【無印良品】寝室で眠る50代男の独白ーモノを減らして、自分を残す
船は、若いうちは遠くへ行きたがる。 派手な旗を掲げ、荷物を積めるだけ積んで、水平線の向こうに何かあると信じて漕ぎ出していく。
僕の寝室も、かつてはそういう船だった。
新婚の頃に奮発した木目調のダブルベッド。子どもが生まれてからは、なぜか増え続けたぬいぐるみと絵本。転勤のたびに荷造りされ、また解かれ、そのくせ一度も「これでいい」と思えたことのない部屋。娘たちが独立し、気づけば夫婦ふたり分の寝息しか聞こえなくなった今、僕はようやくその船を、港に入れる作業を始めた。
錨を下ろす場所として選んだのが、無印良品だった。
引き算という名の羅針盤
無印良品の寝具コーナーに立つと、いつも思う。ここには「足す」ための商品がほとんどない、と。 柄のないリネン、色のない木材、飾りのない収納ケース。まるで、これ以上何も背負わなくていいと囁かれているような棚だ。
50代というのは、不思議な年齢だ。体力は目減りしていくのに、抱えている荷物はむしろ増えている。仕事の責任、親の介護の気配、老いていく自分自身への戸惑い。そういう見えない荷物が船倉にぎっしり詰まっているとき、寝室にまで「主張してくる家具」があると、正直、息が詰まる。
だから僕は、ヘッドボードのない、ただの木製ベッドフレームを選んだ。壁に立てかけるように置くだけの、シンプルな骨組み。それは羅針盤のようなもので、「これ以上飾るな、これ以上抱えるな」と、毎晩律儀に僕に告げてくる。
リネンは、寝返りを許してくれる
寝具は、洗いざらしのオーガニックコットンにした。 最初は少し頼りない手触りだと思っていたのに、三ヶ月も使うと、まるで長年連れ添った古い友人のように、こちらの寝相の癖を覚えてくれる。
若い頃は、寝具にも「格好よさ」を求めていた気がする。誰に見せるわけでもない寝室なのに、来客用の顔をした布団カバーを選んでいた。今は違う。誰も見ていない夜にこそ、自分に嘘をつきたくない。ごわつかず、主張せず、寝返りを打つたびに「それでいいよ」と受け止めてくれる生地。それが、この年齢になって初めて分かる贅沢だ。
収納は、記憶の墓場ではなく通り道に
無印良品の頼れる相棒といえば、やはりポリプロピレンの収納ケースだろう。 うちの寝室にも、衣類用に何個か並んでいる。ラベルを貼らなくても中身が透けて見えるあの半透明さが、僕は気に入っている。
以前は、押し入れの奥にしまい込んだ段ボールが、まるで記憶の墓場のようだった。開けるのが怖いくらい、いつのものかも分からない荷物が眠っていた。今の収納ケースは違う。中身が見え、必要なら取り出せ、要らなくなればすぐに手放せる。墓場ではなく、通り道。そこに置かれているものは、今の自分が「まだ必要だ」と認めたものだけだ。
歳を重ねるというのは、こうして「持ち物」を通して「自分が何を必要としているか」を、静かに棚卸ししていく作業なのかもしれない。
アロマディフューザーは、小さな灯台
寝る前、超音波アロマディフューザーからラベンダーの香りをひとつまみ焚く。 これがまた、灯台のような役割を果たしてくれる。一日の航海を終えた船に「もう着いたぞ、錨を下ろしていい」と教えてくれる、小さな灯り。
会社員生活というのは、波の高い海だ。上司という名の嵐、部下という名の見えない暗礁、板挟みという名の逆風。そういう一日を終えて寝室に戻ってきたとき、香りひとつで「ここまでは仕事、ここからは自分」と切り替えられるのは、案外バカにできない効能だと思う。
静かな港で、老いていく
こうして無印良品で揃えた寝室は、派手さで言えば何もない。 写真映えもしなければ、誰かに自慢できるようなインテリア雑誌の一室でもない。
けれど、毎晩ここに帰ってくると、船が港にすっと収まっていくような安堵がある。 何も足さない、何も引かない。ただ、必要なものだけが、必要な場所にある。
50代というのは、人生という航海の折り返し地点を過ぎたあたりだろう。 これから先、僕らの船は派手な旗を掲げることも、遠くの水平線を目指すこともないかもしれない。それでいい。むしろ、静かな港をひとつ持てたことのほうが、よほど誇らしい。
今夜も僕は、リネンの布団に潜り込み、ラベンダーの灯台の灯りに見送られながら、この小さな港で錨を下ろす。
それだけで、もう十分な航海だったと思えるのだ。
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