立ちどまってもポンコツは変わらないけど、時は流れゆくから。
今年は休職中の年越しだった。
例年だと年明けからすぐに仕事だ。
初売りで忙しい店舗の運営サポートをするために元旦から駆け回るはずだった。
年越しをのんびり過ごしたのはいつぶりだろう。
「こんなにゆっくりできるお正月はなかなかないから」と、夫に言われるがままキャンプで年を越すことにした。
2026年元日
6:00ちょい過ぎ
「ママ〜、トイレ〜」
新年一発目は娘の「トイレ」で起こされた。
「トイレ」の直前まで見てた初夢、全部忘れた。
朝日が昇る前の薄明るい河原を、震えながら娘のトイレに付き添いとぼとぼ歩く。
――あ、今年は初日の出が拝めるなぁ。
毎年、初日の出なんかより出勤前の準備が優先で、今まで初日の出なんか気にしたことなかった。
トイレを済ませテントに戻ってきたら、娘はさっさと寝袋の中に入ってしまった。
となりで気持ちよさそうに寝ていた夫に「もうすぐ初日の出でるよ」と、一応声をかけてみた。
夫は目も開けずに「ん〜…大丈夫」とすぐ寝てしまったので1人で初日の出を拝むことにした。
6:34
外に出しっぱなしにしていたワークマンのローチェアは、キンッキンに冷えていた。
万全の体制で初日の出を迎えるために、お尻にマグマカイロを貼った。
ついでにちょっとコーヒーでも淹れて雰囲気つくるか、なんて、カフェオレの粉をシェラカップに入れ、ケトルからお湯を注いだ。
粉が全然溶けないな、と思っていたら、ケトルから注がれたはずのお湯は、お湯のなりそこないだった。
6:48
いよいよかな。
なりそこないのカフェオレを傍に、日が昇る方角に向かってスタンバっていた。

山に囲まれていたので初日の出が見えるのは少し遅いかもな、と、ぼーっと空を眺めていたら、流れてきた雲がヘビに見えた。

よし、じゃあ次、馬来い。馬。
と、念じて次に流れてきた雲が、これまた馬の頭に見えなくもない。

(後から娘に見せたら「これもヘビに見える」
と言われてしまった)
馬に気を取られていたら、いつの間にかヘビは、ヘビじゃない何かに姿を変えていた。
何をどう見るかは、目の前にあるものが何かなんて割とどうでも良くて、たぶん、自分がどう見たいか、が重要だったりする。
そして自分が見たいと思うものは、次々と心変わりもするものだ。
いいこと言った風の自分が、初日の出より先に顔を出した。アケオメ。
6:58
なりそこないのカフェオレはすっかり飲み切っていた。

結構がんばったと思う。
テントから、のそのそ、夫が出てきた。
「あけおめ。トイレ。」
とだけ言い残し、日が昇る方角に向かって歩いていった。
だんだん空が濃くなってきた。
じんわり赤く染まってきた山の端は、思ってたんとちょっと違った。

私の勘は当てになんねぇな、と自分にがっかりしながら、ワークマンのローチェアを左に動かした。
お尻のマグマカイロは、まだ冷たいままだった。
7:27
ここからがなかなか長い戦いだった。
……てか、太陽、昇ってくんの遅くね?

夫がトイレから戻ってきた。
「えっ?まだ見てたの?俺、もうトイレの前で初日の出、浴びてきたよ。」
――なんてこったい。
私が陣取っていた場所から10分歩いた先は、すでに初日の出っていたらしい。
「日出処の天子はもう一回寝るね。がんばって〜」
とかなんとか上手いこと言った夫は、勝ち誇った顔をして、また、のそのそテントに入っていった。
7:43
ちょっと歩けばもう初日の出ってことは分かっていた。分かっちゃいたけど、一歩も場所を動きたくなかった。
ここまでくると、初日の出を拝みたいということより、私と太陽の意地のぶつかり合いだ。

長い戦いの末に、ようやく拝めた初日の出。
――いや、これもう初日の出っていうより、普通に朝じゃね?
試合に勝って、勝負に負けたみたいな気持ちになった。
お尻のマグマカイロは、ずっと冷たいままだった。
7:56
すっかり体が冷えてしまい、もよおしてきたのでトイレに向かった。
トイレで用を足し、立ち上がった瞬間――
ガコンッ!
大きな音が足元で響き、嫌な予感がした。
瞬時にスマホを落としたことを理解し、私は躊躇することなく便器に右腕を突っ込んだ。
即座にスマホの電源が落ちていないか確認した。ギリギリセーフだった。
でも、色々、ギリギリアウトだった。
皆まで言わないが、ギリギリアウトだった。
あくまで「ギリギリ」アウトだった。
便器から救出したスマホを洗い流すことはできないので、せめて自分の右腕だけでもと石けんを泡だて、涙を堪えて半端なく冷てぇ水で入念に右腕を洗った。
8:19
濡れたスマホを指先でつまんで、とぼとぼとテントに戻った。
夫と娘はすでに起きていて、昨日のキムチ鍋の残りにご飯を入れ、キムチ鍋おじやを作っていた。
便器に中にスマホを落としたことは2人には黙っていた。
言ったら絶対バカにされる。
ゲラゲラ笑う2人の顔は容易に想像がついた。
私は何食わぬ顔をして、除菌シートでスマホを拭いた。拭いて拭いて拭きまくった。許される限りの箇所を除菌しまくって、ワークマンのローチェアの上で天日干しした。
夫は、出来上がったキムチ鍋おじやを前に、さっそく割り箸を割って食べようとしている。
が、割り箸がなかなか割れない。
夫が引き当てた割り箸には、まさかの割れ目が入っていなかった。
それに気づかず、プルプル震えながら割り箸を割ろうとしていた夫を見て「いや、そんなことある?」と、私も娘もゲラゲラ笑った。

震えながら割り箸割ろうとしてた夫の顔、
たぶん一生忘れない。
「割れないってことは縁起がいいってことだな。」
と、夫は「おあとがよろしいようで」とでも言いたげな顔して別の割り箸に取り替えた。
めちゃくちゃ笑ったら、さっき便器に落としたスマホのことは「まぁ、いっか」って気持ちになっていたし、お尻のマグマカイロはめちゃくちゃマグマっていた。
立ち止まった私は、新年を迎えても相変わらずポンコツなままだった。
それでも時は、無常に流れてゆく。
いつまでも冷たかったマグマカイロはいつの間にかマグマってるし、私が座っていたワークマンのローチェアはちょこちょこ場所を変えながらいつの間にかスマホが陣取ってるし。
立ち止まっても、ずっと同じ時間なんてないから。だから、きっと大丈夫。
便器の中に落としたスマホも「あの時、実はさ……」と、いつか夫と娘に話して、笑い話に変えてしまおう。
私はずっと、トイレの話をしていますか?
