢いは本物ですが、「RISC-VがサーバーやスマホでArmを置き換える」という単純な物語ではありません。RISC-Vが実際に強いのは、次の3つの条件がそろう領域です。第一に、ゼロから作るAIアクセラレータ(守るべき既存ソフト資産がない)。第二に、自動車の標準化(業界横断でコストとベンダー依存を下げたい)。第三に、輸出規制を避けたい中国。いずれも「既存のソフトウェア資産に守られていない」場所です。

逆に言えば、Armは依然としてスマートフォンSoCの95%以上を握り、その上でAndroidもiOSもアプリも動いています。データセンターでもNeoverseがシェアを伸ばしている。ここには厚いソフトウェアの堀があり、RISC-Vがすぐに崩せるものではありません。

x86についても同じことが言えます。Armが伸びても、x86がすぐ消えるわけではありません。IntelとAMDが支えるx86には、Windows、企業システム、業務アプリ、ゲーム、サーバーソフト、仮想化環境という何十年分もの互換資産があります。AMD EPYCのように高性能で効率の良いサーバーCPUも健在です。

つまり、今後のコンピューティングは「単一アーキテクチャがすべてを支配する」のではなく、用途ごとに最適なアーキテクチャが選ばれる時代になります。ゲーミングや高互換性が要る業務端末ではx86、スマホ・PC・クラウド・エッジ・車載ではArm、AIアクセラレータや半導体主権を求める領域ではRISC-V。x86・Arm・RISC-Vの三つ巴です。

その中でArmは、最も広い領域にまたがる横断的なアーキテクチャであり続けています。ただしRISC-Vの存在は、Armのライセンス価格決定力に対する長期的な圧力であり、同時に、Armが「特定企業に偏らない中立的な共通言語」であり続けることの重要性を、いっそう高めているのです。


17. ただしリスクも大きい――RISC-V、中国、顧客との競合、株価期待

Armは強い企業ですが、無敵ではありません。

リスクは大きく4つあります。

1つ目:RISC-V

RISC-Vの全体像は前章(第十六章)で詳しく見たとおりですが、リスクの観点から要点だけ改めて整理します。RISC-Vはオープンでロイヤリティフリーな命令セットであり、ライセンス料を抑えたい企業、半導体自立を急ぐ国家、AIアクセラレータの設計者にとって魅力的です。とりわけ低価格マイコン、組み込み、特定用途チップ、AIアクセラレータのホスト、そして中国市場で浸透が進めば、Armの価格決定力を抑える要因になりえます。ただしArmには巨大なソフトウェア資産、開発者、ツール、OS対応、実績があり、サーバーやスマホの主流をすぐに置き換えるわけではありません。

2つ目:中国リスク

Armにとって中国市場は重要です。しかし米中対立、輸出規制、半導体自立政策、Arm Chinaの特殊な構造など、リスクもあります。

中国は、自国の半導体IP、RISC-V、国産CPU、AIチップを強化しています。米国による先端半導体規制が強まれば、Armの中国向けライセンスや売上にも影響が出る可能性があります。

3つ目:顧客との競合

Arm AGI CPUは大きなチャンスですが、同時に顧客との関係を複雑にします。

たとえば、Amazon、Google、Microsoft、NVIDIA、Qualcomm、Ampereなどは、自社または顧客向けにArmベースCPUを作っています。そこへArm自身が完成CPUを売るとなれば、競争関係が生まれる場面もあります。

Armは「補完」と説明していますが、顧客がどう受け止めるかは慎重に見る必要があります。

この文脈で重要なのが、Qualcomm/NuviaをめぐるArmとの訴訟です。2024年12月の陪審評決に続き、2025年9月には米デラウェア州連邦地裁がQualcommとNuvia側に有利な最終判断を示しました。Armは控訴方針を示しており、争いが完全に消えたわけではありません。しかし、この件はArmにとって、「ライセンス契約をどう解釈し、顧客のカスタムコア開発をどこまで許容するのか」という、ビジネスモデルの根幹に関わる問題です。

Armが自社シリコンへ踏み出すほど、顧客は「Armは中立的な設計基盤なのか、それとも競合するチップ企業なのか」をより敏感に見るようになります。ここは今後の最大の緊張点です。

4つ目:株価期待

ArmはAI時代の重要企業として市場から高く評価されています。しかし高い期待は、少しの失望で大きな株価調整につながります。

Armのビジネスは高粗利で魅力的ですが、成長率、ロイヤリティ単価、AGI CPUの採用、R&D投資、顧客関係、規制、競合環境には不確実性があります。

したがって、Armを投資対象として見る場合は、「AI時代の空気だから絶対に上がる」という単純な見方は危険です。

ビジネス構造は強い。しかし、株価は期待を先取りします。


18. 日本への示唆――SoftBank、富岳、AIデータセンター、ロボット時代

Armの物語は、日本にとっても重要です。

第一に、ソフトバンクのArm買収は、日本企業がAI時代の基盤技術に深く関与した非常に珍しい事例です。日本企業は完成品や製造では強い一方、世界標準のデジタルプラットフォームを握ることは多くありませんでした。しかしArmを通じて、ソフトバンクはAI時代の計算基盤に関与しています。

第二に、富岳です。日本のスーパーコンピュータ富岳がArmベースだったことは、非常に象徴的です。Armはスマホ用の省電力CPUだけではなく、HPCでも使えることを日本が示しました。

第三に、今後のAIデータセンターです。日本でもAIインフラ投資が増えていますが、電力、冷却、土地、送電網が制約になります。ここでは、GPUだけでなく、CPUやネットワーク、電力効率を含めた全体最適が必要です。Armのような省電力アーキテクチャは、日本のように電力制約が大きい国にとって重要な選択肢になります。

第四に、ロボットとフィジカルAIです。日本は製造業、工作機械、産業ロボット、介護、物流、建設、農業で深刻な人手不足に直面しています。AIロボットやヒューマノイドロボットを社会実装するには、クラウドAIだけでなく、現場で動くエッジAIが必要です。そこでもArmは重要になります。

日本がAI時代に復活するには、モデルだけでなく、半導体、ロボット、電力、データセンター、現場導入を一体で見る必要があります。

Armは、その接点にある企業です。

補足――Armとソフトバンクの「本当の賭け」

ソフトバンクのArm買収は、最初はIoTの賭けでした。しかし2026年から振り返ると、それはAIインフラの賭けに変わりました。孫正義氏は、AIが人類の知能を超える未来、いわゆるASIを長期テーマに掲げてきました。その文脈で見ると、Armは単なる投資先ではなく、AIがあらゆる場所で動く時代の計算基盤です。

AIがクラウドで、スマホで、車で、ロボットで、工場で、医療機器で、家庭で、都市インフラで動く。その全てにCPUが必要であり、電力効率・ソフト互換性・開発者エコシステム・カスタムチップ化の柔軟性が求められるほど、Armの価値は高まります。

加えてソフトバンクは2025年11月、データセンター向けArm CPUを手がけるAmpere Computingを65億ドルで買収完了しました。AmpereとArmは別会社として運営されていますが、業界では「Armの自社シリコン路線を加速させる『第二の設計チーム』を取り込んだ」との見方も出ています。Arm AGI CPU自体はArm独自のNeoverse V3コアを使っていますが、ソフトバンク傘下にArm(IP・自社CPU)とAmpere(データセンターCPU設計)が並んだ意味は小さくありません。

ソフトバンクの賭けは「どのAIアプリが勝つか」ではなく、もっと上流――AI時代に、あらゆる知能機械が依存する計算アーキテクチャは何か――にあります。その答えとしてArmを握った。これがソフトバンクのArm戦略の本質だと思います。

ただし、これは成功が保証された話ではありません。AGI CPUが本当に大きな売上を生むか、顧客がどこまで採用するか、既存パートナーとの関係がどうなるか、TSMCの製造能力を確保できるか、RISC-Vがどこまで伸びるか。リスクは多い。それでも、ArmがAI時代の最重要企業の1つであることは間違いありません。


19. 結論――ArmはAI時代の「空気」になるのか、それとも単一障害点になるのか

Armの歴史を振り返ると、非常に不思議な会社です。

最初は、英国の小さなパソコン会社Acornの内部プロジェクトでした。資金も人も少なく、巨大企業に比べれば弱い存在でした。しかし、その弱さが余計な機能を削り、省電力でシンプルなRISC CPUを生みました。

Apple Newtonは失敗しました。しかし、そのために独立したArmは、IPライセンスという新しいモデルで生き残りました。

Nokiaの携帯電話で広がり、iPhoneとAndroidでスマホ時代を制し、Apple SiliconでPCへ入り、AWS Gravitonでクラウドへ入り、富岳でHPCへ入り、NVIDIA GraceでAIサーバーへ入り、ついにArm AGI CPUで自社シリコンへ踏み出しました。

Armは、もはや「スマホの中の会社」ではありません。

AI時代のクラウド、エッジ、フィジカルAI、ロボット、自動車、データセンターをつなぐ計算基盤です。

ただし、ここには二面性があります。

1つは、共通言語としての強さです。

Armがあることで、各社はゼロからCPUアーキテクチャを作らずに、自社専用チップを開発できます。これはAI時代のイノベーションを加速します。

もう1つは、集中のリスクです。

もし世界中のスマホ、クラウド、AIデータセンター、ロボットが同じアーキテクチャに深く依存するなら、それは単一障害点にもなり得ます。セキュリティ上の脆弱性、ライセンス紛争、地政学、規制、供給制約が起きた時、その影響は広範囲に及びます。

標準化は、進化を速くします。

しかし、標準化は、依存も深くします。

Armは、AI時代の空気になるのか。それとも、世界中の計算インフラが依存する最大の単一障害点になるのか。

おそらく答えは、その両方です。

だからこそ、Armを見ることは、AI時代の未来を見ることです。

NVIDIAだけを見ていては、AIインフラの全体像は見えません。GPUの隣にはCPUがあり、CPUの奥には命令セットがあり、命令セットの奥にはエコシステムがあります。

そのエコシステムの中心に、Armがあります。

AI時代の主役は、1社ではありません。

GPUのNVIDIA。製造のTSMC。クラウドのAWS、Google、Microsoft。モデルのOpenAI、Anthropic、Google DeepMind、Meta。ソフトバンクが握るArm。そして、それらを動かす電力、冷却、ネットワーク、データセンター。

Armとは、その巨大なAI産業地図の中で、最も見えにくく、しかし最も深く入り込んだ「神経系」なのです。

最後に、読者に持ち帰ってほしい問いを置いておきます。AI時代の覇者とは、モデルを持つ会社でしょうか。GPUを持つ会社でしょうか。クラウドを持つ会社でしょうか。データを持つ会社でしょうか。それとも、すべての会社が使う計算の共通基盤を握る会社でしょうか。

おそらく答えは1つではありません。AI時代は、モデル、半導体、クラウド、電力、ロボット、データ、OS、アプリ、エージェントが複雑に絡む総力戦です。その中でArmは、表舞台の主役ではないかもしれません。しかし、舞台の床、柱、配線、神経系として、AI時代のほぼすべてのプレイヤーと接続していく。だからArmを見ることは、AI時代の構造を見ることなのです。


20. 最終確認で追加した重要ポイント――2026年5〜6月の更新

今回の最終確認で、本文に加えて次のポイントを追加・修正しました。

1|Arm AGI CPUは「噂」ではなく公式発表済みの自社シリコン

Arm AGI CPUは、単なる業界観測ではなく、2026年3月24日にArmが公式発表した同社初の量産シリコン製品です。ポイントは、「ArmがIPライセンス事業を捨てた」のではなく、IP、CSS、そしてArm設計シリコンという三層モデルへ広げたことです。

この整理は重要です。Armの強みは、これまで「作らない会社が世界を取った」ことにありました。しかしAIデータセンターでは、顧客がすぐに使える量産シリコンを求める場面も増えています。その需要に応えるため、Armは自社シリコンへ踏み出しました。

なお、2026年5月6日のArmの2026年3月期通期決算の電話会議では、AGI CPUの受注が3月の発表以降に倍増したと説明されています。発表から日が浅く、本格的な売上寄与はこれからですが、需要側の初動は強いと言えます。

2|2026年3月期通期では、Armは「スマホ企業」から「AIインフラ企業」へ寄っている

Armの2026年3月期通期売上は49.2億ドルでした。ロイヤリティは26.1億ドル、ライセンス収入は23.1億ドルです。スマートフォン市場は今でも重要ですが、データセンター、クラウドAI、エッジAI、フィジカルAIが収益成長の中心に入り始めています。

特に、データセンター・ロイヤリティが前年比2倍超という点は重要です。これは、Armが「スマホの会社」ではなく、「AIデータセンターのCPU基盤」になり始めていることを示します。

直近の第4四半期(2026年1〜3月)単体では、売上高が四半期として過去最高の14.9億ドル(前年同期比20%増)、ライセンス収入8.19億ドル(同29%増)、ロイヤリティ6.71億ドル(同11%増、Q4として過去最高)、非GAAP EPSは0.60ドルでした。通期の非GAAP EPSも過去最高の1.77ドルで、上場後3年連続の20%超増収です。さらにArmは、主要ハイパースケーラーが導入するCPU計算に占める自社シェアが、約50%に達したと説明しています。「スマホ企業からAIインフラ企業へ」という重心移動は、数字の上でも裏づけられつつあります。

3|AGI CPUの最大の不確実性は、需要ではなく供給

AGI CPUには、Meta、OpenAI、Cloudflare、SAP、SK Telecomなどの名前が並びます。需要は強い。しかし、最大の問題は、需要を実際の出荷に変えられるかどうかです。

AI半導体では、チップ設計だけでなく、TSMCの先端プロセス、メモリ、基板、先端パッケージング、検査装置、サーバーODM、ラック設計、電源、冷却までが必要になります。つまり「良いCPUを作った」だけでは勝てません。サプライチェーン全体を押さえられるかが勝負です。

4|ソフトバンクのArm戦略は、AmpereとGraphcoreまで含めて見るべき

ソフトバンクはArmだけでなく、Ampere Computingを65億ドルで買収完了し、Graphcoreも傘下に収めています。Armは計算アーキテクチャとIP、AmpereはデータセンターCPU設計、GraphcoreはAIアクセラレータの知見を持ちます。

この3つを並べると、ソフトバンクが見ているのは「AIアプリ」ではなく、「AI計算インフラ」そのものです。OpenAI、Stargate、AIデータセンター、Arm AGI CPU、Ampere、Graphcoreは、別々の話ではなく、孫正義氏のASI構想の中でつながっていると見たほうが自然です。

5|Qualcomm訴訟は、Armの“中立性”リスクを浮き彫りにした

Qualcomm/Nuvia訴訟では、米裁判所がQualcomm側に有利な判断を示し、Armは控訴方針を示しています。この件は、単なる一企業間の契約紛争ではありません。

Armのライセンスモデルは、「顧客がArmを使って自由にカスタムチップを作れる」という信頼に支えられています。もしArmが自社CPUを売り、同時に顧客のカスタム開発へ強く介入するように見えれば、顧客はRISC-Vや独自設計への関心を強める可能性があります。

Armの最大の資産は技術だけではなく、「中立的な共通基盤」として信頼されてきたことです。AGI CPU時代に、その信頼を維持できるかが大きなテーマになります。

6|RISC-VはすぐにArmを倒す存在ではないが、価格決定力を弱める存在になる

RISC-Vは、スマホやクラウドCPUで今すぐArmを置き換えるわけではありません。Armには、OS、開発環境、アプリ、コンパイラ、検証済みIP、開発者エコシステムという巨大な堀があります。

しかし、RISC-Vは低価格マイコン、中国の半導体自立、AIアクセラレータ、車載、研究開発で伸びています。これはArmにとって、長期的にロイヤリティ率やライセンス条件を強くしすぎられない圧力になります。

つまりRISC-Vは、短期的にはArmの代替ではなく、長期的にはArmの価格決定力を抑える「牽制球」として重要です。

7|Arm AGI CPUの性能主張は、独立ベンチマーク待ち

ArmはAGI CPUについて、x86比でラックあたり2倍超の性能、1GWあたり最大100億ドルのCAPEX削減といった強い主張をしています。ただし、これはArm側の内部推計・条件付き比較です。

実際の評価には、MetaやCloudflareなどの本番環境での性能、NVIDIA Vera、AMD EPYC、Intel Xeon、AWS Graviton、Google Axion、Microsoft Cobaltとの比較、ワークロードごとの実測、電力・冷却込みのTCO比較が必要です。

したがって記事では、Arm AGI CPUを「有望な転換点」と評価しつつ、「独立ベンチマークと本番導入実績はこれから」として扱うのが最も正確です。


21. SoftBankのAI Computing Segmentとして見るArm

最終版として、SoftBank側の構図も整理しておきます。

Armだけを見ると、「英国発の半導体IP企業がAIデータセンターへ進出した」という話になります。しかしSoftBank Group全体で見ると、Armはすでに単独の投資先ではなく、AI Computing Segmentの中核です。

SoftBank Groupは、AI Computing Segmentの中でArm、Ampere、Graphcoreを明確に位置づけています。Armはスマートフォン、データセンターサーバー、IoT、自動車などに広がる高性能・省電力な計算プラットフォーム。AmpereはArmコンピュート・プラットフォームを基盤とする高性能・高効率CPU設計企業。GraphcoreはAI専用半導体の設計・開発企業です。

この整理は非常に重要です。ソフトバンクのArm戦略は、単に「Arm株を持っている」という金融投資ではなくなっています。ArmでCPUアーキテクチャを握り、AmpereでデータセンターCPU設計を押さえ、GraphcoreでAIアクセラレータの知見を取り込み、さらにOpenAIやStargateと接続する。つまり、AIモデル、AIデータセンター、AI半導体、AIアプリケーションをつなぐ構想になっています。

Stargateとの接続

2025年1月に発表されたStargate Projectでは、SoftBank、OpenAI、Oracle、MGXが初期出資者となり、米国でOpenAI向けAIインフラを構築する計画が示されました。発表では、4年間で5,000億ドルを投資し、まず1,000億ドルを直ちに展開する構想が掲げられました。SoftBankとOpenAIがリードパートナーとなり、SoftBankが財務面、OpenAIが運用面を担い、孫正義氏が会長を務めるとされています。

ここで重要なのは、ArmがStargateの初期技術パートナーに入っていることです。Stargateの初期技術パートナーは、Arm、Microsoft、NVIDIA、Oracle、OpenAIです。つまりArmは、OpenAI時代の巨大AIインフラ構想の中で、単なる背景技術ではなく、正式な技術パートナーとして位置づけられています。

AmpereとのCPU推論検証

2026年2月には、ソフトバンク株式会社とAmpereが、AIエージェント時代に向けたCPUベース推論の共同検証を発表しました。対象は、小規模言語モデル(SLM)やMixture of Experts(MoE)モデルを、Ampere CPUとSoftBankのオーケストレーターで効率的に運用する取り組みです。

ここで示されたのは、「AI推論=すべてGPU」という単純な構図ではありません。常時稼働するAIエージェント、業務自動化、ネットワーク制御、低遅延推論では、CPU上で多数の小型モデルを効率よく動かす需要が出てきます。Arm AGI CPUがエージェント時代のデータセンターCPUを狙うのと同じく、Ampereとの検証も「CPUがAI推論の神経系として再評価される」流れにあります。

Graphcoreとの接続

Graphcoreは、SoftBank傘下でAI専用半導体の開発を続けています。2025年にはインド・ベンガルールにAIエンジニアリング拠点を設け、今後10年で最大10億ポンドを投資し、500人規模の半導体人材を採用する計画を発表しました。

つまりSoftBankは、Armだけでなく、AmpereとGraphcoreを含めて、AI計算基盤の複数レイヤーを押さえようとしています。ArmはCPUアーキテクチャとエコシステム、AmpereはデータセンターCPU、GraphcoreはAIアクセラレータ。これらがOpenAI、Stargate、AIデータセンター、さらにはAIロボットへつながる可能性があります。

ABB Roboticsとの接続

さらにSoftBankは、2025年10月にABBのロボティクス事業を約53.8億ドルで買収することで合意しました。この取引は2026年中の完了を見込むとされます。ABB Roboticsは産業ロボットの世界的企業であり、ここにArm、Ampere、Graphcore、OpenAI、Stargateが重なると、ソフトバンクのAI戦略は「AIモデル」だけでなく、「AIが現実世界で動くフィジカルAI」へ広がります。

つまり、Armの記事であっても、最終的にはSoftBankのAI戦略全体と接続して見る必要があります。

Armは、AI時代のクラウドと端末をつなぐ神経系。
Ampereは、AI推論とクラウドCPUの現場部隊。
Graphcoreは、AIアクセラレータの知見。
Stargateは、巨大AIデータセンター。
OpenAIは、AIモデル。
ABB Roboticsは、物理世界で動く実行機械。

この全体をつなげると、孫正義氏の狙いはかなり明確になります。

それは、AIアプリを1つ当てることではありません。AI時代の「知能が動く場所」そのもの――クラウド、半導体、ロボット、データセンター、エッジ端末――を押さえにいくことです。

この文脈で見ると、Armはソフトバンクグループの中で単なる保有資産ではありません。AI時代の計算基盤を握る、最重要中核資産なのです。

実際、それは数字にも表れています。孫正義氏の説明(2026年6月)では、ソフトバンクの純資産価値(NAV)に占める比率はArm単体で5割超に達し(ソフトバンクはArm株の約87%を保有)、Arm株は2026年に入って約2.9倍に上昇しました。そして2026年6月1日、ソフトバンクは時価総額でトヨタ自動車を抜き、約22年ぶりに日本で最も価値ある企業になりました。その評価を支える最大の柱の一つが、ほかでもないArmなのです。



参考資料・確認資料

  • Arm公式:Armの公式歴史、Acorn、ARM1、1990年の設立経緯

  • Arm公式:Armベースチップ累計3,500億個超、開発者2,200万人超

  • SoftBank Group公式:2016年のArm買収完了発表

  • SoftBank Group公式:NVIDIAによるArm買収計画の終了発表

  • Arm公式/SEC提出資料:2026年3月期決算、売上・ロイヤリティ・ライセンス収入

  • Arm公式:Arm AGI CPU発表(2026年3月24日)、MetaをリードパートナーとするデータセンターCPU戦略、最大136 Neoverse V3コア/TSMC 3nm/300W

  • Arm公式:2026年3月期第3四半期決算(売上12.4億ドル、ロイヤリティ過去最高7.37億ドル、Neoverse累計10億コア突破)

  • Meta公式:Armとのデータセンターシリコン共同開発発表

  • Reuters:Arm AGI CPU、TSMC 3nm、Meta、OpenAI、Cloudflare等の顧客情報

  • AWS公式:Gravitonプロセッサの概要

  • Fujitsu公式:富岳の概要

  • RISC-V International/UCバークレー:RISC-V起源(2010年、Krste Asanović/Andrew Waterman/Yunsup Lee/David Patterson)、2015年SiFive、2019-2020年スイス移転

  • RISC-V採用動向(報道・調査機関ベース):累計出荷コア・市場シェア推計、中国比率、Alibaba T-Head C930、Qualcomm/Ventana買収(2025年12月)、NVIDIA CUDA on RISC-V、Quintauris、RVA23プロファイル(2024年10月)

追加確認で参照した主要情報源・公式資料


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